ギルド・マスター


 武器と防具を得たファレシラは千手観音がもぐら叩きをするように死神を切り伏せた。


 どうも分身に絶対防御は無いようで、常世の女神がどこに分身を登場させても手近な歌が青く光る棒で首や胴を切り飛ばす。ファレシラたちの分身は全員が鑑定・連打を受けていて、叡智は俺の隣で黒髪から湯気を上げながら近未来予知をしまくっていた。相当の負荷があるようで、こめかみには青筋が走っていたし、体を小刻みに震わせ脂汗を流している。それでも常世は転移をしまくり、叡智の予想をくぐり抜けてファレシラの分身に一撃を入れていた。


 さすがは星々を包む「空間の女神」だ。ファレシラが上位の神と戦えているのは鍛冶の神が鍛え直した鎧と棒のおかげだろう。


 常世も懸命に反撃していたが、分身の蹴りも打突も、鎧の守りをほとんど削れていなかった。たまに突破され腹に穴を開けることもあったが、別のファレシラが棒を振り回して反撃に出る。


「残り7億HP……6億9千999万……」


 アクシノが俺たちにカウントダウンし、少しずつだが死神のHPが減っていく。死神の分身が10人まで減り、ファレシラは嬉しそうに笑った。


「よしッ」


 数が減ると、鎧の性能差は一気に致命的になった。黒い和服しか装備していない死神たちはあっという間に5人まで減り、3人になり、ついに1人になった死神は迷宮の壁際に追い詰められた。


 あれが本体ということだろう。常世の女神はファレシラの分身たちにタコ殴りにされたが、すべての攻撃を絶対防御の壁で受け流した。


「勝負ありだな……常世にはまだ5億HPほど残っているが……」


 叡智がやりきった顔で額の汗を拭う。大量のファレシラたちが殴るのをやめた。


 四方から歌の分身たちに青白く光る棒を向けられ、常世の女神はファレシラたちの中央に立つ1人に言った。


「……わくわく。ついにここまでか」

「もう、そんな無表情でわくわくしないでくださいよ」


 ファレシラの分身が消え去り、本体ひとりだけが残る。歌は棒を下げ、ため息をついた。


「常世ちゃんが死んだら星々はどうなります? 〈月〉のアレじゃあるまいし、わたしは誰も死なない世界なんて望みません。わたしたちが目をかけたいくつかの命について、死神さんに『ちょっとだけ待って』とお願いしてるだけです」

「……確かに聞いたよ」

「なんです? もしかして、今のをわたしに言わせるのが狙いだったのです? わたしは500年前からいつも何度でも言っていますし、考えを変えるつもりはありません」

「しかし、眷属の前で言わせたかった」


 常世の女神は一瞬だけ俺に目線を送り、


「……ん。まんぞく。歌にこの子を返す」


 自分の前に〈常世の倉庫〉の入り口を開いた。家のドアほどある長方形の出入り口は白く輝き——黒猫の獣人がひょっこりと顔を出し、不思議そうな目で入り口から外を見回す。


「ママ……」


 ミケがつぶやいた瞬間、俺たちを覆っていたガラスのドームが粉になって崩れた。雪のように降り注ぐドームの破片をかぶりながらミケは駆け出し、神々の戦いで陥没したり隆起した床に足を取られながら母親の元に走った。少し遅れてラヴァナさんも走る。


 女神ファレシラは母親に抱きつく子猫を見届けると優しく微笑んだが、黄緑色の髪は戦いのせいでぼさぼさだったし、頬や額には切り傷があった。


 ファレシラはにゃーにゃーと泣く子猫を満足気に見つめた後、少し疲れた顔で俺たちを見回し、ミケでも俺でもなく、母さんに目を留めて言った。


「——さて、終わりです☆ 勝ちました♪ でもでも、この鎧はちょっと異常に頑丈なので、外界に残すと常世ちゃんがまたワクワクしてしまいます☆ 棒はともかくこの鎧はわたしの物としますが、怪盗さんは構いませんか?」


 母さんがおずおずと頷くと、ファレシラは深い溜め息をついた。鎧の代わりとばかり〈ひのきのぼう〉を母に押し付け、鍛冶アイワンに向き直って言う。


「……それでアイワン、あなたも満足しましたか? わたしは今から“上”に向かわねば。新米のクソ神が村でハッスルしてやがりますから、世界神としてぬっ殺さないと」

「はい。カオスが作ったもう一着のカタキを取れました。鍛冶の神として、『猫返し』の銘に込められた願いを成就させてやれた……」


 俺は意表を突かれて鍛冶の男神に目を見張った。確かに俺はポコニャさんの鎧に猫返しの呪文を書き込んだが、この人はそれで手助けに来てくれたのか?


