第21話 張飛と張哀
新人事が発表され、張飛は荊州大将軍になったが、彼はすぐには荊州へ行かなかった。
「若君、俺は益州に心残りがあります。若い将軍を育て、騎兵隊をもっと精鋭にしたかった」と張飛は私に言った。
「張飛、気持ちはうれしい。しかし、父があなたを必要としているのです」
「はい。俺は劉備兄貴のもとへ帰ります。しかしあと一か月だけ益州に残ります。調練をやらせてください」
「それはありがたい。よろしくお願いします」
「三千の騎兵を徹底的に鍛えます。そして、馬忠を一人前の将軍にしたい」
「馬忠を?」
「俺はあの男の明るさが気に入っているのです。ああいう男が率いる兵は、強い」
「馬忠を呼びましょう」
成都城の益州刺史室で、私と張飛、馬忠が向かい合った。
「張飛様、大将軍就任、おめでとうございます」と馬忠がにこにこしながら言った。
「おう。おまえも正式に将軍になったではないか。よかったな」
「はあ。僕には荷が重いですが」
「そうだな。おまえはまだまだ甘い。俺が鍛え直してやる」
「えっ、張飛大将軍が、僕を直接鍛えてくれるのですか」
「そうだ」
「うれしいことです」
張飛は馬忠を睨んだ。
「俺が怖くないのか。俺が本気で調練をすると、兵が何人も死ぬ」
「怖いです」と馬忠は答えた。
「でも、将軍も兵も強くならなければ、蜀は魏に勝てません」
張飛が笑った。
「よくわかっているではないか。蜀はもっと強くならねばならんのだ」
それから、張飛は馬忠とともに、三千の騎兵の調練を行った。
益州の原野を連日駆け回った。
張飛は馬忠に剣の稽古もつけてやっていた。
荊州大将軍は鬼神のごとき強さで、益州の若い将軍は、さんざんに打ちまくられている。
馬忠は全身傷だらけになった。
私はときどき張飛と馬忠に会い、話し合った。
「張飛、馬忠、お疲れさまです」
「俺はちっとも疲れていません」
「僕はへとへとです」
馬忠は確かに疲れているようだったが、顔は笑っていた。明るい将軍なのだ。
「馬忠、騎兵とはなにか、わかってきたか」
「疾風のように走り、敵兵を切り裂くのが、騎兵です」
「そうだ。三千の騎兵が、一糸乱れずに駆ければ、三万の歩兵を蹴散らすことができるのだ」
張飛の言葉は力強かった。
「かつて、中原に呂布という男がいた」と張飛が語った。
私と馬忠は聞き入った。
「怖ろしく統率の取れた強い騎兵隊を率いていた。呂布自身も豪傑で、赤兎という名馬に乗っていた。あの男ほど強い武将は他におらず、あの騎兵隊を超える軍隊は他になかった。その呂布ですら、曹操に敗れた。蜀は、その曹操を倒さねばならんのだ」
「呂布……」と馬忠がつぶやいた。
「馬忠、俺は荊州で、呂布軍に勝るとも劣らぬ騎兵隊をつくるつもりだ」
「張飛様になら、できるでしょう」
「おまえも、つくれ」
「僕も? あはははは、冗談ですよね?」
「やるんだ、馬忠。おまえのような若い将軍が伸びなければ、蜀は強くなれん。俺や関羽兄貴、趙雲は、若い世代が成長するのを望んでいる」
張飛は、温かい目で、馬忠を見ていた。
「張飛様……」
「益州には趙雲や馬超がいる。俺が荊州へ去った後は、やつらに学べ。そして、もっと強くなれ、馬忠」
「はい。僕はやります、張飛大将軍!」
一か月間、張飛は馬忠と騎兵隊を鍛えつづけた。
そして、張飛が成都を去る日がやってきた。
建安十九年の春のことである。
張飛は美しい少女を連れて、益州刺史室に別れのあいさつに来た。
彼女は、長坂の戦いのときに私と母を助けてくれた張哀であった。
いま、私は八歳で、張哀は十二歳である。
「劉禅様、あたしを憶えていますか」
「張哀、あなたのことを忘れたことはありません。あなたは勇敢で、そして美しい」
私は思ったとおりのことを言い、張哀の頬は赤くなった。
「若君、劉備兄貴からの手紙を預かっています。読んでください」
張飛は私に手紙を渡した。
私はすぐに読んだ。
禅よ、元気か。
しっかりと益州を治めよ。
そしていつか、ともに魏を攻めよう。
ところで、わしと張飛とで話し合って決めたのだが、張哀と婚約せよ。
張飛は我が義弟である。そして、その娘、哀と禅には縁がある。
張哀は、新野で、そなたを助けた。
結婚相手としてふさわしいと思う。
張哀を成都城に住まわせよ。
そしていずれ、結婚するのだ。
私は驚いた。
張哀と婚約?
「張飛、この手紙の内容を、あなたは知っているのですか」
「知っております」
「もしかして、張哀も……?」
「はい……」
張哀は、耳まで真っ赤になっていた。
「劉禅様、あたしと婚約するのは、嫌ですか?」
「嫌ではありませんが、私もあなたもまだ子どもではありませんか」
「若君、年齢など気にしないでください。俺の娘と、婚約していただきたい」
張飛が、ギロリと私を睨んだ。
断ったら、斬られそうな迫力がある。
「わかりました。張哀と婚約します」
「よかった。娘を成都城に残します。哀、若君に尽くせよ」
「はい。一生、劉禅様に尽くします」
そういうわけで、張哀は成都城に住むことになった。
私の食事の世話などは、侍女たちがしているのだが、張哀は子どもながら、侍女の指揮をするようになった。
私たちは子どもなので、男と女のことは、まだしていない。
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