第7章 第2覚醒と指輪②




 焦燥を隠そうとしない王にチラッと目をやると、オフィーリアが答えるように口を開いた。

「断言はしていません。そういった例が多いと申し上げたのです。……このような問答は時間の無駄です。今は王女殿下の容体が第一優先でしょう」

 そうオフィーリアに言われると、クラトスは言い返せないというようにグッ、と言葉を詰まらせた。


 クラトスを黙らせたオフィーリアはふいっ、と兄から目線を逸らし、クラニオの手からセレナの手を受け取るように優しく取り、脈を測るように手首に指を当てる。実際には魔力の流れを視ているので、オフィーリアにとっては直接肌に可能なのだが、何かをしている“姿勢”だけでも見せなければ、クラトス王は納得しないだろう。オフィーリアはそう思って、医者の真似事でもするようにセレナの手首と首筋に触れた。


 そうしてしばらく考えた後、オフィーリアの顔からわずかに緊張感が消える。それをめざとく見つけたクラニオは、オフィーリアの顔を覗き込んで口を開く。

「母さん、どうなんだ?」

「…あなたも落ち着きなさい、クラニオ。……遅咲きのわりには症状は軽い。これならば、今すぐに死ぬということはないでしょう」

 オフィーリアがそう言うと、クラニオは安堵のため息を吐き、カレンは歓喜の表情を浮かべ、セレナはほっとしたように軽く目を伏せた。


 しかし、クラニオは変わらぬ表情で疑わしそうにオフィーリアを睨みつけ、そんな王を、ジェイが忌々しそうに睨みつけている。

 ジェイの王へのその態度は、不敬だとして罰せられてもおかしくはないようなものだが、どうやら誰もジェイの視線に気付いていないらしく、咎める者はいなかった。


 オフィーリアはセレナの手をゆっくりと降ろすと、忠告するように口を開いた。

「第2覚醒中は、看病をする乳母以外誰も近づいてはなりません。余計な言葉をかけてはなりません。乳母も、主人の世話は必要最低限のみにし、それ以外では決して近寄らないように」

 オフィーリアがカレンの方をちらっ、と見ると、カレンはドレスの裾を掴んで軽く広げ、会釈のように軽く頭を下げた。

「はい、承知しております。オフィーリア様」


 そんなオフィーリアとカレンのやり取りを見ていたクラトスは不服そうに眉間に皺を寄せた。そして、苛立ち交じりに口を開く。

「近づくな、話しかけるな、必要以上の世話は焼くな?病人を放置して、軟禁して他者との接触を断つことが、貴様ら魔力持ちの方針なのか。さすがは、我ら人間とは常識がまるで違う」

 嫌味をたっぷり込めて、クラトスは毒を吐く。


 その言葉には、魔力持ちへの嫌悪や怒り、加えて侮蔑のような響きも交ざっているようだった。

 クラトス王の言葉に、オフィーリアの従者ジェイは我慢ならない、といった様子で口を開いた。


「陛下、お言葉が過ぎます。今覚醒を迎えておられるのは、貴方のご息女なのですよ」

 怒りが込められたような低い声で、ジェイがそう言い放つ。叱責のような言葉をかけられたクラトスは、不快そうな目をジェイに向け、冷たく睨みつけた。


「……それは、説教か?この私に、貴様のような卑しい身の上の男が。本来ならば王族である我らとは口も聞けぬような分際で。大賢者の従者だからといって、自惚れるなよ。“売女の子”め」

「——っ」

 ジェイは息を呑み、拳を握りしめた。


 怒りのこもったその拳から、彼の瞳の色と同じ紫色の魔力の風が溢れ出している。“売女の子”という言葉は、ジェイの逆鱗に触れたらしい。痛いほどの魔力と、今までに見たことがないような形相に、セレナは意識せず身を固くした。

