神官ミリアは神の言うことしか聞きません 15

 ミリアには本当の両親の記憶はない。


 二人とも、ミリアが生まれてすぐに流行はやり病で死んでしまったらしい。

 

 孤児となったミリアを引き取り養育したのは、クィーラ教の男性神官。


 ミリアは自分を育ててくれた養父を心から尊敬していた。

 何よりも、誰よりも。


 だけど正直、理解できないところもあった。


 彼の信仰はあまりに厳密過ぎたのだ。


 戒律かいりつ通りの質素な生活。信仰の型を破る者は容赦なく罵倒した。


 時代遅れの原理主義。


 人はかげで養父を罵った。


 ”あれはおよそ人ではない。祈りを捧げることしかできない機巧からくりだ。”


 ミリアは悔しかったが、賛同できる部分もあった。

 

 養父はちょっと、融通ゆうずうがきかな過ぎるのだ。


 もっと鷹揚になってみてはどうかとミリアは言った。

 だけど養父が娘の言葉に耳を貸すことはなかった。


 ミリアは思った。――自分の代では変えようと。


 時代に合わせた寛容なる信仰を、街に愛される教会をつくろうと。


 そんなある日、ミリアの養父は亡くなった。


 祈りの途中で倒れ、それきり二度と起き上がることはなかった。


 養父を失い一人になったミリアは、失意の中でふと気になった。


”私の本当の両親はどんな人だったんだろう?”


 ミリアは何度かそれを養父にたずねたことはあったが、教えてくれなかったのだ。

 養父に悪いと思って、ミリアもしつこくは聞かなかった。


 だけど一人になると、ミリアは実の両親のことを知りたくて仕方なくなった。


 自分の血縁ルーツをたしかなものにしたかったのかもしれない。


 ミリアは街の古参の住人に聞いて回った。私の本当の両親はどんな人だったのですか、と。

 

 街の人は答えてくれた。


『あなたの父親は力持ちの心優しい粉ひきで、母親はとても元気な人だった。誰からも愛される素敵な夫婦だったのよ』と。


 それを聞いて、ミリアの胸には喜びが満ちあふれた――だけど、知りたくないことも知ってしまった。


 ミリアの実の父親は、人殺しだった。

 

 実の父は若い頃、荒くれ者同士の喧嘩の仲裁に入り、その怪力ゆえに、あやまって人を殺してしまったという。


 実の父は法で罰せられはしなかったらしい。

 事情が加味され、領主による恩赦が下されたのだ。

 

 だが、それを知ったミリアは茫然自失となった。


 ”実の父は人殺し……”


 罪の意識に苛まれた。


 この五体には、人をあやめた者の血が巡っている――。


 ミリアは何度も自分に言い聞かせようとした。


『自分と実の父は別の人。血がつながってるとはいえ、出会ったこともないのだから』と。


 だが、実の父親とのつながりは否定できなかった。

 日々の生活の中で、否応なしに血縁を意識させられた。


 たとえばミリアは女としてはかなり力が強い。子供くらいならたやすく高く持ち上げることができる。

 この力は、『力持ち』であったというという実の父から受け継いだものだろう。 

 

 つながりの否定はできない、とミリアは諦めた。

 自分に宿る罪を認めよう、と。


 そう決意してから、女神クィーラに祈る時間は長くなった。


 彫像の前で膝まづき、両手を合わせ、ミリアは祈り続けた。


 気がつくと、ミリアは養父と同じ、苛烈な信仰の道を歩んでいた。


 そんな日々の中で、ミリアはふと思った。

 

 ――もしかして、養父も咎人だったのではないだろうか?


 罪の意識があるから、養父はあんなにも熱心に祈ることができたのではないか?

 

 咎人だからこそ、咎人の娘であるミリアを引き取ったのではないか?


 憶測に過ぎなかったが、ミリアは半ば確信していた。


 祈りとは嘆願だ。

 

 ――神様、罪深き私を許してください、どうか、どうか、どうか……!

