白い触手
震災から数えて3日目が終わろうとしている。
村長の倉庫を出た俺たちは比較的楽に19層を抜け、そこから半日以上をかけて20層を探索していた。
第20層はかなり広く、父さんたちの攻略が長年ここで止まっている理由がよくわかる。ディズ●ーランドが建てられそうな広大な空間の中には大量の細い通路があり、魔物が潜む小部屋がひしめいていた。
新しい敵としてはガーゴイルという岩の鳥やら、ホブゴブリンという大型のゴブリンが出現した。3層から17層までスキップした俺とミケはシラガウトとも初めて戦った。
ガーゴイルはかなり残念な魔物で、狭い通路や小部屋で「飛べる」という能力は無駄でしかなかった。体も鳩と同じくらいで脅威を感じない。俺や村長が
一方、ホブゴブリンは毛無しの武装したゴリラのような見た目で、灰色の肉体は筋骨隆々、なかなか強そうな予感がしたのだが、誰より早くナイフを振ったミケがみじん切りにしてしまった。
一番面白かった相手はシラガウトで、唐辛子の粉末を撒き散らすコイツは炎系の呪文を使うと揮発成分を撒き散らし、悲惨な結果を生むそうだ。村長のフェネにコツを教わった俺は遠くから水攻めして窒息死させ、村名産の唐辛子をゲットできた。
ただ、そうした新参との戦闘はほとんど発生しなかった。
崩落したとはいえ母は20層の地図を熟知していて、三毛猫と一緒に次々と通路をチェックし、敵がいれば戦わず進路を変更した。おかげでミケはHPが全快できたし、そのあとは、あえて特定の敵とだけ戦った。
細い通路を抜けた先、16畳程度の袋小路で今、哀れなアリが再び子猫にワンパンされている。
レベル15に上がったミケの腕力ステータスは素の状態で1,993もあり、〈冒険〉スキルでさらに3倍されている。MP管理さえ怠らなければ、約6千の腕力を前にアントは敵でなかった。
俺もSPさえあれば〈極大魔法〉かなにかを取って戦うのだが、森でツキヨ蜂を倒した時に得た得点は既に消費している。
〈——はい、ミケがまたアントを倒しました。〈調速〉で参加したのでカオスにも163経験値が入ります〉
(そんなもんか……アリはもう初撃破の1割以下だな)
〈同じ敵ばかりじゃ、そりゃ「経験」なんて得られんさ。おまえも「おやつ」を最初に殺したときはそれなりに得ただろ? ワタシにしてもアリばかり通知するのは退屈だ〉
アナウンスのついでにアクシノがぼやいたが、母は飽きたりしていなかった。怪盗が三毛猫に抱きつく。
「〜〜〜〜またアリをゲット! 大金持ちだわ♡ あんたもう、うちの子になりなさい!」
「にゃ? 子猫はまたナニカしてしまいましたか」
「でかしたぞ、うむ! ……今回はわしが殻を剥ぐからな? いいな?」
「ちょっと待ったーっ! 解体スキルなら私にもあるぞ!? 〈回復〉で防腐もできるっ☆」
母と狐とお乳はミケを取り囲み、俺が村に広めた「じゃんけん」をした。勝者はシュコニで、メイドさんはぴょんぴょんはねたあと俺に手を出した。大人しく〈棒〉を握らせる。
イビルアントの殻は、丈夫な刃物があれば解体できるし防具用に高値で売れる。問題は刃物で、普通の武器では刃が欠けてダメになる。殻を切れるのは母が持っている業物のナイフか、俺の〈ひのきのぼう〉だけだった。
俺たちは、敵のうちアリだけは殺すと決めて20層を探索していた。
救助を急ぐミケはアントの殻を回収すると言われ難色を示したし、それは俺も同様だったのだが、母が俺に追加の防具を作らせると言うと納得した。
俺が異常なMPを込めて作った鎧はチェインメイルの2着しかないが、アリの殻はそれ自体が大量のMPを込められたような状態で、優れた防御用素材になる。取り急ぎシュコニと村長に防具を作れば有利になるし、剣閃の風にしても、アリの装備を持っているのはムサだけだ。彼らの防具も作っておけば合流したときに生存確率を上げられる。
なお、防具には使えないが肉の詰まったアリの足は一部の貴族に売れるし、その売上は解体した冒険者の懐に入る取り決めになっていた。提案したのは俺で、逃げたがるメイドや村を気にする村長は案の定カネに目がくらんでくれた。
ジャン負けした村長がつまらなそうに倉庫を開き、シュコニが棒で切り刻んだ素材を放り込んだ。閉じる前に中を見せてもらい、貯めた素材の量を確認する。
「もう充分だね。これだけあれば全員分のマントを作れると思う」
防具は、鎧を作る時間は無いので簡単なマントを制作する予定だ。
大量にある黒オークの革をベースにアリの甲羅を縫い付ければそれなりの防御力になるだろう。母や村長によれば、そんなモノでも売れば一年は遊んで暮らせる価格になるみたいだし。
「おおう!? ならお姉さんのを最初に作ってね? ね!?」
シュコニが棒を返しながら媚を売ろうとしたが、そこに不満顔の三毛猫が割り込んだ。