 セレナの知るジェイは、冷たく他者を睨みつける主人オフィーリアとは真逆に、温かく優しい笑顔を他者へ向ける。主人のために怒ることはあっても、自分のことやそれ以外のことでは心を動かすことがない、まるで自分が主人の一部であるかのような忠誠心を持った男だった。


 セレナが思わず布団の端をぎゅっと掴む。オフィーリアはそんなセレナの様子を横目でチラッと見た後、クラトスと対峙するジェイを睨めつける。

「ジェイ、控えなさい。セレナを殺したいの?」

「……っ……」

 オフィーリアの諭すような一言に、ジェイはハッと我に返った。


 握りしめていた拳を解き、クラトスを睨みつけていた目を伏せ、深呼吸をするように大きく息を吐く。すると、ジェイの身体から溢れ出していた魔力の風は、みるみる消えていった。

 殺気のような魔力が完全に消えると、ジェイは伏せていた目を開き、いつものような穏やかな表情に戻って1歩後ろに下り、頭を下げた。

「申し訳ございません」


 先ほどとは打って変わった口調と態度にで、ジェイはこの場の全員にそう謝罪する。声には敵意も怒りもないが、それでも、彼の眉間には深い皺が刻まれ、それを隠そうと必死で穏やかな笑みを作っていた。主人やセレナの手前、この場では仕方なく怒りを沈めているのだという、腹の内が見てとれた。


 オフィーリアは呆れたようにため息を吐くと、クラトスに向かって口を開いた。

「陛下、従者の非礼は詫びます。ですが、第2覚醒は己との戦いです。下手な言葉や周囲からの注目は、むしろ妨げとなるのです」

「……せめて乳母だけでも傍におけないのか。何かあってからでは遅いぞ」

「なりません。乳母に許されるのは、最低限のお世話のみ。それ以外では王女の部屋に近づいてはなりません。……少なくとも、わたくしや姉上は、そうしてきました」

「——っ」


 クラトスは息を呑み、言葉を詰まらせた。

 怒りに満ちていたその顔が、驚愕と後悔の色が交じったような悲しみの表情へと変わる。オフィーリアに言い負かされた様子のクラトスは、しばらく何も言えずに拳を握りしめて俯いていた。


 初めて見る父親の姿に、セレナは不思議そうに首を傾げる。

 これまで、怒りに顔を歪ませる父の姿は見たことはあれど、今のように悲しみに歪んだクラトスの顔を見るのは初めてだった。


 熱で上手く働かない頭で、セレナは考える。

 クラトスが表情を崩した原因は、恐らくオフィーリアが最後に、小さく呟くように言った言葉だ。


 オフィーリアが“姉上”と呼ぶ人物。それは、未だ行方不明のクラトスの双子の妹だけ。そして、その女性がオフィーリアと同じ扱いを受けたということは、その人も魔力持ちだったということだ。

 だが、その人の話題を持ち出されただけで、何故クラトスが悲しげな表情を浮かべるのだろうか?


 セレナは、自分が生まれるより前に行方不明になったもう1人の叔母については、名前はおろか顔すら知らなかった。だがクラトスとは一卵性の双子と聞いていたので、恐らく容姿はクラトスとよく似ているのだろう。

 末の妹であるオフィーリアと反目し合っているクラトス王のことだ。双子の妹とも不仲だったのでないかと考えていたセレナだったが、クラトスの反応から、どうやらその推測は間違いだったらしい。どれほどの関係かは分からないが、少なくとも話題に出された途端に心を乱すほどには親しい間柄だったようだ。


 ……そういえば、つい聞き流してしまったが、ジェイが“売女の子”だとは、どういうことだろうか。


 オフィーリアの従者、ジェイの出生について、セレナはこれまで一度も触れたことがなかった。公爵家当主の従者で、賢者で、マギーア部隊隊長。家柄や種族ばかりが重要視されるこの国で、ただの交ざり者がここまでの役職を得られるはずがない。そもそも、先祖返りでもないジェイが、オフィーリアの従者になるためだけに賢者となった時点で、孤児の国の基準では異常なのだ。


