KKKK~闇の邪神と炎の少女~

錠月栞

プロローグ

プロローグ 刹那

 ずっと、あいつのことが気に食わなかった。

 誰よりも苛烈な癖に、誰よりも強い正義感を持ち合わせて、見つめられると内側から焼き焦がされるような、灼熱の瞳を持ったあいつのことが。

 別に何か、直接的な被害を被ったわけではないのだが。俺のやることなすことに、いちいち軽蔑するような眼差しを向けてくる。それが不快で、吐き気がした。

 だから俺は、あいつのことを殺すことにしたのだ。邪魔なものは、始末するに限る。

 とはいえ俺の力では、強力な炎を操るあいつと、正面からやり合ったところでまず勝てない。情けないが、俺は戦闘力に関しては邪神たちの中でも低い部類に入るのだ。

 だから策を弄して、不意打ちを仕掛けることにした。何も正面からの戦闘ばかりが、相手を殺す手段ではない。

 世界と世界の狭間にある、無限の暗黒。その中に浮かぶ、一つの「ドーム」の前で俺が待っていると、背後から高熱の気配を感じて、俺はゆっくりと振り向いた。

「こんなところに呼び出して、一体何の用なんだ」

 炎がヒトガタになったような姿に、顔の部分に輝く恒星のような瞳。手足は指が無く、めらめらと燃えていて、動かすたびに細かな火の粉が散る。ここが狭間の暗黒空間でなければ、その火の粉ひとつで国が一つ燃やし尽くされているところだ。

 炎の邪神。暗黒の中でもひときわ強く美しく輝くそいつに、俺は心の中で舌打ちをしつつも、歓迎の意を示すかのように触手を揺らして見せる。

「何って、言ったじゃないか。少しお前に、頼みたいことがあってね」

「お前が俺にか」

 疑うような声色。無理もない、俺がこいつのことを嫌っていることは、こいつ自身も知っている。

 だからあえて炎の邪神を苛立たせるように、黒く細長い胴体から伸びる触手を蠢かせて、おどけた調子で言って見せた。

「ああ。正直お前に頼むのは癪だが、お前にしかできないことでね。仕方なく、呼び出したってわけだ」

「……それはどうも、嬉しいな」

 挨拶代わりの軽い皮肉は無視して、俺は傍にあったドームに、無貌の黒い顔を向ける。

「用件と言うのは他でもなくて、今ここにあるこの世界。これをお前に、燃やしてやって欲しいんだ」

「断る。俺がむやみに世界を破滅させることが、誰よりも嫌いなことはお前もよく知っているだろう」

 炎の邪神の即答に、俺は心の中で悪態をついた。断られることも想定済みだが、こいつのこういうところが嫌いで、堪らなく虫唾が走るのだ。

 それでも俺はあくまで平静を装って、世界のドームを触手の先端で軽く突く。

「そう言うんじゃないかとは思ってたがな。生憎、俺がお前に頼むのにはちゃんと理由があるんだよ」

「というと」

「この世界は、数年前から致死性ウイルスの蔓延によって、無数の死者が出ていてね。滅びるのも時間の問題なんだ」

「……」

「何が言いたいか分かるよな?苦しみの中で滅亡する前に、お前の炎で介錯してやってくれ、ってことだよ」

 俺の言葉に、炎の邪神は目の前でしばらく黙っていたが。やがて溜息代わりに頭部の炎を揺らめかせると言った。

「……お前の頼みなのはむかつくが、そういうことならいいだろう」

 無意識に上から目線なその態度もまた、俺を苛立たせてくるが。何も言わずに、俺は炎の邪神から距離を取る。

 俺が離れたのを確かめると、炎の邪神は燃え盛る手をドームに伸ばして包み込む。広がる炎によって、ドームがすっぽり包まれると。炎の邪神は恒星のような瞳を、ひときわ強く輝かせた。

 次の瞬間、ドームを包む手の炎がより強く燃え上がり、ドームの中から悲鳴ともうめき声ともつかない声が漏れ聞こえる。

 そんな声すら、瞬く間に燃やし尽くし。やがてドームそのものも、黒い消し炭となって砕けて消えてゆく。

 ふっと、炎の邪神は自らの体を構成する、炎の火力を弱めて呟いた。

「どうか、安らかに」

 その瞬間。ひとつの世界を燃やして、炎の邪神の力が弱まるその瞬間を、俺は待っていたのだ。

 揺らめく炎の中に、小さな黒いコアが見えたのを、俺は見逃さなかった。普段は分散させて攻撃されないようにしているものの、強い力を使った後の一瞬だけ、固体化して攻撃できるようになる。

