第10話:ビーとロタンダ

 兵達の証言によると、回廊や庭園に出没するようになった不気味な人影はこうだ。


 髪は赤茶けていくつもの束になってざんばらに広がっている。

 顔には破れかけ汚れた包帯が巻かれており、そこから裂けて歯が見える口があり、笑っている。

 何百年か前に流行った少し膨らんだ縞模様の丈の短いブリーチズで、上着はボロボロ。


 報告をきいたデーティアは片手で額を押さえて考え込んでしまった。


 悪霊だって?悪意の欠片も感じない。

 現場に残るのは、無邪気な楽しさだ。子供?大人?そして血族の気配がする…


 ***


 ベアトリスが昔の夢を見るようになったのも同じ頃だった。


 ベアトリスは物心ついた頃から、夢の中で男の子と遊んでいた。

 男の子の名前はロタンダ。

 ぬいぐるみが好きで、楽しいことが大好き。

 石造りのお城に住んでいると言った。


 いつか蛍の大群を見るのが夢だと言った。


 夢のなかでベアトリスは誘った。

「もうすこし森の中に行ったところに湖があるの。そこは夏のはじめになると蛍でいっぱいよ。一緒に見に行きましょう」

 するとロタンダは悲しそうな顔になる。

「僕はこの部屋から出られないんだ。僕が悪い子だから」

「ロタンダは悪い子じゃないわ」

 二人はいつもぬいぐるみや人形で遊んだ。


 しかし、ベアトリスが六歳になる頃には、ロタンダの夢を見なくなった。

 そしてそのまま記憶は薄れていった。


 ビアンカの騒ぎのあった翌日、ベアトリスは夢を見た。

「ビー、大好きなビー。また会えたね」

 ロタンダがそこにいた。しかし半ば影に隠れて姿ははっきり見えなかった。


「ロタンダ!」

 ベアトリスはロタンダに駆け寄ろうとしたが、その瞬間、ロタンダの姿は消えた。


「ビー、ごめんね。前にみたいに近くへいけないんだ」

 後ろから声がする。

 振り向くとまた影をまとったロタンダがいた。


「なぜ姿が見えないの?どうしたの、ロタンダ」

「ごめんね、ビー。僕は悪霊なんだ。近づいたらビーも傷つけちゃう」


「ロタンダ!」

 ベアトリスは手を伸ばしたがロタンダの姿は消え、闇だけが残った。闇の中でロタンダの声だけが聞こえた。


 ロタンダはベアトリスに語る。


 ***


 僕は王子だった。この王宮ができる前のお城に住んでいた。楽しいことが大好きで、いつも笑って暮らしていた。


 十歳になったある日、お父様と仲がいい女の人に誘われたんだ。

「あなたの妹を見にいらっしゃい」って。

 僕は喜んで妹を見に行った。

 お母様はもう死んだのに妹ができたなんて嬉しかった。もしかしたら、お母様が生き返ったのかもしれないと思ったよ。


 女の人はお菓子を用意するから、赤ちゃんを見ていてねって言って部屋から出て行った。僕は妹を見に揺り籠に近づいたんだ。でもそこには誰もいなかった。

 僕は周りを見回した。


 そしたら女の人が部屋に入ってきて大声を上げたんだ。


「わたくしの赤ちゃんが!誰か来て!ロタンダ王子が姫を殺した!!姫を暖炉に投げ入れたわ!!」


 僕はとっても驚いた。


 違うよ、何もしてないよ。


 僕は女の人に言おうとしたら、突き飛ばされた。顔から暖炉に突っ込まれた。

 熱くて痛かった。


 気が付くと僕は真っ暗な部屋にいた。

 部屋には毛布とロッキングチェアしかなかった。窓もなくて真っ暗で、僕は怖くて泣いた。

 涙が顔の火傷に染みた。顔は包帯が巻かれていたけど、もう誰も僕の手当をしてくれなかった。ずっと痛くて苦しかった。


 真っ暗だから時間もわからない。ただ下の方にある小さな扉から、時々食事が差し込まれた。

 そのうち乳母が来てくれるようになったけど、部屋には入ってこられなかった。小さな扉から大好きなぬいぐるみ達や人形を入れてくれて、物語を聞かせてくれた。


 僕は蛍の大群の話が一番好きだ。夜なのに明るく光っているんだって。


 その乳母もいつしか来なくなった。


 僕はは夢見た。

 乳母が話した蛍の大群を見たい。


 部屋は真っ暗だったから、覚え始めた魔法で灯りの魔晶石を作った。いっぱい作った。そして壁に埋め込んだんだ。

 蛍の王国を作ろうとしたんだ。

 でも魔晶石は瞬かない。

 蛍の王国は作れなかった。


 どのくらい時間が経ったかわからない。

 ある日僕の部屋に煙が入ってきた。

 苦しかった。

 そのあと僕は自由になったんだ。

 体が浮いてどこにでも行ける気がした。

 僕は蛍を探しに行こうとした。


 でも何かが僕を捕まえて部屋に引きずり戻した。


 部屋の向こうで食事用の扉が塗りつぶされるのが分かった。


「悪霊よ。沈まれ」

 誰かが言ったんだ。

 僕はもう部屋から出られなくなった。


 それで僕はわかったんんだ。

 僕は悪霊になったんだって。


 長い長い間、僕はたった一人だった。


 あの夜、ビーが夢の中へ招き入れてくれるまで。


 大好きなビー。

 お願いだ。

 僕を助けて。僕を止めて。


 茶色の髪の女の人が扉を壊したから、僕の心の一部が外へ出るようになっちゃったんだ。


 僕の心の一部、そいつは悪霊なんだ。

 皆を傷つけて笑う悪霊なんだ。


 僕はその悪霊なんだ。


 ***


 白々とした夜明け、目覚めたベアトリスの顔は涙で濡れていた。


 ロタンダ。

 夢の男の子。

 わたくしの初めてのお友達。

 どうしたらあなたを助けられるの?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る