 セレナは平民を下に見ているつもりはない。しかし、交ざり者が何の身分も後ろ盾も無しにここまでの地位を手に入れられないことは、頭の固い貴族や大臣たちを見れば容易に想像がつく。なのでそれらを手に入れられたジェイは、恐らくどこかの家の貴族なのだろうと思っていた。


 ジェイに対してクラトスが放った言葉。それはとても、貴族の子に向かって吐く台詞とは思えない。それに平民の子と売女の子では、やはり待遇に大きな違いがある。

 セレナにそういった者たちへの偏見はないが、クラトスや他の貴族たちはそういった出自に敏感だ。本当にジェイが売女の子なら、ジェイが大賢者の従者になることも、部隊の隊長を務めることも許されないはずだが……。


「……だめ」

 誰にも聞こえないような声でそう呟く。

 ……駄目だ。全く頭が働かない。


 セレナが低くうーん、と唸るような声を漏らすと、オフィーリアはセレナの顔をチラッと横目で見てから、口を開いた。

「ともかく、部屋を出ましょう。ここにいても、王女殿下の が増えるだけです」

 セレナの心を見透かしたような……というよりも、全て分かっている上でそれらを責めるかのような口調で、オフィーリアは言い放つ。セレナは見事に図星を突かれたわけだが、気づかれないように努めて冷静に、さりげなくオフィーリアからふい、っと目を逸らした。


 オフィーリアの言葉を受けたクラトスは、しばらく不服そうに顔を歪めていたが、諦めたようにため息を漏らし、「わかった」と頷いた。

「しかし、いいか《天災ディザスター》。もしもこの国の未来が脅かされるようなことがあれば、貴様に責任を取ってもらうからな」


 捨て台詞のようにそう言ってから、クラトスは踵を返して退室した。半ば乱暴に閉ざされた扉が、バタン、と大きな音を立てる。

 オフィーリアはそんな兄の背中を見送ると、独り言のように「大袈裟な……」とぼそりと呟いた。そしてセレナの方をじろ、と見つめる。射止められるように見られたセレナは、緊張の面持ちでオフィーリアの目を見た。オフィーリアが口を開く。


「セレナ。あなたの症状が軽いのは、恐らくあなた自身が自分の“望み”に気付いているからよ」

「……望み」

「そう。本来第2覚醒っていうのは、己の望みが見え始めた時に起こるものだから、望みに気付いてから覚醒することはないわ。けれどあなたは、今まで自分の望みに固く蓋をして、気付かないフリをしていたようだから」

「あ……」

 セレナは思わず声を漏らす。


 オフィーリアは、気付いていたのだ。セレナがこの王室の中で、己の心を殺して生きてきたことを。

。今のあなたがすべきことは、その望みの“その先”を見ることよ。その望みさえ叶えば満足できるのか、それともさらにその先を望むのか。それだけを考えなさい」


 オフィーリアはそう言うと、セレナから目を切ってカレンの方を見る。

「……任せたわよ」

「承りました、命に代えても」

 カレンは力強くそう答えると、深々と頭を下げた。オフィーリアはそんなカレンの様子に満足したように小さく頷くと、くるりと背を向けて部屋の扉の方へ身体を向ける。刹那、オフィーリアの左手で何かがキラリと光る。

 セレナは思わずその光に目を向けると、思わず呟いた。

「……指輪?」


 独り言のつもりで呟いたその声は、この場にいる全員の動きをぴたりと止めた。セレナの言葉に、全員がオフィーリアの左手に注目する。


 オフィーリアの左手の薬指には、銀色のリングに大粒のダイヤがひとつ付いた指輪が輝いていた。普通の貴族の女性が相手ならば、指輪なりネックレスなり身に付けていても、何ら不思議はない。しかし、オフィーリア・バラクは魔封石のピアス以外で装飾品を身に付けている姿を見せたことがなかったのだ。

