第7話 宇賀時彦
宇賀が教え子から電話を貰い、死ぬ程噎せ込んだのは、七月の暑い日だった。
「女の子って、どこに連れて行ったら喜ぶかな?」
二十五歳、彼女いない歴イコール年齢の真面目に超弩級がつく寺の坊主が唐突にそんな事を言い出すものだから、咳き込もうとも言うものだ。
「何、かずちゃん、キャバ嬢にでも貢いでんの?」
鼻から麦茶が出るのをティッシュでおさえ、咳を思いきり出してから、再度スマホを耳に当てた。
出会った時に【かずのぶ】だった十下の教え子は、成人後に【わしゅう】と読みを変えている。
「そんなんじゃないよ。この間、見合いしてさ」
「あー」
四海寺の巨大な門、広大な敷地、沢山の仏像、でかい本堂を思い浮かべ、溜め息混じりに頷いた。成る程、ご立派なお寺の跡取りでいらっしゃるお坊っちゃまは、寺を継ぐために嫁取りをなさると。
「大丈夫か? 嫌な相手なら無理するなよ?」
和修は、体格の割に気の弱い所があり、兄貴分としては心配である。キツい性格の女でも、それこそ金目当てでも笑って受け入れてしまいそうだ。
「嫌なんかじゃないよ。俺が守ってあげなきゃって思って」
教え子の言葉に、宇賀は再び麦茶を噴いた。
そもそも教え子とは言っても、和修が中高の頃に家庭教師をしていただけで、その前から家族ぐるみでの付き合いはあった。和修の実家である四海寺は県の北の大きな本線道路の先に位置し、八大龍王尊をご本尊とし、県の殆どの家が檀家であり、地域に密着している。他家から修行のために若い僧侶が年単位で来る事もあり、常に十数名が寺に在籍している。その本尊である龍王尊が県の水源を支える大きな川と同一視され、合祀されていた頃の縁が細く長く今まで繋がっているのだ。
宇賀の実家である三杜神社は県南の山奥、人が入れないのでは無いかと思われる程度に舗装のされていない石段を数えきれない程上った上にある神社だ。数えきれないと言うのは、大きな岩を階段上に適当に積んであるため、斜めに二段も三段も積んであったり、階段と言うには小さすぎたり大きすぎたりする岩がゴロゴロ転がっているからだ。そして、県南から県北へ流れる川の水源地も、この山の中にあった。その水源地である池その物を神として奉り、代々神主として世話をするのが、宇賀家であり、今代神主である時彦の仕事でもあった。とは言っても、宇賀家は今や末代の時彦ただ独りとなっている。宇賀は代々短命で、四十九までに命を落とす。それは事故であったり、病であったりするが、そういうモノなのだ。と、時彦は納得していた。あと十五年。七歳までは神の内。七年を一歳として、七歳で四十九。七歳になる前に神に喰われるのだ。三杜の水神は代々、神主の御霊を喰って鎮められてきた。文献を遡るに、この地で暴れ生ける物全てを喰らう蛇神が、ある男を喰らってから数十年大人しくしていた。と言うのがこの神社の始まりだ。以来、暴れては人身御供を差し出すものの、神主一族の血と肉でなければ鎮まらぬと、神と契約したのだと云う。そう。古くて強大な蛇神と、宇賀の一族の契約。それが、現代まで続いている。それが本当だとして。時彦には、嫁や子にその業を負わせる覚悟がない。前神主が他界したのは、四十九の誕生日の前日だった。事故だった。事故の前に既に心臓発作で絶命していたと病院で聞いた。母は、自分を産んだ時に死んでいた。時彦には、愛だの恋だのがわからない。わからないまま三十路も半ばに差し掛かり、わからないまま、子も成さず、死ぬのだろう。もしかしたら沢山の命を巻き添えにして。ただ、沢山の見知らぬ人のために妻や子を犠牲にするのが正しいのかどうかの答えが出せぬまま、今に至っている。単純にモテないというわけではない。多分。
本殿に持ち込んだ貰い物の藺草のラグの上に転がり、スマホを眺める。麦茶まみれのスマホを拭くためだが。間に簡易ベッドでも置けば、まさに薦に案と見立て、自らを神饌とした宇賀一族に相応しくも思える。
つるりとひんやりとした感触と共に、三メートル程の白蛇が腕に乗る。腕の太さと胴回りがほぼ同じだ。
「カガチ様、ちょっと邪魔ですよ」
そのままスマホの画面を遮る白蛇をつついて退かせると、不満とばかりに寝床へと戻っていく。
本殿は、神様のいらっしゃる場所と言うことで、とりわけ金をかけ、冷暖房完備かつ立派な飼育室となっている。本来のカガチ様の部屋である水槽は蓋がされておらず、出入り自由だ。
カガチ様は生きたご神体であり、この地の水源その物の化身である。が、宇賀一族が人身御供になってきたとは言え、文字通り大蛇に喰われたわけではない。カガチ様のご飯は冷凍ピンクマウスである。たしかに餌になるような動物が山にはいるだろうが、時彦が捕まえられる筈もなく。捕まえたところで捌きたくもない。故に、どんなに下僕が腹を空かせても、カガチ様のご飯優先で買うのである。そして、神社までの道のりは、険しく遠く、人が入ってくる事はほぼ無い。ついでに言うなら、参道以外の道は私有地で入山禁止の札を立てている。神域云々もあるが、何より、山菜目当てでの事故や自殺目的の場合、持ち主である宇賀に責任を問われるのだ。山の整備に回す金もなく、山を売るわけにもいかない。神社庁に属しているわけでもないし、頼れる親戚がいるわけでもない。かくして、時彦はバイトで何とか糊口を凌いでいるのだ。主に、地元の年寄りの手伝いで。 【何でも屋】と時彦を呼ぶ地元の年寄りは、やれ電球がきれただの、やれぎっくり腰で動けないだの言って何かにつけては呼び出して小遣いをくれ、孫のように遠慮無く用事を言いつける。そして野菜をたんまり持たせるのだ。その野菜を一人暮らしの婆さん達の所へ持ち込めば、婆さんが何人も集まってみんなで食事をして、また、やれ水回りが調子悪いだの、やれネコ車が壊れただの用を言いつけられるのだ。特に台風の前後と雪かきの時期は近所中に呼び出されて対応するので、それで何とか税金類も支払えていた。そこらの家も全て四海寺の檀家ではある。そもそも神事を行えるだけの余力が、先々代くらいから、三杜神社にはなかった。何でも屋も祖父の代より前から頼まれれば何でもやっていたと言う。合祀していた頃は、四海寺の収支に三杜神社の支出も載っていたし、給金的な物もあったらしいが……。
「で、デエトの約束したんだけど」
デエトの言葉がぎこちない和修の婚約報告の電話に、ふへぇと溜め息を吐いた。和修の迷いの無さが羨ましいのが半分、婚約者が中学生な事に呆れたのが半分だ。隣の県の寺の娘だと言うが、和修と十も離れている。
「相手はまだ子供だろ? デートったって、動物園や水族館だろ」
噴いた麦茶を拭き、話に戻る。
「そうか! ありがとう! 時兄!」
「詳しくは聞かないけど」
年齢差は珍しくもないが、今時、十五の子供が見合いとか滅多な事があったのだろう。
「うん、俺も少ししか聞いてないし、多分、本人はもっとわかってないみたいだから、色々判明したら相談するかも」
和修が珍しく語尾を濁した。
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