第8話 便利屋 3

 シエゴさんの口元は嫌味っぽく歪んでいた。

 拍動が激しくなる。下唇を噛み締めて、腹の奥底の激情を呑んだ。恐怖、動揺、悲しみ。重たい感情に脳を支配されそうだった。


「魔術は好きでも嫌いでもありません」

「ははっ、それって無理がありますよぉ。魔術に興味無い人って、他人の魔術観察したり、構築式を凝視したりしないでしょ。正直ね、見苦しくて見ていられないんです。口では辞めたいだのなんだの言っておいて、結局魔術師しぐさが抜けないなんて、.......」


 彼は鼻で笑った後、笑みを消した。

 手元の構築式に視線を落として、続きを書き始める。その様に怒りが湧いたが、違和感も覚えた。言葉を無理やり飲み込んだように見えたのだ。けれども腹が立ったのは事実なので、躊躇いなく唇を開く。


「申し訳ないとは思っています。こんな私の相手をさせて。ですが、そこまで言われる筋合いはありません!」

「僕からしたらあるんですけどねぇ」


 心なしか、構築式の字が荒んでいるように見えた。

 シエゴさんが顔を上げる。

 目線が合わない。飴色の瞳は憎悪で燻んでいる。思わず閉口した。私ではない、他の誰かを憎んでいるようだった。彼の辛辣な言葉は本心だろう、嫌に真に迫っていたから。しかしどこか上滑りしていた。今さっき出会った私ではなく、もっと昔から、不特定多数の何かに向けて醸造されていたような。


「とにかく、気まぐれで魔術師に戻ろうとしないでくださいね。貴女が魔術師として居着くなら、平民の僕はお払い箱になってしまうので」

 

 平民。

 口の中で反芻し、合点がいく。

 感覚派が世を占める現状、平民出身の魔術師は大成できない。貴族と違い、家系伝来のノウハウが無いからだ。シエゴさんは魔力量が多いから、幼い頃は魔術を暴発させることもあっただろう。大抵の場合、そういう子は忌み子として村落から追い出されるそうだ。仮に魔術師として認定されても、血筋により身分と能力を保障された貴族出身者には敵わず、職を辞する者が多い。


 反対に、魔術師として名を遺した平民は、皆常軌を逸するほどに優秀である。

 そうでなければ生き残れないからだ。


 彼もその一人なのだろう。必要に迫られて、必死に魔術師として研鑽を積んだのだ。私にも覚えがある。成功しても失墜に怯え、常に自分を追い立て続け、摩耗していくだけの日々。尊厳は無くとも生存だけは確約されていた私と違って、彼の場合、失墜はそのまま死を意味する。想像するだけでもゾッとした。私のような半端者に苛立つのも理解できる。


 理解はできるが、受けた侮辱を飲み込んでやれるほど余裕があるわけでもなかった。私にも私なりの事情があって、こんな無様を晒しているのだ。譲歩できない以上、下手な同情はできない。かといって、言葉で殴り返す気も無かった。私は『見苦しい』事に自覚的だったので。

 深呼吸して、改めてシエゴさんに向き直う。


「だから理論派だったんですね」

「はい。平民の魔術師からしたら、理論派だけが唯一の道ですから。ああ、貴女が理論派で嬉しかった事と、洗練された魔術式に感嘆したのはホントですよ」


 彼は薄っぺらい笑顔を浮かべた。

 『貴女の性根が気に食わないのもホントですけどね』。言外にそう述べている。


「まぁ、貴女の魔力、3か月間は絶対に回復しないので、当分魔術師には戻れませんが」

「本当ですか!?」


 状況を無視して破顔してしまう。

 今日聞いた中で、最も嬉しい情報だった。

 魔術師にとって、魔力は指標だ。それが無ければ、如何なる追跡術も意味を成さない。目標が出来た。3か月だ。3か月かけて、二度と魔力が生成されないようにすれば良いのだ。時間は無いが、僅かでも希望があるならやってみせる。


 奮い立つ私を見て、シエゴさんは面食らっていた。


「本当ですよ、ボルケニアスの典型的な離脱症状ですから。……そんなに嬉しいんですか」


 彼が目を細めた。

 ハッとする。あれは憐憫だ。まだ伯爵邸に居た頃、使用人たちが、魔術漬けの私に似たような目線を送っていた。違和感が増していく。不躾に眺めていると、シエゴさんがため息を吐いた。

 

「そんなに嫌なら、魔力を完全に捨ててみてはどうでしょう」

「いくら私が嫌いだからって、机上の空論を持ち出さないでくださいよ」

「あれぇ、ご存じなかったんですか?

