断章二

 三つくらいの頃でしょうか。連れていかれた教会で、私は母に尋ねました。

「お母様、どうしてみんな祈っているの?」

「神様にお願いするためよ。みんなが幸せになりますように、って」

「でもお母様、神様はこっちを……」


 ――人のことを見ていません――。


 物心ついたときから、神の存在は感じていました。

 ええ、存在だけは。

 敬虔な信者であった両親や周囲の人間はそれを奇跡だとし、私のことを聖女に違いないと言いました。

 でも、私にはそれが奇跡だとはとても思えませんでした。

 何故なら神は、私たち人間にまったく関心を持っていなかったからです。

 父や母や大勢の信徒の方たちが一生懸命祈りを捧げているのに、神はそっぽを向いているのです。それはそれは残酷な光景で、喜劇のようでもありました。

 例えるなら、人間が神に一方的にかなわぬ恋をしているようなものです。

 私はそんな風にはなりたくありませんでした。ですから、神の力をいかにして上手く使うかだけを考えて、神の奇跡――回復魔法――を使っています。

 そこには一切の信心はありません。だって無駄ですから。


 私は初め、僧侶となる方々はみな同じように考えていると思っていました。

 届かぬ祈りにはあまり意味がありませんから、みなさんそれをわかってやっているのかと思って。

 ところが違ったのです。僧侶の方々も祈りを通して、どうにか神の力にすがり、奇跡を行っていただけなのです。それでは魔法使いの呪文と何も変わりません。

 一応、少しは神の存在を感じているようですが、恐らく靄のようなボンヤリとしたもので、明確に感じ取れていないのでしょう。それがかえって神を偉大なものとしてとらえてしまっているようです。

 私は聡い子でしたから、みなさんの信仰を否定するようなことは言いませんでした。逆に上辺だけでも合わせてあげれば、神の存在を感じて奇跡を行使できるわたしのことを「聖女だ」「神の御子だ」と持ち上げてくれますので、子どもの頃からそういう風に振る舞うのが習慣となっていました。

 それが苦痛だとは思いませんでした。ただ、聖女は本当の私ではありませんので、そういう風に振る舞えば振る舞うほど、周囲の方々と隔たりができるように感じました。

 唯一の例外はソロンという同い年の男の子です。

 彼は子供の頃から神童と呼ばれるほど賢い子でしたが、それゆえに神のことを疑っていたようです。

「神が人の味方であれば、人の敵である魔物は存在しない。魔物が存在する以上、神は人の味方ではない。もしくはこの世は神が作ったものではない」

 と平然と語るような子だったので、彼は神童とされながらも、周囲からは敬遠されていました。

 私としては唯一彼だけが正しいことを言っていることを知っていましたので、ちょっと親近感を覚え、少し話すようになりました。あまり仲良くしすぎると私まで変に思われてしまうので、ほどほどの距離感は保ちましたが。



※ ※ ※


 私は小さいころから外見も褒められることが多く、それも相まって聖女と呼ばれるようになったわけですが、これは単に、私の両親の容姿が整っていただけのことで、神はまったく関係ありません。

 ただ、成長するにつれて、どんどん自分が美しくなっていることは、周囲の反応を見ていればわかりました。お付き合いを申し込まれることも多々ありましたが、彼らは当然聖女としての私しか見ていませんので、そんな人たちと付き合う気にはなれませんでした。

 時には身分の高い貴族から、高圧的に婚約を申し入れられることもありました。我が家は下級貴族であったため、本来的にはそれを断ることは難しかったのですが、私は『聖女』だったので、将来は教会に入ると公言し、教会の権威を後ろ盾にして上手くかわしました。両親もそれを望んでいましたので。

 そうして、私は十五歳になり、ファルム学院に入ることになりました。

 私以上の回復魔法を使える方はこの国にはいらっしゃいませんし、もちろん教員にもいらっしゃいませんでしたので、入る意味はまったくありません。ですが、何事にも順序や体面というものがございますので、入学せざるをえませんでしたし、表面上は教員の方を立てて、学院生活を過ごすことにしました。

 ただ、同じように魔法使いのクラスに入ったソロンはそういった不満を露わにしていたので、周囲と上手くいっていないようでした。人付き合いの下手な……いえ、彼は本当に純粋な人です。


 私の学院生活は穏やかなものでした。教員の方も私に一目置いてくれますし、同級生の方々も私を教員以上に敬ってくれます。

 授業は退屈でしたが、私の人生は常にそのようなものでしたので、特に思うところはありませんでした。


 そこに現れたのがアレスです。

 突然、僧侶クラスにずかずかと入ってくると、いきなり私に言いました。

「回復魔法を教えてくれないか」

 さすがの私も驚きました。まず、この人は庶民の出のはずです。私は下級とはいえ貴族、馴れ馴れしく声をかけていい相手ではありません。それに戦士が回復呪文を覚えるなど聞いたことがない話です。

 ひょっとしてこの人は私を口説こうと思って、こんな突拍子もない話をしてきたのでしょうか?

