優艶なる世界、崇高たる自然。コン・テ・パルティロ

石原英里華

すべての終わり

山気日夕佳

飛鳥相与還

臨行天漸遠

一曲丹霞重

 

 「過ぎ去りし薄き日々、人世それは恰も雲霧うんむごとく、又しても電閃でんせんに似たり。何れ来たる軽き荏苒じんぜん、かの四時が行なひ、萬物が生ず。惜しむらくは自然とらん。今日こんにち此処の持つが故、この身をば朽ち果てぬれど、さぞ意思も無虚むきょに消え暮れむ。何をか言わんや。往日荏苒とし、来日は方長す。ぁあ…早う夕陽こそ無限にからめ、只是れ黄昏れなむ近き。ギャテイ…行かん。阿弥陀仏…今度こそ、すべて、もらってくれ。此の身柄を、此の魂魄と、然る後は此の光景も…」

 

 一瞬として消えた言葉、カルタの脳裏に転動した。

 

「うん?」

 

 途端には気を向けたが、途端にはその気を蚊帳の外に置かれた。ただ、何故か、微動もしなかったはずの思惟しいが今、どこか揺さぶっている。

 無言な部屋、しかしどこか長閑のどかな雰囲気。

 窓の外は不如帰ホトトギス、時期としては交配の好機。キョッキョッとはしゃいでるのがその証拠。

 

「風の声でも聞けたのかな。」

 

 吽喃うんのうするカルタ。窓一面に緑樹は揺らぎぬ。そして草地にある一輪の花が、今咲いている。

 坐禅でもしているような彼は、これまで聞こえた大抵の音を聞き流し、これから聞こえそうな音も、心の中に留め置かないで、ひたすら瞑想をしていった。

 

 こうしてしてきたのは、彼此れもう三年あり。カルタにとって、人生は然ういうもの。修行でもなければ、享楽でもない。只々唯々酒家にいるよう、静かに給仕がご飯出すのをじっと、じいっと待ち続ける。料理をけ頂くまで暫くの間は、心が安寧、身体が安息のが味わえるほんの寸陰の時間。悠然自得の時間。

 

「ですが、其れも今日でお別れを告げざるを得ないのね」

 

 この場には誰彼もいない。恐らくは独り言。

 カルタは又して独り言を発した。

 

 大樹の枝はなびき、草は揺らぐ。

 カルタはすぐ身体を起こし、部屋の片隅にある仏具たる祭壇に一束の御香を供し、寧静ねいせい面様おもようで礼拝をする。

 

 今日は、忌み日。

 

「婆さん、御幸あれ。せがれ、今日を以て一去す。」

 

 再び座席から立ち、カルタは部屋にある机の中をたぐる。

 一幅の絵巻を手に取り、徐にそれをひらく。なるほど内容は詩である。

 

「せめてもの此れをか、お供えいたしたい所存である。」

 

 ゆるゆると辞儀をこなし、両手で丁重に絵巻を差し上げ、二度目のお辞儀をする。

 ふっと、押し入れから何かが落ちたよう、音がトコンとした。

 カルタは目をその方に向け、音の主を辿った。なるほど一つ小さき鉄製の金槌である。

 

「然うね。あなたを忘れては往かぬ。ずっと、婆さんが長年に及んで持ち帯びた小道具のあなたを、忘れ去っては往かぬ。」

 

 大樹は依然として立ちすくみ、花草はなお揺さぶる。

 カルタは視線を祭壇に戻す。

 

「今度こそ、往って参ります。」

 

 無言な部屋、しかし長閑な。

 床に横たわり、まぶたを閉じる。床には塵ぼこも、ごみ屑もない。清潔な部屋が、日々続けられた掃除事を示した。断捨離の念は、至る所まで表されている。残り僅かの時間でさえ、無人の空間でさえ、きれいさは保ちたい。いいえ、ひょっとすると何方の客人をお招きしたいからでもあろう。自然という名の御客を。

 腕を胸の上に組み、息を凝らす。気がつくと床の上には誰もいない。

 

 この時、カルタは転生した。

 鉄製の金槌と。

 

 風の音がする。穿堂風ぜんどうふうかな。はしゃぎすぎた不如帰、どうやらとっくに何処かへ飛び散った。残るは……

 

 無言な部屋、しかしどこか…

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