 

 罪の意識が、人を神の元へ走らせる。


**


 一人祈りに生きるミリアの元に、ある日転生者ユータロウが現れた。


 女神クィーラに愛される彼――ミリアは強くひかれた。


 ――だってユータロウは人殺しだ。


 デミ・ヒューマンの殺戮者。

 人を殺しているのに、ユータロウは女神に深く深く愛されている。


 ユータロウを見ていると、実父や養父、そして自分の罪まで女神に許されるような気がした。


 この人にすべてを捧げてもいいとさえ思った。


**


 ユータロウの登場から少し遅れて、ミリアの元にある子供が訪れた。


 何度も教会を訪ねてきてくれる『子羊さん』――事情がありそうだったので、ミリアはあえてこの子の名前を聞かないことにした。 


 両親がいないという彼――自分と同じ境遇を持つ彼に、ミリアは共感を抱いた。


 彼も寂しいから教会を訪ねてくるのだろう。


 自分に甘えてくれる『子羊さん』がかわいくて仕方がなくて、ミリアは何度も彼を抱きしめた。


 赤ん坊にそうするように、大事なところを吸わせてあげたりもした。


 『子羊さん』はミリアの元に、たくさんの人を連れてきてくれた。


 ラーニャ、ルビィ、リュー。

 それに大勢の街の人々。


 『子羊さん』と出会ってから、ミリアはたくさんの人と話した。


 そしてミリアは気づいた。

 ミリアはずっと、自分は罪の意識に苛まれていると思っていたが、それは違ったのだ。


 自分を真に苛んでいたのは――孤独なのだと。


 一人でいるから同じことを考え続ける。

 自分の言葉が自分の中に堆積し、なにも聞こえなくなる。

 他の意見を取り入れないから、自分を包む殻が厚く重くなっていく。


 それに、気づかせてくれた『子羊さん』はミリアにとっての宝物だった。


 だが女神クィーラはミリアに、そんな『子羊さん』を殺せと命じた。


 悩み、苦しんだ。

 幼い頃からミリアのそばにあった女神の命令なのだ、実行するしかないのでは――?


 だけど、ミリアは『子羊さん』を殺せなかった。

 

 自分の心に嘘はつけない。


 殺したくない失いたくない――たとえ自分が地獄に堕とされようとも、この子を殺すなんてできない!

 

 信仰に勝る意志。 

 覚悟に突き動かされて、ミリアは『子羊さん』を連れ出した。


 神にも、そしてユータロウにも失望した。

 子供を殺そうとするなんて……!


 不浄のトロルだから殺す? ふざけるな。


 絶対に、なにがあっても守ってみせる――!


**

 

 勢い込んで『クーラ』を飛び出したはいいものの、準備不足のミリアはすぐ街に出戻ることになった。


 ミリアと『子羊さん』は、ラーニャの教会に保護された。


 異教徒の自分までかくまってくれたラーニャ。

 泣いてしまいそうになった。


 やはり、クィーラ教からユーヴァ教にコンバートするべきだろうか――ミリアは悩んだ。


 ベッドの中でも、ミリアは悩み続けた。

 

 冷静に考えれば、コンバートしない理由はないのだ。


 女神クィーラのことを、ミリアはもはや愛していないのだから。


 だけどミリアは決断できなかった。


 信仰を変えてしまったら、自分と養父をつなぐえにしが消える。


 それに娘の自分がコンバートしてしまったら、今女神クィーラの身元にいる養父が、天でどんな立場におかれるか――。



『ミリアよ』


 声に、ベッドでまどろんでいたミリアはハッと目を見開いた。


 聞き違えるはずもない。


 それは養父の声だった。


 自分を育ててくれた人。

 もう会えないはずの人。


 すぐに身を起こし、声をあげ、抱きつきたかった。


 どうして死者が地上にいるのか、そんなことはどうでもよかった。

 ただ今は、養父の胸に飛び込みたかった。

 

 だけどなぜか体は重い。

 寝返りをうつのも辛い、声も出ない。 


 せっかく養父が来てくれているのに……!


 養父はそんなミリアの頭に手をのせた。


 ゴツゴツとした男の手で、ミリアを撫でる。


 優しく、娘を慈しむ


『生きてるうちに、もっとお前にこうしてやるべきだったな。お前を愛していると、ちゃんと伝えるべきだった』


 じわっと、ミリアの目に涙がにじむ。


『ミリアよ、実は私は今クィーラ様の身元を離れ、ユーヴァ様の身元にいるのだ。クィーラ様のお考えに納得できないところがあってな。お前の実のご両親も一緒だぞ。――だからお前も好きにするといい』


 父はミリアの手を握る。


『自分の道を行きなさい。自分の人生を生きなさい。――愛しているぞ、娘よ』


 それだけ告げると、父は身を翻した。


 去りゆく父――ミリアは力を振り絞って身を起こし、声を出す。


「お父さ……わた、しも……愛していま……す!」


 振り向いた父の口元には、かすかな微笑みが浮かんでいた。


 生まれて初めて目にする父の笑顔――その記憶を、ミリアは生涯忘れることはないだろう。



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