ガラス妖精王の花嫁

マエ乃エマ

第1章:或る赤い木の実

第1話:プロポーズからの逆プロポーズ


「実家」


 彼氏の口から聞いたことのない単語が飛び出した。


 これはただ事ではない。


 セリはみたらし団子を食べていた手をとめ、それを皿に戻した。

 そして彼氏の続きの言葉を待つ。


「別れ」


 やがてとんでもない単語が続いた。セリは一瞬時がとまったように感じたが、焦ってはいけないと思いなおした。そしてさらに続きの言葉を待った。


 この次は一体何と言われるのか……。

 彼氏にまで聞こえてしまうのではないかというくらいに、セリの胸はドキドキしている。


「結婚」


 そしてでてきた単語に、思わず安堵の息が出る。


 生きるか死ぬかの大問題だという顔をしている彼氏には悪いが、余裕を取り戻したセリは、再びみたらし団子に手をのばした。


「実家に帰らないといけなくなったので、別れるかもしくは結婚してついてきて欲しい――ってこと?」


 セリが尋ねると、目の前の美青年はまるで切腹を覚悟したような顔をしたうなずいた。




 セリとセリの彼氏であるアルトとの付き合いは長く、もう七年になる。


 セリがアルトと付き合い始めたのは高校に入学して間もなくのことだ。初めて出会ったのは高校入試の時で、あることがきっかけで知り合いになった。


 はじめはなんとなく友達っぽい雰囲気だったが、物静かで、妖しいドールのような美貌を持つアルトに殺到する女子生徒たちを見て、とられるわけにはいかないと、告白して付き合うことになった。


 この間大学を卒業して、およそ七年間、セリとアルトは付き合ってきた。


 実はアルトから好きだと言われたことはない。そして付き合っていても、アルトに殺到する女性の数は減らなかったが、超然としていて他者にあまり興味のないアルトをとられるという危機感を覚えたことはなかった。


 アルトは原因不明の病気を患っている。長い言葉を話すことができないのだ。

 ただ言葉を発するだけでも苦痛らしく、普通の人のようにペラペラと話そうとすると、途中で息苦しくなり、むせたり、血をはいたり、気絶したりする。どんな病なのかは医者もわからない。どこにも異常がないらしいからだ。


 そんなアルトと長い間付き合ってきたセリは、アルトの『激短単語話法』の解読に長けていた。……経験によって成長したというよりは、はじめからセリはアルトの言いたいことを察するのがうまかった。


 周囲からは、超能力の域だとひかれているが、このおかげでアルトは自分とつきあってくれているのだとセリは思っている。


 もちろん好意を抱いてはくれているだろうが、しかしセリがアルトに抱いている気持ちが10としたらアルトは1くらいだろう。


 セリと同じようにアルトの思いをくみ取るのが上手な女性が現れた時、セリはもしかしたら捨てられるかもしれない。アルトにとって自分が魅力的なのはこの能力があるからだろうから。しかしどんなライバルが現れようとも、もちろんセリは最後まで戦う所存である。


 昔から『激短単語話法』な話し方をしているせいか、アルトはSNSやメールでも容赦なく激短単語を使ってくる。会話ほど難易度がドSではないが、それでもだいぶ言葉が足りないので、大学の同期たちは面白がってつきあってくれるか、呆れて没交渉になるかのどちらかだった。ほとんどが後者だったが、むしろアルトは人間関係を築くことを好んでいないようだったので、文字まで単語話法なのは人よけのためのわざとかもしれない。


 いや……そう考えると、セリまで人よけ対象にされているということになる。


 今日もらった連絡だって、

『12』

『重要』

 というものだった。


 もちろんこれは誰もが分かる通り(?)、『重要な話があるので今日の12時にセリの家に行く』ということである。……やはり省略されすぎだろうか。


 いやだが、わざわざセリの大好物のみたらし団子を買ってきてくれたし、アルトに愛されていると思う。言葉は足りなくても、アルトはいつもセリに優しかったから。


 それに嫌いな人に『結婚』などと絶対に言う人ではない。


「時間」


 アルトがこぶしをぎゅっと握りしめて言った。


「時間がないの?」


 アルトはうなずく。


 セリはアルトの表情を読むことにも長けていて、他の人が見れば無感動、無感情にしか見えないアルトの様子も、セリの翻訳にかかれば、ミュージカル俳優ばりの表情豊かさに変化する。


 ――どうしよう。かわいい。


 そのセリの表情翻訳によると、アルトはとても切羽詰まっていた。そして、結婚の返事をもらうのにこんなに焦っているという事実は、アルトにそこそこ愛されているという実感をセリに与えてくれた。

 

「もし結婚するとして。アルトの故郷に帰ったら、私はあの会社に就職できないってことだよね?」


 途端、アルトの瞳が暗くなる。


 セリがこの春から勤める予定の企業はセリが子供の頃からずっと憧れていたところだ。可愛いキャラクターが大好きで、それを扱うその企業で働くと幼い頃から決めていた。


 ほとばしる愛がすごすぎて、エントリーシート内の志望動機欄は制限字数内に愛をおさめるのが大変で、キーボードを打つ指先がすりへって血が出るのではというくらいに何度も推敲を繰り返した。


 最終面接では今はもう販売されていない昔の人気キャラクター『仔キリンりんりん』の手作り着ぐるみをかぶっていって、今の時代に合った方法で、こうすれば再度売り出せるのではないかというプレゼンまでした。


「仔キリ……」と言いながら、アルトは重い表情でうなずいた。


 訳すると、『セリが……仔キリンりんりんをどれだけ好きかは知ってる』だ。


「分かってると思うけど、仔キリンりんりんよりアルトの方が好き」


 アルトは「うん」とうなずくと、無表情のままわずかにうつむいた。耳の先が赤くなっている。


 くぅ~、かわいい。かわいすぎるだろ、とセリは心の中で悶絶する。


 美しい男の静けさ、奥ゆかしさ。そして行動で見せるやさしさ。


 自分に持っていないものばかりのせいか、いつでもどこでも二十四時間魅力的で、セリはずっとアルトに夢中だ。


「私の人生で一番大切なのは、仔キリンりんりんの再フィーバーをプロデュースすることじゃない」


 セリはそこですっくと立ち上がり、すぐ近くにある飾り棚に向かった。普段はバッグに入れて肌身はなさず持ち歩くくらい、幼い頃から大事にしてきた仔キリンりんりんのマスコットを手に取り、アルトの隣に移動した。そしてひざまずく。


「予定より早くなったけれど、むしろ私からプロポーズしたい。アルト、私と結婚して」


 セリの大事なものを差し出しながら告げる。


 アルトの目が、誰が見ても表情の変化に気づくくらいに丸くなった。


「うん」


 アルトは大きくうなずくと、マスコットを受け取った。


 そしてマスコットを握りしめながらセリの手をとった。


「後悔」


 後悔させないよ、というセリだけがわかる頼もしい言葉。そして続く抱擁に、セリは黙って身をまかせた。


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