自分のしたこと
「…こんにちは。」「こんにちは。」
日曜日の昼下がり、冬にしては暖かく太陽が照らしてくれる中、紫苑は何度かメッセージのやり取りをした男性と会っていた。
26歳と、そこまで年の離れていない爽やか系のお兄さん。
そのお兄さんが優しくエスコートをしてくれる。彼氏でもないけれどそういう扱いをしてくれるイケメンに、甘やかされている気がして、紫苑は少しにやけた。
今日はこの後、ショッピングをして、ご飯を食べて、それから…。
そうシュミレーションをしながら、紫苑は考える。
これで何回目だろう、と。
出会いサイトで知り合った人達とこの1ヶ月で何回会ったかわからない。どの人も合うのは1回ぽっきり。毎回会う人に身体を貪られて、その後は連絡が来ても無視をする。
でもそれに少しだけ満足している自分がいるのも事実だ。和音に裏切られたあの日から。綺麗なお姉さんとお揃いのお守りをつけているのを見たあの日から。
紫苑は誰かから求められたくて仕方なかった。誰でもいいから、少しだけでいいから自分を見てほしかった。認められたかった。どういう目的でもいいから求められたかった。例え、会う人たちにオナホと思われていようが別に良い。だって、会っている間だけは紫苑を求めてくれる。紫苑だけを見てくれる。
「しおんくん。」「…はーい。」
少し先に立っているお兄さんが紫苑の名前を優しく呼ぶ。擽ったい気持ちを抑えて、紫苑はお兄さんの隣へ並ぶべく小走りへ向かう。
本当は分かっている。こんな事をしても意味がないと。身体の寂しさは埋められても心の寂しさは埋められない。
お兄さんが紫苑の汗をぺろりと舐めとる。虚ろに微笑んで甘く鳴いて見せるが、心は空っぽのままだった。
あぁ。寂しい。
やりきれない。
しんどい。
死んでしまいたい。
このまま、最低なことをしたまま死にたい。死ぬ理由が欲しい。
紫苑はお兄さんに気付かれないように、涙を一粒零した。
朝起きると、お兄さんはもう既に居なかった。チェックアウトはしていると残されたメモに書いてあったので、準備をしてホテルを出る。鏡を見るとあちこちに痣が出来ていて思わず自分を嘲笑する。
ぼうっと電車に乗っているとふと腹の虫が鳴った。無性にオムライスが食べたい。
和音と付き合っている間は、和音がご飯担当だった。紫苑はそれを眺めていただけ。
そんな具合で、別れてからはバ先の賄いだったりインスタント食品で済ませていたが、今日に限っては何故か家で作ってみたくなった。
ほぼ使われていない冷蔵庫には卵がないだろうと踏み、スーパーに寄ることを決める。
最寄り駅で降りると、駅前のスーパーへ立ち寄った。少しだけウキウキしながら中を見回すとトマトが目に入る。トマトも食べたい、と脳が訴えるから試しに手に取ってみた。
うーん、美味しそう。どうせ食べるなら切るのも面倒くさいし丸かじりしてやろう。いいな、今まで丸かじりなんてした事がない。楽しみだ。
ふふん、と機嫌をよくしてトマトをかごの中へ入れる。
そのまま精肉エリアへ行くと、今度はベーコンが目についた。ベーコンも食べたい、と手を伸ばしたその時。
「…紫苑?」「!?」
肩が跳ね上がった。ベーコンへと伸ばしていた手は目標を外して虚しく空を切る。紫苑の後ろから聞こえたその声。それは。それは…っ、
「和音、?」
恐る恐る後ろを振り向くと、ラフな格好の和音がいた。その姿を見た途端、胸がぎゅっと苦しくなった。
1ヶ月ぶりに見る和音は相も変わらずかっこいい。
「今日は会社休みでさ。自炊しようと思ってスーパー来た。」「…っ、僕も、おなじ。」
共通点を見つけた気がしてまた胸が苦しい。
「そういえば、紫苑。」「な、に?」
楽しそうに名前を呼ぶから、少しだけ期待してしまう。戻ろう、と言ってくれるのかなと。
「昨日、デートしてたでしょ。」「え?」「たまたま見ちゃって。良かったね。」「…え?」「他の人、見つけたんでしょ?おめでとう。幸せになってね。」「…っ、」
見られていた。僕の汚い所を一番見られたくない人に見られてしまった。屈託のない笑顔でおめでとう、と言う和音と目を合わせられなかった。
頭が真っ白になる。どうしたらいいのか分からない。
新しい人なんていない。紫苑には和音しかいない。ずっと、ずっとそうなのに。
勘違いされたくなかった。けれど声が出ない。口をぱくぱくするだけで何も音が出ない。
そんな紫苑を和音は笑顔で見つめると、肩を叩いてきた。
「幸せになってね。」「っ!!」
心臓が止まった気がした。時間も、何もかも。それは明らかな〝拒絶〟だった。紫苑が再び隣に並ぶ事を許さない、静かな、けれど断固とした拒絶。
必要とされていない。必要としていない。和音は紫苑をもう何とも思っていない。紫苑とは違う。
笑顔の和音に何と返したのか覚えていない。
気が付いたら自室のリビングに座り込んでいた。鮮やかな色のトマトが床に散らばっている。箱の中で守られていた筈のトマトは幾つか潰れていて、なんとも無惨な姿になっていた。
あーあ、折角オムライス作ろうと思ってたのに。あのトマトも食べる予定だったのにな。
そんな事をどこか遠くで思いながら周りを見渡した。
誰もいない家。紫苑の他に誰もいない。
それを実感した途端、、虚しくなった。無性に誰かと会いたい。寂しい。
スマホを取り出し、電話帳をぼうっと漁る。ふと目についた文字を見て、紫苑は投げやりにコールボタンを押した。が、出ない。もう1度、同じ人物にかけようとして、1つ下の番号を押してしまう。けれども切れる気力も無くて、そのままダイヤル画面を眺める紫苑。静寂1秒。
「…しおんくん?」
「…もしもし、今から会えますか?」
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