生贄
真花
第1話
部屋の鍵を壊して中に押し入ったとき、魔法陣の真ん中で跪く妻と、その前に立つヤギの頭をした男の姿が飛び込んで来た。真夏なのに部屋の中は冷たく、それだけとは思えない悪寒が僕を駆け抜けて、身体中の毛が逆立った。ひどい匂いがした。獣の腐ったような匂いだ。
妻は背中を僕に向けて、ヤギ男に集中しているのか振り向きもしない。ヤギ男も僕に一瞥もくれずに、厳かな地鳴りのような声を発する。
「永遠の命を望むか」
妻はこうべを垂れる。
「はい。お願いします」
「たわけ。代償となる命の量が足りな過ぎるわ。お前にはこれぐらいがちょうどいい」
「え?」
言ったまま、妻は動かなくなった。ヤギ男が笑った気がした。僕は叫ぶ。
「
ヤギ男が視線を僕に向ける。僕は呼吸が出来ない。汗がダラダラ垂れる。
「お前は何だ」
僕は首に力を最大限に入れて、声を張る。
「信子の、その女の夫だ。妻に何をした」
ヤギ男は鼻で笑う。
「この女は生き人形となった」
「何だそれは」
「生きたまま人形になったのだ」
「戻せ」
かか、とヤギ男は笑う。
「戻し方を知りたければ代償を払え。そうだな、片目で許してやろう」
交渉の余地があるとは思えなかった。だが、二つあるとは言え、目を失いたくはない。僕は唇を噛む。
「どうした。俺はどっちでもいいのだ。寛大なのは俺だ」
「全身の毛という毛を全部、ではダメか?」
ヤギ男は黙る。殺されるかも知れない。
「面白い。俺に意見を言った人間は十年ぶりだ。特別だ。毛を全て頂こう」
ヤギ男が右手を振りかざしてひと振りする。僕は頭に触れる、毛が一本もない。目は両方ある。
「約束だ。元に戻す方法を教えろ」
ヤギ男はまた笑う。
「人間に戻すには、他の人間をこの女の前で殺すことだ」
「それで戻るんだな」
「嘘などつくものか」
ヤギ男はもう一度笑ってから、ふ、と火を消すみたいにいなくなった。妻に触れる。生きてはいるようだが脈も呼吸もない、まさに生き人形になっていた。
「信子。きっと戻してやるからな」
魔法陣の前には小動物の死骸が数えて十個置いてあった。どれもついさっき殺されたばかりのようだった。部屋の温度は夏に戻り、匂いもなくなった。動物の死骸を部屋から運ぶ。庭には大きな井戸がある。今は使っていない。とんでもなく深いと伝え聞いている。動物の死骸をその穴に投げ込んだ。
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