 オフィーリアがじとりとした目でセレナの方を振り返る。そうして初めて気がついたが、よく見ると彼女の首から、ペンダントのチェーンのようなものがかかっていた。恐らく宝石か何かが付いているだろうチェーンの先は服の中に隠れてしまって見えないが、明らかにそれは、セレナが知る限りで初めて見るオフィーリアの姿だった。


 クラニオやジェイはどうやら今初めて気が付いたらしく、驚いたような顔をしている。

 セレナはそれらについて尋ねようと口を開きかけて、やめた。目を細めるようにしてこちらを見るオフィーリアは、口にはしていないが、「余計なことは考えるな」と言っているかのようにセレナを見下ろしていた。

 念を押すようなオフィーリアの視線と眼力に、セレナは言葉を詰まらせ、息を呑み、これ以上は詮索しない、というように目を伏せた。


 オフィーリアはそれを確認すると、再びセレナから目を逸らし、部屋を出る。その後に続いてジェイとクラニオが部屋を出ていった。

 ひとり残ったカレンは、腹部あたりまで下がっていた布団をセレナの胸元までゆっくりと上げると、「お休みなさいませ」と小さく囁いて、部屋を出て行く。部屋には、主人であるセレナだけが残され、あとは静寂に包まれた。

 壁がけ時計の針の音だけが響く、静かな部屋で、セレナは歓喜と胸の痛みの両方を抱きながら、己のことだけを考えた。





 壊れかけの丸時計の鈍い針の音だけが響く、静かな教室で、ニコラオスは驚愕と激しい恐怖の両方を抱きながら、セレナのことだけを考えた。

 ミロワールに流していた魔力を止めると、その中に見えていた情景はふっと消える。


 空虚と化した水晶玉を力強く握りしめ、ニコラオスは複雑な感情を抱いていた。


 ほんの少し魔法の教授をしただけで覚醒の兆候が現れ、その翌日には覚醒したセレナ。それも、覚醒の発熱のためだけに、本来は動くはずのない大賢者が診察に赴いた、という事実。身内のことだから動いたのだと言えばそれまでだが、大賢者オフィーリアは、実の息子が覚醒の熱にうなされていた際に、息子の世話を傀儡人形に任せ、自分は王の命令でテオスを離れ、当時魔獣が住みついているとされた地に赴いていた、と言われている女だ。

 わざわざ姪のために、自ら離れた王室に訪れるなど、あり得ない。特別な理由があるというならば、考えられる可能性はひとつ。


 セレナの力が、オフィーリア程ではないにしても、常人以上にはあるということだ。

 彼女のを教えたニコラオスからして見れば、それは非常に誇らしいことなのだが、ディアヴォロスの人間の身から考えると、セレナはオフィーリア、ジェイ、クラニオに次ぐ第4の脅威となりうるかもしれないのだ。

 それはつまり、セレナがディアヴォロスの人間たちに狙われる可能性が高くなるということ。


 ニコラオスは、己の無力さを恥じ、悔しさをぶつけるようにミロワールを握りしめると、それは鈍い音を立てて砕け散った。

 砕けたミロワールの破片が手に刺さり、血が流れる。しかし、ニコラオスはそんなことはどうでもいい、というように目を伏せ、口を開いた。

「……俺が、の人間だったら……」

 せめて、自分が神族寄りであったなら、セレナが危険に晒されても守ることができるのに、と。そう考えて、ニコラオスはハッ、と我に返った。


 自分の考えに、心底驚いた。

 今まで自分が、ディアヴォロスの人間と境遇が違うことで傷付けられ、悔しい思いをしたことはあっても、それでも、自分が魔族に近いことを恥じたことはなかった。むしろ、この魔族の血を、誇りに思っていた。


 だが、今日に限っては、魔族に近く、貴族でも王族でもない、ただの男でしかないことが恨めしくて仕方ない。

 …この気持ちは、何だろう。温かいような、恐ろしいような。


 分からない。

 けれど、これだけは分かる。

「……死ぬなよ、セレナ」

 そう、俺は、彼女に死んでほしくないのだ。

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