 隻眼のドワーフは俺に親指を突き立てると光の泡となって消え、それを合図にファレシラと常世も消えて無くなる。


「……なんにゃ? あちしはてっきり死んだと思ったが……なにがあった?」


 倉庫を抜け出したポコニャさんがニャーニャーと泣く子猫を撫でながら首をひねった。破壊された鎧の下で剥き出しになった脇腹をさすり、不思議そうに周囲を見回している。


「その通りだよ、ポコニャ。ワタシの子。おまえは一度死んだ……我は叡智アクシノである」


 ひとり残った叡智が口を開き、厳粛な口調に俺以外の全員が頭を下げた。ミケまで地面に額をつける勢いで礼をしている。


 ファレシラと同様アクシノも疲れた顔をしていて、唇は切れていたし、黒髪から枝毛が飛び出していた。


「さて、ポコニャ。おまえに冒険のニケからの伝言がある」


 アクシノは咳払いして言った。


「おまえは迷宮の敵どもを〈長雨〉の魔術で蹴散らし、また、ギルドマスターのフェネとともに敵を爆死せしめた。さらにはワタシの予言に屈せず娘のために命を投げ出した『大冒険』を讃え、女神ニケの名において、おまえをCランク冒険者に昇格させる。

 そして、もうひとつ——勇敢なる村長フェネは〈月の神〉たる『首吊りの木』を前に討たれてしまったから、今からおまえがウユギワ村の新たなギルドマスターとなり、同時に村長を兼務して皆を指揮しなさい。拒否はできない。その代わり、ギルドマスターは例外なくニケの加護を得るので、おまえは冒険のニケの眷属となった。

 ——以上のことは、ワタシの神託によって村人全員に通知される」

「……にゃ?」


 アクシノは言うだけ言うと光の泡になって消え、即座に脳内へ通知が響いた。内容は宣言した通りのもので、フェネ村長が死んだこと、ポコニャさんが新しい村長になったという内容だった。


「にゃ! ママが新しい村長になった!」

「にゃにゃ!? ちょっと待て……意味がわからねえ!」


 ミケが嬉しくてたまらないといった顔でポコニャさんに抱きつき、ムサが黒猫に叫んだ。


「やべえ……ポコニャさんが俺らのボスだ! ——ねえボス、ギルドに結婚相談所を! フェネ婆さんは『無駄』って却下したけど……」


 母さんは嫁が蘇り大泣きしている双子の兄をなぐさめていて、父ナンダカが場を引き締める。


「おい、おまえら落ち着け。よくわからんが、とにかくポコニャは助かった。しかし俺たちは、未だにウユギワ迷宮の最下層にいる」


 ナンダカの言葉に新しい村長が黒い猫耳を持ち上げた。


「おいナンダカ、今はどんな状況——あ、いや、いい。今、叡智様が神託を——」


 ポコニャさんはヒトの両耳を抑えて神託を聞き、


「……にゃるほど。ダンジョン・ボスは酒場のシュコニが命がけで倒して……? そんで叡智様が、カオスに頼んですぐ地上に戻れって。どういう意味にゃ? ……ルガウの願い?」


 叡智アクシノは俺になにも神託しなかったが、察しはついた。


 服屋のパルテを助けた礼にもらった黒革のパンツに手を突っ込む。ポケットには道具屋のルガウ少年からもらったアイテムがあった。


 とても疲れていた。ずっと不安だった計画は、ダメかと思ったがどうにか成功した。


 MP枯渇でふらつく体に活を入れて折りたたんだ羊皮紙を取り出すと、全員が俺の「常世の切符」に注目した。


「迷宮の入り口まで帰ろう……大丈夫、叡智によると〈本物〉だから集まって。俺から半径5ケドゥアメートル以内に居ないと取り残されるよ」


 大団円とは言えないクエストだった。


 フェネは死んだし、シュコニも死んでしまった。俺に切符をくれた道具屋のルガウ少年にしても、兄貴2人が両方死んだと伝えられたら泣くだろう。


 でも後悔は後にしよう。迷宮に入って4日も経っているし、今はただ、休みたい。


 俺は常世の切符を破った。瞬間、転生部屋を思い出させる真っ白な空間が見える。



 瞬きする間に俺たちは迷宮を抜け出して——大量の魔物と、茨のような黒い蔓草に覆われたウユギワ村を前に、まだ敵が残っていたのを思い出した。



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