 そう思って、少し話をしてみたのですが、どうやらこの人は本気で勇者を目指しているようです。しかも、その理想の勇者像というのが攻撃魔法も回復魔法も使える戦士なのです。

 何考えているのでしょうか、この人は? 今更そんな伝説上の人物みたいなものを信じてどうする気でしょうか?

 私が見る限り、この人は神との親和性がまったくありません。見込みは皆無です。不可能といっても過言ではないでしょう。

 ……しかし、この人の目は本気でした。常識にとらわれ、周りに流されて日々を過ごしている他の方々とは違います。

(何か面白そう!)

 私の中に初めての感情が芽生えました。

 それが何なのかよくわかりませんが、お話をお受けすることにしました。


※ ※ ※


 この日から、私の学院生活は色づき始めました。

(どうやったら、才能のない人に回復魔法を覚えさせることができるのか?)

 私はそのことを真剣に考えました。聞けば、アレスは故郷の村で神父様に回復魔法の手ほどきを受けたことがあるらしいのですが、まったく何も感じられなかったそうなのです。

 もうこれは絶望的です。普通の手段では絶対に回復魔法が成功することはないでしょう。

 そう普通の手段では。

 ただでさえ神は人に興味はないのですから、ちょっと祈りを捧げた程度では見向きもしてくれません。何かとても愉快な……いえ、神の気を惹くような行動を取ってもらう必要があります。

 そんなことを考えていたら、お腹が減ってきました。パン、そうパンをアレスに買ってきてもらえばいいのです。神の存在を求めながらパンを探す、これは良い試練となります。きっと美味しいパンが手に入るでしょう。早速、アレスを捜してパンを買ってくるように伝えました。


 ……最初の試練の結果ですが、アレスは普通に学院でパンを買ってきました。ガッカリです。神の存在を真面目に感じようと思う気持ちが欠けているのではないでしょうか?

 一応食べてみましたが普通です。

 これはいけません。もっと厳しい試練を課す必要があります。これはそう、すべてアレスのためを思えばこその試練です。

 なのですが、この沸き立つような気持ちは何なのでしょうか?

 ひょっとしたらこれが恋なのかもしれません。胸の高鳴りが止まりません。次は川底で石を捜してもらうことにしましょう。


※ ※ ※


 幾度もアレスに試練を与え、段々彼が買ってくるパンやスイーツにも美味しい物が増え始めました。

 毎日のようにアレスのために試練を考え、考え抜いた試練を週に一度アレスに課し、それを死に物狂いでやり遂げるアレスの姿を見る生活は喜びに満ちています。

 私は生まれて初めて神に感謝しました。

(ありがとうございます、神よ。私にこんなに素敵な人を与えてくれて)

 肝心のアレスが神を知覚できたかどうかなのですが、はっきり言ってよくわかりません。そもそも、神が突然誰かに恩寵を与えた前例を私は知らないのです。

 アレスにも説明しましたが、最初から無理がある話なのです。神の存在を知覚できるかどうかなんて、生まれたときに決まっているようなものなのですから。

 才能があれば、簡単に使えるようになるし、少しでも見込みがあれば、ちょっとしたきっかけがあれば使えるようになります。でもアレスにはその少しの見込みすらありません。これをどうにかできたのであれば、もはや奇跡と呼べるでしょう。

 それを理解した上で、彼は諦めませんでした。何が彼をそこまでさせるのかはわかりませんが、決してくじけることなく、私が出した無理難題……試練を成し遂げてみせるのです。

 思えばこの試練を始めた時から、私は彼に素の自分を見せていました。けれど、彼は聖女ではない私のことを受け入れて、ずっと試練に挑んでいたのです。

 私はいつしかアレスに、神の存在を感じてほしいと思うようになりました。それと同時に、この甘美な時間が終わってしまうことにも恐れを感じるようになりました。

 彼が不屈の信念で試練に挑む姿は滑稽でもあり、同時に人の美しさを感じさせてくれてもいたのです。


 そして、その日は突然訪れました。

「ありがとう、マリア! 回復魔法を使えるようになったよ!」

 アレスは満面の笑みでした。その言葉に一点の偽りもないことは明白でした。

「……マジで?」

 つい、はしたない言葉を使ってしまうほど、私はショックでした。

 私は生まれて初めて奇跡を見たのです。

 それも神によるものではなく、人の手によって成し遂げられた奇跡を。


 私は勇者なる存在を信じていませんでした。

 そんな人物は絵空事にすぎないと思っていました。

 でも今、目の前に、勇者が立っているのです。

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