3.
「理乃ちゃん、お腹空いたー。なんか、作って?」
シンに言われ、理乃はベッドから抜け出ると、ショーツをはいてTシャツだけ着た。
「チャーハンとかでいい?」
「うん! 理乃ちゃんのごはん、好き!」
シンは裸のままベッドから出てくると、キッチンにいる理乃に後ろから抱きついた。そのまま、首筋にキスをして乳房を触る。
「……ごはん、作れないよ?」
「ん……もう一回、したくなっちゃった」
シンの手が理乃の下着の中を探る。「理乃ちゃん、すき」「うん、あたしも」
首筋に這う唇を感じながら、理乃はシンと初めてした日のことを思い出していた。
人数合わせに呼ばれた飲み会で、理乃はシンと出会った。
シンが、理乃を見た瞬間から自分に惹かれていることが、理乃にはすぐに分かった。理乃を見て赤くなるようすとか、そもそも五つも年下であることがかわいく思えたので、理乃はシンの隣に座っていろいろ話をした。ちょっと肩に触ったりもした。「それ、どんな味がするの?」「飲んでみる?」「いいの?」「い、いいよ。おれが口つけたやつだけど」「ありがと」と彼のグラスから一口お酒を飲んだりもした。そのときのシンの反応で、この子はまだ誰ともつきあったことがないのかな、と理乃は思った。
「LINE交換してください」ものすごく真剣な顔が、理乃にはかわいく思えて「いいよ」と気軽にLINEを交換した。「週末、会えますか?」なんていうLINEが来たので、会うことにした。水族館の暗い照明の中で、揺らめく魚を見ていたら、シンは理乃の手を急に掴んできた。手を繋ぐ、というよりも掴む、という感じで、理乃は笑いながら手を繋ぎ直した。
そうして、水族館を出るときにシンは言ったのだ。
「おれとつきあってください」と。
つきあってください? キスをする前に?
「……いま、つきあっている人、いるんですか?」
「いないわ」
「おれ、理乃さんのこと、好きです。つきあってください」
シンの鼓動が理乃には聞こえるようだった。
「……いいよ」
「え? ほんとに?」
「うん」
「やったあ!」
あの、真っ直ぐな目が理乃の心を射抜いたのだ。
何度目かのデートの後、理乃の部屋に来たシンは明らかに緊張していた。
理乃からシンにキスをした。
それから、シンが理乃の服を脱がせやすいようにした。裸になってベッドに行き、いろいろなところを触り合い舐め合った後、シンは言った。
「ごめん。おれ、この先が分からない。――初めてなんだ」
理乃はシンにキスをすると、「だいじょうぶ」と言って導いた。
「好きにすればいいの。……気持ちいいから、大丈夫」
痛いほど、シンの気持ちが理乃に伝わってきた。「理乃ちゃん」とシンが理乃の名前を呼ぶたびに、心の襞が震えて音を立てた。ぎこちなくも愛情溢れるシンの手が、理乃の深いところに触れた。
でも。
欠落はこれで埋まるかと思ったけれど、埋まらなかった。
どうしようもなく、冷たくて暗いところにいる自分を、どうすることも出来なかった。心の中にしまっておいたものが、次々に暴き立てられそうになるのを感じて、理乃はいつも閉じるのだった。強い力で。そうして生まれる永遠の昏い穴を、もうどうすることも出来ずに、ただ抱えるしかないのだった。黒い光が穴から出て、ともすれば理乃全部を包みそうになる。そうなると、息さえ出来なくなりそうだった。
シンが、その黒い光を消してくれる存在であったらよかったと、理乃は何度も思った。何度も。
二人でチャーハンを食べているとき、ふいにシンが言った。
「理乃ちゃん、今まで何人としたの? おれ以外で」
「んー、二人?」
「ほんとう?」
疑うように、シンは言う。理乃はにこやかに笑いながら、「本当よ。大学のときの彼氏と、それから社会人になってからの彼氏。それだけ」と言って、シンに優しくキスをした。
「二人かあ……おれ、もっと早く理乃ちゃんに会いたかったな」
愛しい気持ちになりながら、理乃はシンの鼻筋を人差し指で撫でた。
もちろん、二人、というのは嘘だった。でも、嘘の方が優しいことを理乃は知っている。
「ねえねえ、理乃ちゃん。いつになったら、合鍵くれるの?」
「……必要ないじゃない」
「でもさ、そういうんじゃないんだよ。理乃ちゃんちの鍵を持っていることが大事なんだよ」
「……考えとく」
「あ、そう言って、いっつも……ん」
理乃はシンに覆いかぶさって、シンの唇を塞いだ。それから、舌で探る。口の中を。首筋を。そのまま下に降りてゆく。手も同時に彼を探る。そうして彼を導く。「理乃ちゃん」
彼の上で彼を感じながら、どうして彼と同等の思いを返してあげられないのだろうと思ったら、理乃の目に涙が滲んだ。
「理乃ちゃん、泣いているの?」
「……気持ち、いいから」
「理乃ちゃん」
シンは躰を起こして、理乃をぎゅっと抱き締めた。
「理乃ちゃん。理乃ちゃん、大好き」
理乃は甘い声を漏らしながら、でもシンの言葉に応えることが出来ないでいた。
大人になればなるほど、気持ちをどうすることも出来なくなる。
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