領主の娘はひろい世界に憧れているようです 6
キリシャの朝はとっても早い。
メイドや
一人でドレスに着替え、昨晩確保しておいたパンをくわえて屋敷を抜け出す。
家族とは顔を合わせたくなかった。メイドにも、家令にも。
だって、家の中には味方がいない。
4年前まではこうではなかった。
キリシャには母がいた。
ひょうきんで、明るい人で、よく一緒に下手な歌をうたったものだ。
だけど母は死んでしまった。
それについては、もう悲しむのを止めた。
受け入れなくては。死はこの世にありふれている。
だけど、受け入れられないこともある。
――どうして一度動き出した『状態』は変化を止めてはくれないのだろう。
母が死んで、キリシャの日常は変化した。
その日常を受け入れた頃、次の変化が訪れた。
父が再婚し、
新たな母は、性悪というほどではないが、情の薄い人だった。
父は新たな妻に夢中になった。
その日々にもやっと慣れた頃、また次の変化が訪れた。
母違いの妹の誕生。双子だった。
父は新たな娘たちに夢中になった。
キリシャは唯一の子供ではなくなって、メイドや家令たちの態度が変わった。
変化、変化、変化、変化――また変化。
今度こそ、ここで変化は終わりだろうと思ったら――今度はキリシャに結婚しろと言ってくる始末。
また変化だ。
キリシャは悟る。
一度動いてしまった状態は、もう二度と、止まってはくれないのだと。
――変わらぬものがほしかった。
永遠に自分の隣にいてくれるもの。
心変わりなど有り得ない、絶対不変の愛を誓ってくれるもの。
だからキリシャは屋敷の宝物庫に忍び込み、一冊の
それに宿る魔法は『
魔獣に忠誠を誓わせる、希少な魔法。
この魔法さえ使えれば、人外たちがいつでもずっと、自分のそばにいてくれる。
切実な思いを胸に『
永遠に変わることない『お友達』――やっと手に入れた安寧だった。
この世は変わりゆくものだけど、森には変わらぬ場所がある。
たゆまぬ努力の果てに手にいれた――だけど、それは、どこかむなしくもあった。
ふと、キリシャの脳裏をある老人の姿がよぎる。
このところ、ずっとキリシャをたずねてくれる『おじいさん』。
「おじいさん、今日も森に来てくれるといいですが」
だけど期待はしないでおこう。
この世に変わらぬものはない。
**
「こんにちは、お嬢さん」
俺は今日も老兵の姿に化け、森を訪ねた。
「おじいさん! お待ちしていたですよ!」
にこーって。
はぁ……いい。
「おじいさん、こないだのお礼に今日はキリシャがチョコを作って来たですよ!」
キリシャは自慢げに
「おお……! それは嬉しい!」
「カカオからつくったわけではないですので、厳密にはキリシャの手作りとは言えないかもですが……」
「いえ手作りです、それ十分手作りですから。スイーツ作りの過程にカカオの生育は含まれていませんから」
俺はキリシャと並んで、いびつな形のチョコにかぶりつく。
……甘くない。
あれ、なんだろうこれ……。
なんか苦味と一緒に変な深みが――。
「あちゃー! キリシャ砂糖とグルタミン酸塩を間違えてしまったですよ!」
「通りで濃厚なうま味成分が……い、いえ、でもおいしいですよ! とってもおいしいですな!」
「おじいさんに喜んでいただけてキリシャは嬉しいですよ! ではチョコは全部おじいさんに差し上げますね! キリシャはごめんです!」
「…………」
俺は残さずチョコを食べた。
それからもしばらく、俺はキリシャと一緒に過ごした。
鼻歌を歌いながら、調伏した鳥たちと遊ぶキリシャ。
無邪気な少女の姿に、俺はほっこり息をついた。
「あいたっ! ……うぅ、転んでしまったですよ」
足をすべらせ、仰向けに転倒するキリシャ。
「おやおや、大丈夫ですかな」
手を差しだしながら、俺はスカートが派手にめくれ上がった下半身に目をやった。
はいている下着は小さく、布が大事な場所に食い込んでいる。
小さな
愛でたくなったり喰いたくなったり忙しない。
この趣味嗜好の揺らぎはおそらく『ミラー』の影響だろう――などと言い訳してみる。
……しかし、キリシャは寂しくないのだろうか。
どれだけ知能があるかもわからない魔獣たちだけが、彼女の唯一の『お友達』。
他にキリシャと一緒にいてくれるのは、老人に化けてる俺と、それから――。
「お嬢さんはユータロウさんのどんなところがお好きなのですか?」
俺はふと聞いてみた。
「ユータロウの好きなところですか? そんなの決まっているですよ! 安定感です!」
「安定感?」
転生者に安定感などあるだろうか――?
「はい! だってユータロウは多分病気になったりしないですし、不慮の事故で死んだりしないですし、なにがあってもなんだかんだで最後は勝ちそうですし! 波瀾万丈に見えて、実はこの世で一番安定しているですよ!」
「ああ、なるほど……」
物語の主人公は、矢に当たって死んだりしない。
流行病で死んだりしない。
雑魚敵にやられたりしない。
急に悪徳に目覚めたりしない。
根底の部分では不変が約束されている。
なるほど、俺はキリシャが求めているものがわかったような気がした。
この子は
安心が欲しい。
安寧が欲しい。
穏やかに息つける場所を求めて、キリシャは旅立とうとしている。
安定しているユータロウと一緒に、世界の果てへと。
「お嬢さん、今度ユータロウさんに会ったらこれを渡して欲しいのですが」
俺は懐から封筒を取り出した。
「ファンレターですか?」
「いえ、違います……――これにはモンターヴォに関する情報が記してあります。ユータロウさんの助けになればと思い、昔のつてをたどって手に入れました。ユータロウさんには絶対勝っていただいて、お嬢さんを救い出してもらわなければいけませんからな!」
「おじいさん……! キリシャのためにありがとうですよ! 絶対渡しておくです!」
キリシャは感動した様子で封筒を頭上に掲げた。
「キリシャは、もうすぐユータロウと一緒に世界の果てにいくですよ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます