罪業の造花

ユリアス

第1話 目覚め

「……!……キ!」


 誰かの声が聞こえる。私を呼んでいる?

 私の意識はその声につられるように、深い暗闇の中から浮き上がる。


「……ズキ!……ミズキ!」


 少しずつ意識が戻ってくるのと同時に、私を呼ぶ声も鮮明になっていった。

 ゆっくりと重い瞼を開けると、私の顔を覗き込んでいる少女がいた。


「よかった!やっと起きた!」


 目の前の少女が嬉しそうに微笑む。

 腰まで伸びている長い黒髪、それに覆われ左側にだけ見える瞳は鮮血のような紅。

 見た目は13、14歳ぐらいの小さな少女だが、とてもその歳とは思えない妖しげな雰囲気を放ちながらも、人形のような整った容姿に私は思わず見とれてしまった。


「……どうしたの?」

「綺麗だなって思って……」

「ふえぇ!?お、起きて早々何言ってるの!?」


 思わず本音が漏れてしまった。

 顔を真っ赤にして、慌てふためく少女は先ほどまでの落ち着いた雰囲気とは打って変わって、年相応の少女のような可愛らしい反応だった。

 だが、この少女は一体何者なのだろうか。少なくとも彼女は私のことを知っている様子だが、私はこの少女のことは全くわからない。

 そもそも私は何故こんなところに——


「あれ?」


 やっと寝ぼけていた頭が回りだしたのだろうか。ようやく私が今、何も思い出せない事に、いや何も覚えていないことに気が付いた。


「……どこか変?」


 動揺する私に気付いて少女が声を掛けてくれた。


「変ではないけど……いや……変……なのかな?」

「……はっきり言って」

「へ、変です……」


 なんだか自分がおかしい人ですって言っているみたいで抵抗があったけど、実際記憶がないなんて何か自分におかしなことが起こっているってことなんだろう。


「それで?なにが?」


 呆れているのか、怒っているのか少女は少し高圧的な態度で問いかけてくる。

 その様子に少し気圧されながら私は答える。


「え、えっと……その……何も思い出せなくて……」

「何も?」

「そう、何も……」


 少女は首を傾げて少し考え込んだ後、再び口を開いた。


「……ふざけてる?」

「え?なんで?」


 思わずツッコんでしまった。一体記憶を失う前の私はこの少女に何をしたんだろうか。そんなに前の私はふざけるタイプだったのだろうか。


「……ほんとに何も思い出せないの?」

「う、うん。何も……ここがどこなのか、なんでこんなところにいるのか、自分が何者なのか、君が誰なのかも……何も……わからないの」


 不安だったのだろう。私は少女に縋りつく思いで気持ちを吐き出した。


「そう……何も思い出せないの……」


 少女は少し悲しそうに、でもどこか嬉しそうにそう言った。


「私の名前はリリウム、そしてここは特殊技術研究施設DEM-000ディーイーエムスリーゼロ。あなたは重傷を負ったから私がここまで運んできた」

「ちょ、ちょっと待って。情報量が多くて頭の整理が間に合わない……一つずつゆっくり説明してくれる?」

「私の名前はリリウム」

「ごめんそれは流石にわかった。その次の特殊なんたら研究所……?ってやつがよくわからなかったかな」

「特殊技術研究施設DEM-000ディーイーエムスリーゼロ

「そう!それ!」


 なんだか長ったらしくて覚えにくい名前だが、名前からして何かの研究施設なのだろう。特に気にしていなかったというか、気にしている余裕がなかったが、改めて周囲を見渡してみると、確かにそんな感じがした。


 天井には配管がごちゃごちゃと何本も絡まっているように伸びていて、壁際にはよくわからない装置がいくつも置いてあり、モニターには読めない文字の羅列が映っているか、スノーノイズがずっと流れている。


