第6話 便利屋 1

『言っておくけどね。貴女は私たちの領民ってだけで、まだ薬師じゃないから。生活に慣れたら営業許可取りにくるのよ。頑張ってね!』


 以前頂戴したアミエイラ様の激励と共に意識が浮上する。途端に生理的な吐き気に襲われた。薬師として生きる。決心だけは固かったが、心意気だけで上手くいくわけがなかった。


 起き上がれない。

 学校から逃げ出して早1週間。何故か私の失踪情報は出ず、父の追手も無い。安心したのもつかの間、今の私は一人で生きる大変さを痛感していた。


「きもちわる......」


 常に体調が悪い。

 吐き気と眩暈と頭痛に襲われながら、十数分かけて寝台を出る。床に足をつけて背筋を伸ばそうとするが、それも目が回って上手くいかなかった。地に伏せて数回咳き込み、這うように歩いてまた座る。毎朝これを繰り返している。


 学校にいる頃はここまでではなかった。

 薬を飲んでいたからなのかな。

 それに、食事を自分で用意するのも大変だった。これまでは人が作ってくれた物を食べれば良かったが、食材買って調理して片付けて。ここまで手がかかると思っていなかった。

 料理人さん、今まで有難うございました。


 頭痛を堪え、根性で店舗部分に入る。

 そろそろこの部屋も片付けないと。

 どこから手をつけようか思案していると、扉が控えめに叩かれた。


「朝からすみません、いらっしゃいますか〜」

「あたしもいるわよ。お邪魔していいかしら」

「はい、どうぞ」


 男の声に聞き覚えは無いが、女性の方はアミエイラ様の声だった。彼女が同伴しているなら大丈夫だろう。そっと扉が開かれて、若い男女が現れる。


 思わず立ち上がった。強烈な眩暈に襲われたが、それどころではない。

 男は魔力を持っていた。しかも視界に入れただけで知覚できるほど魔力量が多い。彼は猫背だが背が高く、白いローブを目深に被っていた。白は王立魔術学校の制服の色だが、あのローブには見覚えが無い。


「あ、僕はアミエイラ子爵家と契約してる魔術師でして......」

「ごめんなさい、予め話を回しておくべきだったわね。貴女の制服にかかっていた隠蔽術を解いたのは彼よ。通報しないよう厳命したし、安心してちょうだい」

「ええっ、僕が解いた“アレ”の術者って、貴女だったんですか!?」


 ローブの下から飴色の瞳が覗き、輝く。

 と思ったら勢い良く近寄ってきた──!


「凄い、後で魔術式見せてください! あんな緻密な魔術は久しぶりに見ました。魔術痕を要素分解して即座に大気中の魔力に変換する所、ダージルの魔力理論を採用されてますよね? 最高です、素晴らしいです、芸術の域だ。偏屈卿の徹底的な効率論を理解して実用化するなんて。そういえば昨年のエヴァンジェリン氏の論文は読みましたか? あれも......」

「はいはいストップ。トリーが驚いてるでしょ」


 前のめりになる男と、仰け反った私の間に、アミエイラ様の細い腕が差し込まれた。改めて男を見やる。乱雑に伸びた赤毛と飴色の瞳。


「ああっごめんなさい! 脅かしたかったわけではないんです。お嬢さんみたいな理論派は中々お目にかかれないので、つい」


 途端に頰が高揚した。


「あなたも理論派なんですね!」


 自然と声が弾む。

 なんだか体調が良くなってきた。


 魔術は個人差が大きい。

 魔力を流す時の癖や魔力量の多寡で出来が左右されるため、数値化が難しく、画一化できないとされている。加えて、基本的に魔力量や得意な魔術は親と似る。その為『習うより慣れろ』『親の教えに従え』という論調が強い。


 このような魔術師を『感覚派』と呼ぶ。

 対して『理論派』は、魔術式を構成する魔術要素──火・水・光などの自然現象を、1単語で表したもの──毎に分解し、各要素に必要な魔力量を数値化して、画一化を目指す派閥だ。歴史の浅い派閥で、若年層の貴族や平民出身の魔術師が多く所属している。


「一部の感覚派は伝統を重視して、理論派を『センスの無い奇怪な奴ら』と蔑みます。でも、そんな事ないと思うんです。理論派だって立派な学派です!」

「トリー、全部声に出てるわよ。魔術師って皆こうなのかしら……。それにしても、随分熱く語るのね。魔術は嫌いなんだと思ってたわ」


 アミエイラ様には苦笑いを返すことしかできなかった。彼女は片眉を上げて「なるほどね」と呟き、口を噤む。


 魔術は義務だ。

 好きとか嫌いとか、考えた事も無い。

 ただ、理論派の思想は共感できたし、好きだった。それだけなのだ。この感情を形容できる気がしなかったので、アミエイラ様には、フクロウの瞳で心の中を観てもらった。


 感覚派が悪いわけではない。ただ、全ての人が感覚で魔術を使うのは難しいのだ。どうしても本人の資質と環境の影響が大きいから。

 私自身、体力の問題で魔術訓練を繰り返す事が出来ず、理論派の魔術書を読み込んでから魔法薬を飲む事で研鑽を積んだ。


 また、叔父……父の実弟であるルグウィン子爵も、理論派の魔術師だった。

 彼の魔術痕は血のような深緋。

 空間作用系や回復術の魔術師が多いルドビカ伯爵家では、珍しく身体強化に適性のある魔術師だった。次男かつ家系から外れた適正魔術を持つ叔父は、魔術学校に通う資格さえ与えられなかった。結局、叔父は独立後に理論派と出会い、魔術学校の認定試験を受け、魔術師として認められた。


 学ぶ機会さえ奪うなんて。

 酷い事に、こういった事例は沢山あった。


「お嬢さんの仰る通り、理論派の魔術理論には価値があります。魔術師の総数を増やして、世を豊かにする考え方だ……あ、そうだ、申し遅れました。僕はシエゴ。アミエイラ家と契約している魔術師です。今日は貴女の診察に来ました。よろしくお願いします、トリーさん」


 シエゴさんが微笑んだ。

 が、目が笑っていない。

 背筋が凍った。これまで散々見た、なにかを隠している人の顔だった。


「先日、町の方が僕の所に来たんです。

 "銀髪のお嬢さん、随分具合悪そうだ"って。

 僕はこの町で銀髪の女性を見た事が無かったから、ブランさんに聞きに行って。そしたら、貴女の事を紹介されたんです」

「で、あたしは道案内しに来たの。とりあえず口は回るみたいで安心したわ。でも顔は真っ白ね、紙みたい。無理しないでよ、分かった? じゃ、後任せたわよシエゴ」


 お礼を言う隙も無く、アミエイラ様は去っていった。今日もお忙しいのだろう。なのに来てくださった。気にかけてもらった事が嬉しい。しかし、同じくらい罪悪感があった。町の人とアミエイラ様を心配させてしまった。早く健康にならなければ。


「素っ気なく見えるかもしれませんが、あれでも結構心配されてたんですよ」

「ええ、伝わりました。情の深い方ですよね」


 シエゴさんは眉尻を下げながら微笑んだ。

 今度は目も笑んでいる。胸を撫で下ろした。私の気にしすぎだったのかもしれない。

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