第11話 もう頭がおかしくなりそう
サマンサの職場は首都グロムゴルスクのほぼ中央、官公庁街から少し離れた場所に位置するヴォーリァ・プレスだった。
社員証をかざして入ると行き交う人に挨拶され、中にはひどく怪訝な顔を向ける人もいる。込み上げてくる吐き気と居心地の悪さを感じながらオフィスへ向かった。
「おはようございます」
オフィスに入ると既に出勤していた同僚たちの視線が一斉に向けられた。幽霊でも見たかのようなそれだったが、そのうちのひとりが声を上げた。
「心配しましたよ!」
それを機に次々と声が上がる。どうして連絡しなかっただの、何をしていただの、病気になっただの、彼氏でも出来たかだの、心配の声からはやし立てるようなそれまで様々だ。同僚に囲まれながらトレヴァーの条件である“相手の名前を会話に混ぜ”ることに四苦八苦していると、出勤してきた局長がやってきた。
「サマンサ」
その一声で現場が一瞬に静まりかえる。
「溜まった仕事を整理したら局長室へ来なさい」
嫌な予感しかしない。同僚の向ける同情の目がそれを物語っていた。
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「お呼びでしょうか。ガーリン局長」
ユリツカヤ・ガーリン。ヴォーリァ・プレス中央局の編集局長を務める。革張りのオフィスチェアにゆったり腰かけたまま、卓を小突く爪の音が静かな部屋に響き渡る。
「一ヶ月近い無断欠勤にいくら連絡しても反応なし。どういうこと?」
昨晩充電したまま端末を確認するのを忘れていた。咄嗟にポケットから取り出して確認すると、メールも電話も数百件近く来ていた。ガーリンの顔は静かな怒りに満ちていた。
「本来なら私の権限でクビを言い渡してもいいくらいだけど、言い訳くらいは聞いてあげる。ほら、どうぞ」
サマンサはこの高圧的な態度が大嫌いだった。戦時中は従軍記者で、この国の戦争の最前線や当時の軍部の暗部について嫌というほど知り尽くしている人物だ。齢すでに50を超えており、社内でもその舌鋒鋭い性格から言い返せずにすごすご引き下がる人も多い。
それはサマンサも例外ではない。〈
「じつはパートナーが出来まして。国外に住んでいるんですが、会いに行ってました。会ってみると思いのほか楽しい人で、つい時間を忘れてしまって」
つまらない嘘、とはいえガーリンはこれでも色恋話にめっぽう弱かった。案の定、食いつく。
「へえ。それで。その人とは結婚を前提にお付き合いを始めたの」
「ええ。まあ」
「そう。素敵な休暇だったってことね。両耳のトラガスも彼氏に空けてもらったの?」
ガーリンはどこか遠い目をしていった。考え事をしていると彼女はそうする癖があった。疑われていると直感したサマンサは無難に返した。
「ええ。いつでもお互いを意識して繋がれるようにと」
「じゃあ彼氏さん、けっこう束縛屋さんなのね。アクセサリーなんてずっと興味なかったあなたがピアスだなんて。それも耳たぶじゃない箇所に、ふたつも。とっても痛かったはずだけど、もしかして無理やり空けられたとか?」
「痛かった、ですけど」
遠回しに核心をついて言質をとる、これがガーリンのやり方だ。会話が長くなればなるほど事実を補強する材料だけをいたずらに与えてしまい、不利になる。
「休暇の申請は遡って大丈夫でしたよね。有給はあるはずですから、仕事も溜まってますし戻らないと」
どうせ一週間後にはまた監禁生活に戻される。そうなった時、いよいよ社内は大騒ぎになる。同僚の反応を見るに、ジーンのいった通り、緘口令が敷かれていたと見るのが妥当なのだろう。表向きはそうだが、裏ではどう動いているかわからない。紙片を拾ってからのことは友人の鑑識以外誰にも伝えないまま行動しているのが不幸中の幸いだ。しかし、どこまで隠し通せるかわからない。
「サマンサ」
「はい」
「あなたどこにでも首を突っ込む癖があるのに、そのくせ誰にも教えないままネタを取ってくる。あなたがいないこの1ヶ月余り、紙面にテロリストの大捕物を記事として載せられなかったことが部数にも表れていた。あなたは
突然の誉めそやす言葉に油断し、次の言葉で背筋が凍りついた。
「内務啓発省が、記者のかたわらテロリストの摘発に尽力しているあなたを表彰したいらしいの。だからあなたのクビはなし。日時は明後日の夜7時。ホテル・ベルイのチェストノスホールで」
「……社宛になら通知文があると思いますが」
「あなたの家に届いてなかった? “御社社員の多大な功労に係る表彰式への招待について”って、うちに来たのはつい最近。テロリストを突き止めるあなたの活動はそもそもプライベートなもので基本的に社とは無関係という建前だし、個人宛に送ったけれど返事がないからと」
サマンサは心の中で舌打ちした。確かに郵便受けなど確認しようがなかった。しかし、全てにおいて確認を怠ったせいでもある。〈
“友人以外の者の誘いには乗るな”も早々に破ることになってしまうことに、サマンサは一抹の不安しか残らなかった。
「ああそれと」
「まだ何かありますか」
「表彰式には総督も来られるらしいの。例の奨学金で会食した以来だっけ。粗相のないように、社としても謹んでお礼を言ってきなさい」
もう頭がおかしくなりそうだった。
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長期の不在とはいえ溜まった仕事量はさほどでもなかった。同僚たちが不在時の雑務を代わりにこなしてくれていたからだった。同僚たちにとってサマンサが不在の1ヶ月というのは、激務続きで仕事を投げ出したくなった彼女を充分に休息させよう、という労いの気持ちで一致していたらしい。その心づかいに感謝しつつ、一方で、と考えた。
その仕事の中で、記事にしたり告発した反政府組織も数多く、きっと彼らの多くは自分を恨んでいるだろう、とも思った。末端構成員の多くは禁固刑あるいは重労刑、リーダー格は見せしめのために必ず銃殺刑になるのがこの国の刑法だ。
そこまで考えても、
意図せず不愉快な感情が胸の内に広がった。ジーンにいわれたことがふと思い出された。
“総督のためなら、反体制派扱いされて銃殺刑になっても構わないんだ”。
「私は違う……」
帰路に着くバスの中で、誰ともなく呟いた。
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