第42話 考えうる限り、あまりにもおぞましく
「これは?」
「ある孤児院の名簿だ。R国の爆撃で今はもうないが。治安維持貢献功労者賞大臣表彰式というのを覚えているかな」
「ああ、あいつが受けた表彰式か。それがどうした」
「あのとき、サプライズで総督が壇上に上がってスピーチをしてね。そのときにサムの身の上話を少し語ったという報告がある。総督によると、彼女は孤児院で過ごしたことがあると」
トレヴァーは首をかしげた。それはサマンサ自身が最初に話した調書の内容とは異なるものだ。
「総督が嘘を言ってるんじゃないの」
「もしくは、サムがそのことを忘れている」
ジーンの言葉にマクシムがすぐさま返し、トレヴァーはそこで閉口した。名簿をめくって中を確認する。子どもの顔写真とプロフィールが載っていた。多くは5歳児未満の幼児で、サムと思しき子どもの顔も見当がつかなかった。引き取りの理由欄には多くが「肉親死亡」と書かれている。マクシムいわく、まだ総督になっていない、また年齢的にも未成年であったはずの彼が孤児院を訪れるには個人的な理由以外の説明がつかないという。
「わたしにも見せて」
「わかるのか」
「カメラとフィルムがあったでしょ。サムのお母さんが子どもの頃のサムを撮ったものが混ざってた。時期的にはたぶんR国でのテロが活発化してたときのものだと思う。それより古い写真でも面影は似てるから判別できるかもしれない」
トレヴァーは名簿をジーンに渡した。1ページずつ見定めるように目を這わせていたジーンだったが、あるページでその目がピタリと止まった。「この子、間違いない」
ジーンが名簿を3人に向けた。トレヴァーにとっては見分けがつかない幼児の顔を見分けられるジーンに感心しながら名前欄を見ると「仮名:ゾーヤ・クラシコヴァ」と書かれていた。本名ではなかった。
「これがなんの証拠になるんだ。だいたいあいつ、両親に育てられたと自信を持って話してただろうが。母親は記者で父親は町工場の職人だって。あれが嘘とは思えないが」
「彼女は嘘は言っていないだろう。覚えていないだけだ。その証拠に、その名簿の中で唯一、引き取り理由が他とはまったく異なることがわかる」
トレヴァーはもう一度注意深く名簿を見た。そしてその視線がひとつの文言に釘付けになった。「おい、どういうことだ、これ」
マクシムがそれに答える。
「サマンサ・エラストヴナ・カーは生まれて間もない頃に名乗らずの女によって孤児院に入れられた。その女はおそらくサムの母親で、父親は」
「“ヴァルトフ・С・Яという男が現れたらここに連絡”……」
トレヴァーは備考欄に小さく書かれたその言葉と電話番号に目を奪われた。
「もはや何が真実なのかわからん」
「もちろん真実はまだわからない。だが、彼女が総督の実子、そうでなくとも血縁の子と仮定してみよう。総督はそのことを知っていると思うか?」
トレヴァーは少しの時間考えた。すぐに気づいたことがあったのか、緊張した面持ちで頭を上げる。
「もしかして、“カー”の一族、か?」
「これは私の推測だ。おそらく総督には複数人の隠し子がいて、そして人物を特定した彼らには“カー”という新しい名前を付け、管理もしくは支配下に置いている可能性がある、と。数年に一度の頻度で“カー”の名を冠した者が奨学生に選ばれるのも納得できる」
「なんのために」
「あらゆる目的のために。粛清する人物を網羅したキル・リストを作成するためにも当然関わっているだろう。“カー”の名の付く人物は存在しないことになっているからな」
トレヴァーがこれに答えた。
「たしかに
マクシムとトレヴァーが話し合っているさなか、それを遮ったのはジーンだった。
「あのさ、話は変わるけどちょっと待って。サムは総督が実の父親かもしれないこと、全然知らないで、その……」
その先をジーンが話そうとしたが、言いとどまった。言葉にしてはいけないと誰もが思った。考えうる限り、あまりにもおぞましく、信じがたい話だった。
「例えばサムが25歳とかそこら辺の年齢とするでしょ。総督は今43歳だったよね。じゃあ総督は15歳、17歳そこそこでサムのお母さんと、たぶん30歳いかないくらいだよね……で、その、子どもまで生んだってわけ? マジ冗談キツイって。そんなの信じないから、絶対」
ジーンが身振り手振りでその意味を整理する。トレヴァーもその話は初めてだった。
「トレヴァー、何か知らないか?」
ゲラルトが問うた。
「俺が〈
トレヴァーの答えによって全員が沈黙した。ほとんど状況証拠しかないにせよ、そもそも孤児院の名簿が存在し、そこに総督との関係を示唆する子どもがいたということは揺るぎない事実だった。それに“カー”の一族、単なる思いつきでしかなかった冗談が急に現実味を帯びて目の前に現れたことも、彼らにとってはいっそう冗談のようで直視しがたい現実だった。しかも、それがサマンサ本人であるかもしれないということも。
スキャンダルとしては申し分なく、これを公表すればいかに総督を擁護する者でも生理的な嫌悪感を抱かせることができ、総督への信頼を大きく後退させることはできる。ただ、この場の全員がそれでも考えを踏みとどまったのは、もしサマンサが生存していた場合、これを公表してもいいのか、そしてそれ以前に本人にこのことを伝えてもいいのかということだった。総督の評価を落とす落とさない以前に、人ひとりの尊厳にかかわる問題とあれば、おいそれと外部に公表することはできない。それは、総督に相対する〈
そしてなにより、彼らにとってサマンサは総督を愛し体制を擁護する者であっても
静寂を破ったのはトレヴァーだった。
「あいつに聞いてみないと」
その言葉にゲラルトが反応した。
「サムを探しに行くのか」
トレヴァーが膝に両肘をつき、指を組む。
「あいつは生きてる。〈
鼻を鳴らし皮肉めいた物言いだったが、その裏にあるのはトレヴァーの願望であり希望だった。
「だがどうする。通信機に応答はないんだろう」
マクシムが尋ねると、トレヴァーは言った。
「あのクソガキなら知ってるかもしれん」
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