第24話 富国強兵への道
龐統から報告を受けた。
「郡太守たちが、すばやく人口調査を行ってくれました。益州のおよその人口が把握できました」
漢中郡 二十七万人
巴郡 百九万人
蜀郡 百三十五万人
広漢郡 五十一万人
犍為郡 四十一万人
牂牁郡 二十七万人
越巂郡 六十二万人
益州郡 十一万人
永昌郡 百九十万人
益州全体 六百五十三万人
「合計で六百五十万人ほどもいるのか。益州は辺境だと思っていたが、意外と人口が多いのだな。特に蜀郡、巴郡、永昌郡の人口が多い」
「この地は巴蜀とも呼ばれています。蜀郡、巴郡は特に豊かな益州の人口密集地帯です。永昌郡の人口も多いですが、あの郡は広く、人口密度は低いです」
「永昌郡は広大な地に人々が散らばって住んでいるということか。統治がむずかしそうだ。費禕は苦労しているであろうな」
「法正から、費禕はすぐれた政治手腕を持っていると聞いています。彼と話してみましたが、一を聞いて十を知るといった賢さがありました。当分の間、費禕に永昌郡の統治を任せてみましょう」
「士元、益州はどれほどの兵力を持てるであろうか」
「現在の兵力は十五万人ほどです。魏と戦うために、倍増させ、三十万の兵を養う計画を立てております。十万を州内の治安のために置き、二十万の軍を遠征させることができるようになります」
「兵を倍増させるとなると、民に大きな負担をかけることになるな」
「平時なら、三十万もの常備軍を持つ必要はありません。しかし、いまは戦時です。民には耐えてもらうしかありません」
「多くの文官も必要であろう」
「そのとおりです。富国強兵を成すためには、公平に税を課し、教育を施し、産業を振興し、道や城や砦を建設しなければなりません。軍人と文官の両方を育て、増強していく必要があります」
「むずかしい仕事であるが、よろしく頼む」
「はい。わたくしは仕事が道楽のようなものです。お任せください」
「無理はするな。士元に倒れられては困る」
「ありがたきお言葉。しっかりと睡眠を取るようにいたします」
私は、龐統が寝る間も惜しんで働いていることを知っていた。
益州の行政長官は、かなりの激務なのである。
魏延も張り切って働いていた。
昼間は馬忠や馬岱とともに兵の調練に励み、夜は兵器の研究にいそしんでいる。
ある夜、軍師室を訪れると、図面を見ながら、ひとりの男と熱く議論していた。
「夜遅くまでご苦労である、文長」
「若君もお疲れさまです」
「その者は誰だ。紹介してくれぬか」
「尹黙という名の学者です」
「尹黙思潜です。魏延様に頼まれて、新兵器の開発をしております」
「新兵器か。興味深い」
「鉄の兵器が発明されたとき、古い青銅の剣を使っていた軍は、鉄製の剣を導入した軍に完敗しました。新兵器を持つ軍は、寡兵でも大軍を倒すことができると考えております」
「素晴らしい。尹黙、もっと話を聞かせてほしい」
尹黙は白い髭を自分の指でつまみながら、熱心に語ってくれた。
「ひとつには、攻城兵器の改良に取り組んでおります。大型の攻城兵器は城攻めに欠かせないものですが、運搬が大変であるという欠点があります。簡単に分解して持ち運びができ、容易に組み立てられる攻城兵器を研究開発しております。また、矢を防ぐための屋根付きの衝車、破壊力抜群の鉄製の衝車なども考案しております」
すごい学者だ、と私は感心した。そのような兵器があれば、益州軍は、飛躍的に強くなることができる。
「また、連弩の小型化の研究もしております」
連弩とは、矢を連発できる兵器である。
「ひとりで持ち運びでき、ひとりで操作できる小型連弩は、少数の兵で、多数の兵に対抗できる兵器であります。魏の弓隊を圧倒するような連弩隊をつくれればよいと考えております」
「文長、尹黙は、すごいことを考えているようだ。それらの兵器は、実用化できそうなのか」
「尹黙はすぐれた技術者集団の長です。近いうちに、必ずや実戦で使用可能な分解式攻城兵器や小型連弩を生み出してくれると期待しています」
「まったくもって素晴らしい。尹黙、なにか希望があれば言ってくれ。必ず叶えるであろう」
「魏延様から研究開発費をいただいておりますが、やや不足しております。増額していただければ、短い期間で、新兵器を発明してみせます」
