第12話:蛍とロッキングチェア
「すぐに兵を」
「お待ち」
国王ジルリアの言葉をデーティアは遮った。右手をひらひらさせる。
「兵なんかいらなよ。相手は無邪気な子供じゃないか。子供は子供同士で遊ぶものさ」
デーティアが手を振ると窓が開き、風が吹き込んできた。
「あんた達はここでじっとしているんだね。後始末があんた達の役目だよ」
デーティアはベアトリスを連れて、窓から西の塔まで飛んで行った。
塔に着いたデーティアは、ビアンカの一件から封鎖されていた扉を、破壊した。ベアトリスとデーティアは階段を昇って行った。
デーティアが魔法でランタンに灯りをともすと、狭い階段の壁は真っ黒に煤け、足元に灰が積もっていた。
「可哀想に。ロタンダは階段に薪を積まれて、それに火をつけられて焼き殺されたんだね」
怒りを滲ませたデーティアの悲しい声が響く。ベアトリスはデーティアの手を更に強く握り無言のままだ。
「ほら、この足跡。最近のものだ。ビアンカや兵のものだね」
最上階に着くと、足元に小さな空間が開いた壁があった。
高さは踝の少し上あたり、横幅は大人の男の手よりやや広いくらい。
床には黒く煤けた金属の欠片が散らばっていた。
どうやらこれが、ビアンカが壊した食事用の扉らしい。
その前の僅かな空間は荒れ乱れていた。ここでビアンカは悪霊のロタンダに投げ飛ばされたらしい。
「そうすると、この塗りこめられた壁の向こうがロタンダの部屋だね。可哀想に」
デーティアは独り言ちる。
「炎は中まで入らなかったかもしれないけど、さぞ苦しかっただろうね」
そう言って右手を翳すと壁の一部が崩れ落ちた。
二人はロタンダの部屋に入って行った。
その部屋には煤けたロッキングチェアが揺れていた。煤けて古ぼけたぬいぐるみと人形が、ロッキングチェアを囲むように置かれている。
窓はないが、壁の至る所に小さな光る魔晶石が嵌められ、まるで瞬かない蛍の大群のように見えた。
魔力の強い、いつまでも子供のままの無邪気な王子様が、ただ独りで長い年月を過ごした部屋だ。
寂しさを埋めるため、暗闇から逃れるため、魔力で魔晶石を作っては壁に埋め込んだのだろう。乳母の話していた蛍の再現を試みたのだろうか。
体は消えても、心は、魂は塔に縛り付けられて、本当の蛍の光を求めて彷徨ったのだ。
「ロタンダに本当の蛍を見せたいわ」
ベアトリスが悲し気に言うとデーティアが肩を優しく叩いた。
「遊びに誘ってておやり。友達だろ?」
「ねえ、ロタンダ」
ベアトリスが呼びかける。
「遊びましょう。一緒に蛍を見に行きましょう」
「部屋から出られないんだ」
ロタンダの悲し気な声がする。
「いいえ、あなたは出られたでしょう?悪戯をしたじゃない?」
ベアトリスは明るくロタンダを誘う。
「出ると僕じゃなくなる。悪霊になって悪戯をして皆を傷つけるんだ」
「どうして?」
「ちゃんと出口から出ないと、僕は悪霊って言われるんだ」
ロタンダの幼い口調が悲し気に響く。
「本当に悪霊なんだ。誰かを喜んで傷つけちゃうんだ」
鳴き声が塔の部屋に響き渡る。
「ロタンダ、ロタンダ」
ベアトリスが必死に呼ぶ。
「わたくし達、夢の中で楽しく遊んだじゃない。あなたは悪霊なんかじゃないわ」
「ビー、大好きなビー」
ロタンダは泣く。
「君が大好きだよ。僕と同じ真っ赤な髪のビー。でもだめなんだ」
すすり泣くロタンダの声。
「初めての友達を傷つけたくない」
「ビー、出口を作っておやり。思いっきりね。こんな塔、ぶち壊しておやり!」
デーティアがベアトリスに命じる。
ベアトリスは両手に自分の魔力を集めた。デーティアからマナが注がれて、更に強大な力が溢れる。
その魔力の塊をベアトリスは一気に放った。
ドォン!
魔晶石を嵌めた壁が一瞬で崩れ落ちた。次いで塔そのものが崩壊し始める。
魔力の放出に圧倒されたベアトリスは、自分の体がふわりと浮くのを感じた。
デーティアがベアトリスの手を取って宙に浮かんでいる。二人は崩れ落ちる塔を見下ろした。
「さあ、ビー、誘っておあげ」
デーティアが優しく囁く。
「ロタンダ、もうあなたを閉じ込める塔はないわ。一緒に蛍を見に行きましょう」
闇の中に手を伸ばす。
その手を幻のロタンダが取る。
その姿は赤い髪のベアトリスと同じ年ごろの可愛い少年だった。顔には火傷の痕もなく、ベアトリスにもデーティアにも似ていた。暗紅色のシャツを着て、暗紅色と黒の縞模様の少し膨らんだ膝丈のブリーチズを穿いていた。
三人は手を取り合って、蛍のいる森の湖へ飛んだ。
湖の畔は明滅する蛍の光で埋め尽くされていた。
蛍は飛び交う。間断なく明滅し、音もなく。
「見て、ロタンダ。これが大群の蛍よ。綺麗ね」
「綺麗だね」
ロタンダの声が小さく響く。
「それに僕、悪霊になってない」
ベアトリスの手からロタンダの手が離れた。
「ああ、もう悪霊じゃないんだ」
楽しそうな笑い声がひびきわたる。
ロタンダの姿は薄れ縮み、ついには小さな赤い光となった。まるで赤い蛍のように。
明滅する蛍の大群の中、瞬かない小さな赤い光は飛び回り、ついには空高く昇って視界から消えた。
宙に浮かんだベアトリスは涙で濡れた顔のまま、ロタンダを見送った。
「おばあさま?」
「なんだい?ビー」
「ロタンダは自由になったのよね?」
「ああ、どこに行くのも、もう自由さ」
ベアトリスは泣いた。
それは喪失の涙であり、友への送別の涙であった。
蛍は明滅しながら飛び交う。
音もなく。
「ビー、知ってるかい?」
静かにデーティアは言った。
「蛍が光るのはね、求婚のためなんだよ。伴侶を呼んで光るのさ」
「わたくし…」
泣きながらベアトリスは言う。
「おばあさま、わたくしも結婚しなくてはいけないの?」
「王族の結婚は政治だからね。でもね、あんたの望まない相手には絶対にあたしはあんたをやらないよ」
ベアトリスはくすんと鼻を鳴らした。
「まあ、お待ち。そのうちあんたも自分を呼んでいる光に気づくだろうよ」
ベアトリスを抱きしめてデーティアは言う。
「今夜は泣いて、いつかはお笑い。ロタンダのためにもね。ロタンダは笑いが好きな男の子だったんだろう?」
ベアトリスは頷いた。
塔は瓦礫と化したが、ロッキングチェアと人形とぬいぐるみ達は無傷のまま地面に降り立った。
朝日が射すとロッキングチェアと人形とぬいぐるみ達はもろりと砕けて風に飛ばされていった。
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