 床には白いタイルが敷き詰められており、その床に這うように大蛇のような太いケーブルが何本も私が先ほどまで眠っていたであろう謎の装置に繋がっている。


 配管や装置の金属部分は錆びつき、床のケーブルの隙間や壁際の装置に積もった埃が、長い間この施設が使われいなかったということを物語っている。


「結構寂れた感じするけど、私が来る前はもうちょっと綺麗だったりしたの?」

「まぁ、今よりは多少……」


 どうやら来た時には既に結構ボロかったらしい。


「でも、なんでこんなところに私を運んだの?」

「それは、ミズキが重症を負っていたから治療のために……」

「こんなボロくて汚いとこで治療……?」


 なんだか怪しくなってきた。

 治療器具のようなものは見当たらず、衛生的にもあまりよろしくなさそうだが。


「そう、ここは放棄された研究施設。確かにボロくて汚いけど設備はそれなりに生きてたし、何よりここには高性能な装置がいっぱいある」

「へぇー」


 よくわからないけど、放棄された研究施設にすごい機械があって、たまたまそれが使えたから使ったってことだろう。

 というか──


「そもそも私はなんで重症を負ったの?」


 さらっと流していたが、どうやら眠る前の私は命の危機だったらしい。

 といっても覚えてないので実感も安心感もわかないのだが。


「……戦闘で……」

「せんとう?」

「そう、戦闘。戦いで……」

「私が戦ってた?何と?」

「……天使と」


 どうやら私は天使と戦って、重症を負ったらしい。

 さっきまでは研究施設とかいう、SFっぽいメカメカしい雰囲気を放っていたが、急にファンタジーな話になってきた。


「だいぶ深刻な記憶障害だね」

「記憶障害と言うより記憶喪失でしょ。無くなってるよ完全に」

「産まれたばかりの赤子みたいだね」

「赤子がこんな流暢に喋ったら怖いでしょ」

「それもそっか」


 リリウムはミステリアスであまり感情が表情に出ないので、少し怖い雰囲気だったが意外と親しみやすいかもしれない。


「会話が成立してるってことはある程度は一般常識もある程度はわかりそうだけど……どこまでわかる?」

「どこまでって言われても……何が何だか……」


 会話は成立しているし、ある程度の知識も持ち合わせている……ことわざとかも言えそうなくらいには。

 だが、気になるのはやはり──


「天使って……白い羽根の生えてて、頭の上に光の輪っかが浮いてる……あの?」

「なるほど……そのくらいの認識なんだね」

「違うの?」


 そもそも天使が実在するという時点で驚きだった。神話などの物語の中だけの存在だと思っていた。

 だが、リリウムの反応を見るに実際の天使どうやら少し違うらしい。


「外見に関してはその認識で大丈夫」

「外見はあれなんだ……」

「そう、よく見るあれ」

「でも、なんで私はその天使と戦ってたの?」

「そう、天使は神の使い……人類の敵だ」

「人類の敵?」

「人類は神々に攻め込まれた。使いである天使の軍勢が人間界に攻め込んできた」


 まったく内容が頭に入ってこなかった。

 神といえばこの世において最上級の存在。

 それが攻め込んできた?人間界に?


「人類の愚かさ、傲慢さに愛想を尽かした神々は人類そのものの排除を決定した」

「人類そのもの排除……?それで天使が攻めてきたってこと?だから私は……」


 流れは何となくわかったが、一つ疑問が浮かんできた。

 神の使いである天使と戦って、人間が太刀打ちできるのだろうか。その答えはリリウムの話の続きにあった。


「そう、神々の使いである天使の軍勢と人間との戦いが起こった。当然人間じゃ神はおろか天使にすら歯が立たず、人類はどんどん追い詰められていった……でも、たった一人、天使を倒しただけで戦局は大きく変わった」

「何があったの?」


 少しばかりの静寂が流れ、緊張感が強くなる。


「天使の遺体を回収し研究した結果、天使が使う不思議な力、魔力を発見した」


「なるほど……もしかして、それを活かして何か作ったってこと?」


「正解……かな……でも、ミズキが思っているほどいいものじゃない」


「……?武器とかでもいいものじゃないと思うけど?」


「そんな普通のものじゃなくて、もっとイカれた発明だよ。奴らが生み出したのは人造天使」


「人造天使?」


「うーんと、人造天使というより天使を使った肉体改造の方が正確かな」


「肉体改造?」


「そう、天使の肉体は極めて人間に近い構造をしていた。違うのは羽根と心臓部だけ。他はほとんど違いが見受けられなかった」


「まさか……」


「そう、天使を生け捕りしその心臓を移植した。心臓部はコアと呼ばれる宝石のようなもので、不思議なことに移植は驚くほど簡単にできた。まるでもともと自分の心臓だったように、綺麗に入れ替わったかのように」