「ああ」

 燃やし尽くした世界に向けた祈りの言葉に応えるように、俺は炎の邪神のコアに向かって素早く触手を伸ばす。

「安らかに眠れよ!」

 触手が超高温の炎で焼かれるのも構わず、俺は狂気的に叫びながら、炎の邪神のコアを貫いた。

「な―――」

 はっきりとした手ごたえを感じた直後、俺はすぐに触手を引き抜く。焼かれた触手から激痛がやってくるが、今は苦しんでいる場合じゃない。

 炎の邪神から、さらに距離を取る。直後、俺が今までいた場所に、炎の邪神の最期のあがきともいえる、強烈な爆炎が広がってゆく。

「この、卑怯者がッ」

 輝く両目をぎらつかせて、炎の邪神が俺のことを罵ってくるが。広範囲に広がった爆炎が、次第に弱まって消え去っていくのが分かった。

「はぁ、はぁ、なんとでも言えよ。騙される方が悪い」

「くそ、復活したら、絶対お前を殺してやるからな……」

 小さくなっていく炎の中で、呪詛のように吐き捨てて。炎の邪神の輝く両目は、弾けるように消えた。

 後に残されたのは、漆黒の闇のみ。俺の愛する穏やかで静かな闇の中で、焼かれた触手の激痛に耐えながら、俺は完全なる勝利に笑い声をあげる。

「く、くはは、ざまあみろ!俺ごときに殺されるなんて、いい気味だな!」

 声を上げたことによって、触手が動きずきずきと痛むため、俺は思わずその場に蹲った。このまま闇の中で大人しくしていれば再生するが、ほんの一瞬あいつの炎の中に突っ込んだだけで、どうやら随分と酷いダメージを負ってしまったようだ。

「はぁ、はぁ、くそ、だからあいつは嫌いなんだ……うぅ」

「でも、これで少なくとも数十年は炎の邪神の顔を見なくて済むよね。よかったじゃないか、闇の邪神くん」

 蹲って痛みに耐える俺の頭上から、ふとそんな声が聞こえて。俺が黒一色の顔を上げると、そこには輝く小さな光球があった。

「やあ、随分と辛そうじゃないか」

「……お前か」

 光の邪神。といってもこの小さな光球は、あいつの子機のようなものに過ぎないが。どうやら俺と炎の邪神のやり取りを、どこかから眺めていたらしい。

 炎の邪神よりはマシだが、こいつも正直うっとおしい存在だ。もっとも炎の邪神と違って、邪神の中でも最高クラスの実力を持つこいつには、不意打ちですら挑もうと思わないが。

「何の用だ」

 それでも精一杯の虚勢を張って、俺が光球に向かって問いかけると。光球は俺をおちょくる様に、周囲を高速で飛び回る。

「いやね。僕たち邪神は、不死身じゃん。殺しても人間に転生して、死んだらまた邪神として復活する」

「だからどうした」

「数十年。たった数十年だよ。永遠の時を生きる僕たちにとっては、刹那の時に過ぎないのに。そんな一瞬のために、わざわざ自分が傷ついてまで、炎の邪神を殺すなんてね」

 光の邪神の言いたいことが、大体わかって来た。要するにこいつは、たった数十年の為に触手を焼かれてまで炎の邪神を殺すのは、割に合っていないんじゃないかと言いたいのだ。

 むかつくが、光の邪神の言い分は理解できる。死んだ邪神は人間に転生するとはいえ、人間の人生なんてたかが数十年。しかも邪神の転生した人間は、短命になりやすいときたものだ。

 光の邪神の言う通り、永遠の命からしたら、たかが数十年なんて、ほんの一瞬に過ぎない。

 だが、それでも。光球に照らされたことよって、再生の止まった触手を仕舞い込み、俺は光の邪神に言う。

「たかが数十年でも、あいつの顔を見ずに済むなら十分だ。俺たちにとってはほんの一瞬だとはいえ、その一瞬で出来ることだって山ほどあるからな」

「ふうん。ま、せいぜい好きなようにやりなよ。炎の邪神が復活して、君が殺されるまでの間にさ」

 そう言って、心底面白そうな笑い声をあげて。光の邪神の光球はふっと消えた。

 俺は仕舞った触手を再び出して、闇の中で再生させながら、光の邪神に対する悪態をついた。

「あの野郎、強さにかまけて好き放題言いやがって……くそったれが」

 もっとも、それでも俺の中では、光の邪神は炎の邪神よりはずっとマシな存在である。意地の悪い悪趣味な奴よりも、中途半端に正義ぶっている奴の方がずっとむかつくものだ。

 やがて触手の再生を終えると、俺は火傷の治った触手を蠢かせながら、暗黒空間の中を移動し始めた。

 この無限の闇の中には、様々な世界のドームが点在しており。俺たちのような邪神は、その世界を好きなように行き来して、めちゃくちゃにすることができるのだ。

 もっとも、俺は炎や水のように、物理的に崩壊させるようなことはしない。触手を最大限に使えばできなくもないが、そんなことをしてもつまらないだけだ。

「おっと」

 しばらく闇の中を彷徨っていると、俺はやや大きさのある一つのドームを見つけた。覗き込んでみれば、とても「楽しそう」な世界が広がっているではないか。

「ここにするか」

 触手を細い体に巻き付けると、俺は己の姿を、目の前の世界で暮らす「人間」と同じものに変化させた。見せかけだけに過ぎないが、何も知らない「人間」たちを騙し、安心感を与えるのには十分すぎるぐらいだろう。

 後ろで縛った黒い長髪に、切れ長の細い瞳。肌は白く線は細いが、漆黒のスーツに身を包んだ肉体は、しっかりと筋肉がついている。

 見せかけの唇ににやりと笑みを浮かべると、俺はドームに触れて世界の中に入り込んだ。

 炎の邪神が何も知らずに、人間としての人生を謳歌している間に。俺は様々な世界で暗躍し、存分に楽しませてもらうとしようじゃないか。

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