「文長、士元と相談し、研究開発予算を増額せよ」
「はい。明日、早速士元と話します」
尹黙はそれを聞いてうれしそうに微笑み、図面に新たな線を引いていった。
魏延と尹黙は、その後も熱く新兵器開発について語りつづけた。
私はそっと軍師室を出た。
頼もしい男たちだ、と思った。
益州全土を見て回りたいと考えた。
私は成都を龐統と魏延に任せ、親衛隊長の王平と精鋭百名の護衛とともに、益州視察の旅に出た。
漢中郡では、定軍山の麓で多くの馬たちが草を食んでいた。趙雲がつくった牧場だ。
趙雲は、成都から漢中へ行く途中にある大巴山脈にある桟道の整備も行っていた。
「子龍、そなたは単なる豪傑ではないな。行政の才もすごいものがある」
「郡太守を任され、戦闘以外のことにも関心が湧きました。自然とやるべきことが見えるようになってきたのです」
趙雲の目は澄み切っていた。
広漢郡の綿竹の荒野では、李厳が歩兵の調練を行っていた。苛烈で、兵は皆、苦しそうな表情をしていた。
だが、死者はほとんどいない。
「趙雲殿に教えられ、上兵、中兵、下兵に分けて、兵の能力に合わせた調練を行っております。厳しい訓練ですが、死人が出るほどではありません」
「他人のすぐれた意見を取り入れるのは、素晴らしいことだ。李厳、あなたは益州が誇る将軍になるだろう」
「劉禅様の期待に応えられるよう、これからも励みます」
李厳自身も、兵とともに汗を飛ばして走り回っていた。
兵たちは、李厳を慕っているように見えた。
巴郡の江州県では、馬超が造船所を建設していた。
「水軍のことを考え、船を自力でつくれるようになろうと思いましてね。俺は馬が好きですが、船も悪くないと思うようになりました。ときどき、船に乗って江水に乗り出し、釣りなどして遊んだりもしております」
「釣りとは、面白いのか」
「狩猟と釣りは、男の遊びとして、最高のものです。やってみますか」
私は馬超、王平とともに船に乗り、魚釣りをやった。
鯉が釣れた。
その夜、鯉を油で揚げた料理を食べた。
「曹操に負けて死にかけましたが、副総帥のおかげで、益州で悪くない暮らしをさせてもらっています。この恩は必ず返します」
「恩などと思う必要はない。馬超が参戦してくれたおかげで、劉璋殿は早々に降伏した。いまは、造船所の建設という事業を行ってくれている。私は馬超に感謝している」
「ははははは。俺は、好きなように生きているだけです。感謝されるような男ではありません」
馬超は笑いながら、鯉を食べ、酒を飲んでいる。
涼州で英雄と謳われた男だ。
益州でも、彼は伸び伸びと生きていた。
犍為郡では、孟達は新田開発に力を入れていた。
新たな水路を掘り、田を広げていた。
「国力を高めるためには、食糧を増産しなければなりません。私は犍為郡を豊かにすることにより、益州全体に貢献したいと思っています。いかがですか、この灌漑用水路は」
「よい仕事だ、孟達。そなたは優秀な将軍であり、郡太守である」
褒めてやると、孟達はうれしそうだった。
前世では、劉璋を裏切り、劉備を裏切り、曹叡を裏切り、最後には司馬懿に討たれた謀反の将軍。
しかし、有能で真面目な一面もある。新田開発はよいことである。
私は孟達を使いつづけるべきか、殺すべきか、迷っていた。
牂牁郡で、蔣琬は一千名の騎兵の調練を行っていた。
「蔣琬、あなたは文官なのに、騎兵の訓練をしている。なぜだ」
「この牂牁郡は、広大です。そして人口が少ない。賊が隠れやすく、治めるのがむずかしい地域です。いつ乱が起こってもおかしくはありません。そのときは、騎兵の機動力を活かして、平定したいと考えております。文官だからといって、軍事をおろそかにしていては、この牂牁郡は治められません」
蔣琬は自ら馬に乗り、懸命に駆けていた。
呉懿が、蔣琬の副将となって助けていた。この人事は、蔣琬から正式に申請され、私が許可したものだった。
蔣琬と呉懿を、私は頼もしいと思った。
益州郡では、董允は鉱山での鉱物採掘に注力していた。
「この益州郡は、資源の宝庫なのです。銀、銅、鉄、錫、鉛が産出されています。私はここで、金属採掘に努め、劉禅様のための軍資金をたくわえます」
「がんばっているのだな、董允」