「それが人造天使……」


「正式名称はA.S.Fエーエスエフ


「えーえす……えふ……?」


A.S.FエーエスエフAngelエンジェル Soulソウル Flowerフラワーの略で天使の魂を宿した花という意味らしい」


「それで?A.S.Fエーエスエフってやつで人類は神に勝てたの?」


「結論から言うと勝てなかった」


 なんとなくそんな気はした。それでも、もしかしたらという希望を持たずにはいられなかった。


「天使の力を手にしたとはいえ、所詮は神の手下。同じ天使と戦えるようになったとしても神には及ばなかった」

「そっか……」


 人類は敗北した。そして、多くの人が神の手によって消された。

 だが、そうなると一つの疑問が浮かんでくる。


「なんで私たちはまだ生きてるの?」


 私の発言にリリウムは首を傾げる。


「勝てなかったとは言ったけど、全滅したわけじゃない。人間はかなり少なくなったけどまだ生き残っている」


 生き残っている人がまだいると聞いて安心した。

「私たちはA.S.Fエーエスエフだから残ってるに決まってる」とか言われたらどうしようかと思った。


「それじゃ……」

「戦おうなんて思わないで」


 リリウムは私の心を読んだかのように先に答えを返してきた。


「なんで?私は眠る前、天使と戦ってた。てことはどうせ私もA.S.Fエーエスエフなんでしょ?」


 その言葉にリリウムが顔を顰める。


「私の話を聞いてなかったの?天使とは互角に戦えるけど、神には歯が立たないの。それに、神々の侵攻は以前よりも格段に緩くなった。わざわざこちらから攻め込んで、無駄に争う必要はない」


 リリウムの言っていることは間違っていない。でも……


「外はどうなってるの?」


「崩壊した都市と荒廃した大地が広がってるよ。A.S.Fの部隊関係の施設はあるけど」


「残っている人たちはA.S.Fの施設に?」


「うん」


「……外にも?」


「……うん」


 予想通りだった。進行が完全に止まったってわけではないのだろう。残された人たちは神の差し向けた天使におびえながら暮らしてる。ならやることは一つ。


「助けよう!」

「……やめた方がいいよ。助けたところでなんのメリットもない。神どもに目を付けられるだけ」


 そう言ったリリウムの声は冷たかった。


「でも……」

「一度死にかけたやつが何を言ってる!」


 怒号が部屋の中に響き渡り、気まずい沈黙が流れる。

 あまり感情を表に出さなかったリリウムがまるで別人のように顔色を変えた。

 思わず怯んでしまったが、それでも私の気持ちは変わらない。


「私じゃ力不足かもしれないけど、何もしないなんて嫌だ」

「それでも……」

「それでこそミズキ様だ!」


 突如、聞き覚えのない声が私とリリウムの間に割り込むように響き渡る。

 声のした方を見ると、赤い髪を眺めのお団子ツインテにした少女が左手を腰に当て、きりっと決め顔をキメて天井の配管の上に立っていた。


「誰……!?」


 少女は私の名前を知っていた。しかし、記憶がないから当然だろうが顔を見ても誰だか私には分らなかった。

 少女は私の問いに対し、不敵な笑みを浮かべると配管の上から飛び降りた。

 まるで漫画やアニメのヒーローのようなかっこつけた着地をするとドヤ顔でハキハキと話し始めた。


「私はS級のA.S.Fエーエスエフにして!最強のA.S.Fエーエスエフ!アマリリス!」

「はぁ……」


 最強のA.S.Fエーエスエフ。言ってる意味は何となく分かったが、自分で言っているところ、そしていちいち動きがうるさくてキザなところから小物感が漂っている。


「ねぇ、あの子……」


 だが、リリウムはどうやら違うものを感じたらしい。切羽詰まったような顔をしながら私を担ぎ上げるとアマリリスとは反対方向に走り出す。


「ほう……逃げるのか……」


 逃げる?リリウムが走り出した方向は行き止まり、逃げ道なんてなかった。

 いったい何をするつもりなのか。その答えは聞こうとした私よりも早く、振りかぶった拳が教えてくれた。


「まさか……」


 リリウムの小さな拳が金属製の壁を砕き、私たちの逃げ道が現れた。


「しっかり掴まってて」

「え?……うわぁ!」


 私の返答を待たずに、リリウムは黒い翼を広げ加速した。

 私を背負っているにもかかわらず、その飛行速度は空を駆ける天使というよりは、ジェット機のようだった。


「す、すごい……!」


 よくわからない状況ではあったが、綺麗な黒い翼と、何かのアトラクションにでも乗ったような疾走感に感動していた。


「この私から逃げられると思うなよ!」


 そして、その感動はアマリリスの手によって壁と共に壊された。

 リリウムが開けたものよりも倍近く大きな穴を開け、アマリリスが追ってきた。

 

(壁壊すのA.S.Fエーエスエフの間で流行ってるのかな。というか君は開ける必要なかったよね?)