 てっきり魔力を捨てるためにここまでいらしたのかと」


 反射的に目を剥いた。


「どういうことですか?」

「あ、本当に知らなかったんですか。無鉄砲というか、運が良いというか」

「......。」

「睨まないでくださいよぉ。ちゃんとお話ししますって。先日、領内の開墾予定地でこんな物を見つけたんです」


 そう言って懐から取り出されたのは、手のひらにすっぽり収まった小石だった。

 自然の力で削り出された荒々しい姿態は、淡い桃色の光を帯びている。桃色の光は、魔力の抽出反応だ。魔法薬師が自然物から魔力を抽出する際、よく発生する魔力痕である。


 魔力痕の観察をしたくて、立ち上がりながら注視する。石の表面には小さな傷が複数走っており、石の底面──シエゴさんの手と接触している箇所──から石の頂点に向けて、桃色の魔力痕が波打つように脈動していた。


 目線を上げると、座ったままのシエゴさんの瞳とかち合う。

 飴色の瞳は静けさを取り戻していた。

 なんとなく、本来の彼はこちらなのだろうと思った。眼前の物質を解明し尽くしたい、しかし解明できずもどかしい。そういった葛藤を感じさせる、生粋の魔術師の目だった。絵画の中の偉大な魔術師たちも、皆この目をしていた。真摯な人間は好ましい。シエゴさんの内情を知って以来、初めて彼の言動を信じていいと思えた。


「トリーさんなら分かりますよね。

 この石、接触者の魔力を吸収してるんです。

 ただ、このままだと吸収効率が悪くて。どうにか実用化させたいんですが──」

「手伝わせてください。魔術知識と魔力量なら自信があります」


 前のめりになって言い放つ。

 シエゴさんが顔をしかめた。瞳の奥に、憐憫の色が見え隠れしている。


「……本当に辞めたいんですねぇ、魔術師。

 そんなにも魔術師然としているのに」

「何度も言ってるじゃないですか。良い加減に信じてください」


 彼は眉間に深い皺を作って、キツく目を閉じた後、真正面から私と向き合った。


「分かりました、信じます。

 事情も色々と......あー、あるようですし。

 ああだこうだ言ってすみませんでした」


 一言一言、丁寧に告げられた言葉を聞いて、一度だけ頷く。

 私も、これ以上事を荒立てる気はない。

 彼の辛辣な指摘はごもっともだったから。


「こちらこそ、不快にさせてしまって申し訳ありません」


 シエゴさんは苦虫をかみつぶしたような表情で私を見つめている。


「......貴女は被害者なんですから、謝らないでくださいよ」

 

 謝意はあるが、私という個人が気に食わない事は変わらないのだろう。彼は居心地悪そうに腕を組み、私から目線を逸らした。


 その様を見て、違和感が氷解した。

 私が彼に同情しかけたように、彼もまた私に同情しそうになったのだ。時折言葉を飲み込んだり、バツが悪そうな顔をするのは、きっとそのためだ。悪い人ではないのだと思う。ただ、私との相性と出会い方が、どうしようもなく悪かっただけで。私も私で、彼の魔術師・魔法薬師としての力は信用しているが、個人としては全く信用できないでいる。出会い方が違っていたら、理論派について語り合う良い友人になれたかもしれないのに。


 気づけば、彼はそそくさと帰り支度を始めていた。


「あ、ちょっと待ってください、シエゴさん」

「なんですか。僕もう帰りたいんですけど」

「私だって早急に帰っていただきたいんですが、あの石の用途を知りたくて。魔力過多の幼児には必要不可欠でしょうが、それ以外となると思いつかないんです」

「ああ、ブランさんに差し上げるんですよ。フクロウの瞳は”見えすぎる”こともあるそうなので」


 シエゴさんが小屋の扉に手をかけた。


「雇っていただいた恩を、返したいので」


 か細い声で、付け足すように告げられた動機は、十分理解できるものだった。彼のブランさんへの想いも、信用していいのかもしれない。

 

「とりあえず、後々トリーさん用の魔法薬をお渡ししますから。石の改良の件もその時にお話しします。今日のところはこの辺で。また来週伺いますからね」

 

 今度こそ、シエゴさんは止める間もなく去っていった。


 嵐のような一日だった。

 ため息を吐きながら椅子に座りこむと、強烈な眠気に襲われる。


『見苦しくて見ていられない』


 彼の言葉が蘇る。

 魔術を捨てたい。けれども、私は魔術への執着が捨てきれない。もしかしたら、私は自分が思っているよりも、魔術が好きで、魔術に依存しているのかもしれない。シエゴさんと魔術の話をするのは楽しかった。本当に、つい、楽しいと思ってしまったのだ。


 完全に魔力を持たなくなれば、魔術を諦められるだろうか。

 父の事も、忘れられるだろうか。

 違う。忘れるために、諦めるのだ。


「頑張ろう」


 まずはシエゴさんの研究に協力する。

 決意を新たに、私は立ち上がった。

 

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