「面白い仕事です、郡太守というのは」
董允は山々を歩き、鉱山を見回っているらしい。
すっかり日焼けして、逞しくなっていた。
永昌郡で私は、費禕から南蛮の王という異名を持つ男に引き合わされた。
孟獲である。
前世で諸葛亮と七度戦い、七度敗れ、七度放された男。七縦七擒により、諸葛亮に心服した。
「劉禅様、永昌郡には多くの異民族が住んでおり、孟獲殿の協力なくしては、この地を治めることはできないのです」
「あなたが劉禅か。子ども刺史として有名だ」
孟獲は堂々としていた。
「孟獲殿、無礼ですよ。劉禅様は、益州の主なのです」
「この地は僚族のものだ。漢民族のものではない」
費禕は私と孟獲の板挟みになって、困り果てていた。
「費禕、酒と果汁が欲しい。孟獲殿と話したい」と私は言った。
私は果汁を飲み、費禕と孟獲は酒を飲んだ。
「孟獲殿、独立が望みか」と私は言った。
「望みではなく、我らは現に独立している。僚族はこの地で狩猟採集をし、自立して生きている」と孟獲は答えた。
「後漢の明帝の時代から、永昌郡は漢の版図だ。私は益州刺史として、この地を治めなければならない」
「俺たちから税や兵士を取り立てようとしたら、叛乱が起こる。僚族は勇猛だぞ」
「あなたがたは米作をしていないから、米を納めさせようとは思わない。毛皮を収穫の十分の一納め、兵士を男子十人のうちひとり、益州兵として差し出しなさい」
「不愉快な命令だ。それは僚族に対する宣戦布告か」
「刺史として当然の要求をしているだけだ。私はこの地に善政を敷きたい。僚族が毛皮を納め、徴兵に応じたら、それ以外のことは求めない。あなたがたの生き方を尊重する。僚族は民族の誇りを失うことはない」
「俺たちは自給自足の生活をしている。税など払わん」
「半年の猶予を与えよう。もし従わないのなら、戦うしかない。益州の正規兵と戦うか、孟獲」
孟獲はしばらく考え込んでいた。猪突猛進なだけの男ではなく、思慮があるようだ。
「持ち帰って、仲間と話す。半年間は戦を仕掛けてこないのだな」
「ああ、よく考えてほしい。適正な税を払って平和を得るか、税を拒否して、戦争をするか」
孟獲は酒杯を空け、立ち去った。
費禕は私の目を見つめていた。
「劉禅様、孟獲と戦うおつもりですか」
「彼が従わないならば」
「私は反対です。放置しておけば、害はありません」
「だが、孟獲が従えば、益州は大きな利益を得る。国力は増大する」
「州内での戦いは、逆に益州を疲弊させます」
「費禕、そなたの考えはよくわかった。私も孟獲との話し合いを成都に持ち帰り、龐統や魏延と相談することにしよう。費禕は当分の間、平和的に永昌郡を治めよ」
「はい」
「この地の統治は、本当に大変なようだ。苦労をかけるが、よろしく頼むぞ」
費禕はうなずいた。
越巂郡へ行き、郡太守の張松に会った。
私はずっと孟獲との会談のことを考えつづけていた。
張松に永昌郡で孟獲と語ったことを伝えた。
「この越巂郡にも、僚族は住んでいます。異民族を力で統治するのは危険です。私は米と毛皮を交換するなどして、少しずつ僚族を漢民族に馴染ませようとしています」
それもひとつの方法だ、と思った。
諸葛亮だからこそ、七縦七擒などという離れ業ができた。
孔明がそんなむずかしい戦いをしたのは、夷陵の戦いで呉に大敗し、益州南部の異民族を服従させる以外に、国力を回復する手段がなかったからだ。
兵とは国の大事なり、と孫子は言っている。
不要不急な戦争はすべきではない。
異民族の独立を認めるべきなのかもしれない。
私は成都への帰路についた。
益州は広い。
見て回ってよかった、と私は思った。
富国強兵の道は着々と進んでいる。その一方で、異民族統治の問題を抱えている。実地を見て、益州の現実をよく理解することができた。
「王平、ご苦労であった。そなたと親衛隊のおかげで、私は安心して州内を視察することができた」
成都城の城門をくぐったとき、私は王平をねぎらった。
彼は私に黙々と従って、護衛をつづけてくれたのだ。
王平は微かに満足そうな笑みを浮かべた。
無口な親衛隊長を、私は心から信頼していた。
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