そんな呑気なことを考えていると、あることに気が付いた。


「リリウム!」

「なに?」

「このままじゃ追いつかれちゃいそうだよ!」


 それは飛行速度の差。アマリリスの方が後から飛んできたはずなのに、じわじわと距離が詰まってきている。

 だが、リリウムは焦る私にかまわず一直線に通路を飛び続ける。


 そもそもなんで逃げるのかすらわからなかった。

 アマリリスは天使ではなくA.S.Fエーエスエフと言っていた。私たちと同じA.S.Fエーエスエフなら敵ではないのでは?そう思ったが、何か複雑な事情があるのかもしれない。とりあえず私を助けてくれたらしいリリウムを信じているが、果たしてこれは正しいことなのだろうか。


 アマリリスが不敵な笑みを浮かべながら迫ってくる。正直こっちのほうが信用できない。勝手なイメージで悪いが、アホっぽいし発言からして弱そうだった。


 その時だった。呑気にそんなことを考えていた私に危機感を思い出させるように轟音が鳴り響く。


「なに!?」


 天井の方から聞こえた音の正体は天井の崩落。そしてその下には——


「へ?」


 間抜けな声を上げながら上を見上げたアマリリスはそのまま瓦礫の雨にのまれ、凄まじい衝撃と音が、私とリリウムを追い越し通路の中を突き抜けた。


「リリウム!アマリリスが!」

「S級ならあのくらい大丈夫」

「そうなの!?」


 にわかには信じられないが、私よりもA.S.Fエーエスエフに詳しいリリウムが言うならそうなのだろう。

 リリウムが嘘をついている可能性もあったが、なんにせよ逃げるうえでは好都合なのだろう。あまり気にしている様子はなかった。

 心配ではあるが、リリウムに抱えられているだけの今の私にはどうしようもできない。無事を祈るしかない。


「今のうちに撒くよ」


 そう言ってリリウムは脇道に入っていく。

 迷路のような入り組んだ道をほとんど速度を落とさず駆け抜けていく。

 その飛行技術はすごいが、何度も道を曲がるものだから、勢いよくいろんな方向に振られ続け、まるで絶叫系アトラクションにでも乗っているようだった。


しばらくして、やっと落ち着いたと思ったら少し開けた空間に出ていた。


「ここまで来れば大丈夫かな」


 そう言ってリリウムは私を地面におろした。

 ここまで運んでくれたのはリリウムなのに、なんだか物凄く疲れた。


「ミズキは……大丈夫?」

「な、なんとか……」


 床に座り込んでいる私を心配してくれるのはありがたいが、それどころじゃなかった。

 まだ少し目が回っているし、なにより聞きたいことがたくさんある。


「ねぇ……リリウム……」


 声を掛けようとして、リリウムの方を見上けたその時、私は思わず息を飲んだ。


 リリウムの奥に見えた一人の少女。深い蒼色の長い髪をハーフアップにし、白い軍服ワンピースを着ていて、正義や清楚という言葉が似合いそうな見た目をしていた。

 だが、そのイメージとは似つかない黒い翼に鮮血のような紅い瞳、そしてなにより右手に握られた黒い刀。

 アマリリスと対峙した時には感じなかった威圧感、恐怖。

 呼吸が乱れ、体が震えだす。彼女から目が離せない。そんな私の前に、少女の姿を隠すようにリリウムの後ろ姿が現れた。


「リリウム……?」

「……逃げて」


 その一言だけでリリウムが何をするつもりなのかわかってしまった。


「な、なに言って……」

「いいから早く!」


 次の瞬間、リリウムの首が飛んだ。


「……え?」


 あまりに突拍子も無さすぎる出来事に、頭が真っ白になる。

 だが、顔に掛かったリリウムの血の生暖かい感触に、目の前で起こった凄惨な出来事を現実だと理解させられた。


「いやぁぁぁぁぁぁ!!」


 リリウムが殺された。首から噴水のように血飛沫を上げながらその場に倒れた。


「そんなに騒がなくてもいいじゃない」


 少女はそう言ってこちらにゆっくりと近づいてくる。


 このままじゃまずい。殺される。殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺され——


「おやすみ」

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