「にゃ。なら一気に先を目指すべき。全部の通路は見れてないけど、20層に二人はいないと思う。いたら気づくし……アリ退治は飽きた。三毛猫は先に進みたい」
「そうねぇ……でも、
母が考えながら答えた。
「一旦休みましょう。ミケもほんとは眠いでしょ。ステータスがどんな状態でも、動きっぱなしは疲れる。迷宮の外はもう真夜中のはずだわ」
「にゃ!? おばさんまで狐やお乳のような……」
「違う。私は村に帰ろうなんて言わないわ。私は必ず仲間を助けに行くし、その時あんたが寝不足で足手まといだと困ると言ってる」
母は厳しい顔を見せ、ミケは言い淀んだ。
「ミケだってわかってるでしょ? HPやMPは寝なくても戻るけど、眠気だけは寝なきゃ治らない。カッシェがマントを作る時間も確保しなきゃだし、アニキとポコニャを救いたいなら……」
「でもミケは……!」
眠くない、と叫びたかったのだろう。しかし三毛猫はとっさにナイフを構え、母も同じようにした。少し遅れてシュコニが刀を抜き、俺も慌てて棒を構える。
現在俺たちがいる小部屋は細い通路を抜けた先の行き止まりで、引き返す通路は一本しか無い。その通路の奥から足音が聞こえていた。
たぶんモンスターではない。迷宮であんな足音を立てる魔物はゴブリンくらいだが、母ナサティヤには〈ゴブリンキラー〉の称号がある。鑑定によるとこの称号を持つ冒険者はゴブリンへの攻撃に補正がかかるほか、ゴブリンの存在をいち早く察知できる。
通路は俺たちから見てすぐ右手に折れているため、足音の正体はまだ見えない。
「カオスシェイドよ、鑑定を怠るな。鑑定持ちの仕事は第一に『情報』じゃ」
「はい」
最後尾についたフェネ婆さんから指示を受け、俺は〈無詠唱〉に〈鑑定〉があるのを確認した。
足音がふいに途絶えた。斥候として前に出ようとした母をミケが止める。完全無欠のHPを持つ以上、子猫を先にするのが正解だろう。母は頷いてミケに前を譲った。
「……だれ」
ミケの質問に対する返事は、スキルだった。
〈——
野球ボールくらいの赤い球が通路をカーブしながら飛び込んできて、前衛のミケに直撃した。〈絶対防御〉が発動し球が砕けたが、赤い噴煙が周囲に撒き散らされる。
〈【シラガウトの粉末】です。目潰しのほか咳やくしゃみを引き起こし——〉
鑑定した俺はすぐに目を閉じ、呼吸を止めたが遅かった。目や喉を激痛が襲い、俺たちは全員、目と口を塞がれた。格闘スキルは命中しないし、むせて詠唱もできないということだ。
通路から足音が近づいてくる。
(ステータス!)
俺は心の中で怒鳴り、このところずっと〈教師〉に指定していたポコニャさんを母に変えた。母は癒快を持っている。〈無詠唱〉を貸与すると即座にスキル・メッセージが表示された。
〈——治療術:マニコロドーシャ——〉
同じメッセージが5連発されると視界が晴れ、喉の痛みが消えた。小部屋にはまだ唐辛子の粉が舞っていたが、目に入っても吸い込んでも平気だ。よく見ると俺の体の周辺を赤、青、緑の3つの小さな火球が飛び回っていて、この火球が消えるまでは効果が続くらしい。
正常に戻った両目は、見たことのない敵を捉えた。
——ミイラだ。
そうとしか言えない包帯でぐるぐる巻きにされた人型の魔獣が俺たちに襲いかかっていた。
ひとりは小さく、もうひとりは大人の女くらいはある。女だとわかるのは胸が膨らんでいたからで、ミイラたちは一本の包帯を通じて繋がれていた。
〈——たぶん包装術:
大きいほうのミイラは通路に俺たちを確認するなりスキルを使い、「おやつ」のザコと同じ名前が表示された。
ミイラの全身に巻かれた包帯が意思を持ったかのようにゆらめき、俺たち5人を一斉に襲った。絞め殺すというより捕縛を目的としているようで、包帯は白い職種のように揺らめき、俺の膝に絡まると関節技を仕掛け、〈ひのきのぼう〉で焼き切ろうとした俺の腕にも関節技をキメてくる。
重要なのは、これが「攻撃ではない」という部分だ。関節技では〈絶対防御〉がうまく発動せず、俺は包帯で身動きが取れなくなってしまったが——問題ない!
〈——火炎魔術:癇癪玉——〉
顔面のすぐ脇に無詠唱の爆発をくらったミイラ(大)は横薙ぎに吹き飛ばされた。そこへナイフで包帯を切り裂いた母が突っ込む。斥候の母は攻撃スキルに乏しい。しかし「殴れば殺せるイカれた棒」が俺の手の中にある!
「——母さん、盗って!」
〈——怪盗術:巾着切り——〉
〈——単純暴力:棒で殴る——〉
動けない俺から〈ひのきのぼう〉を奪った母は、青白く発光する棒でミイラを引き裂き、
〈——編みぐるみが破壊されました——〉
しかし、それは偽物だった!
アクシノの声が脳内に響き、引き裂かれた「ミイラの人形」が千切れた包帯を撒き散らしながら床に落ちる。
忍者の変わり身の術みてえな技だ。
ミイラの本体は、もうひとりの小さなミイラの横にいた……!
「……悪いわね、ナサティヤ。ゴリだと思ったの」
「マキリン……!?」
すべての包帯を使い切り、ミイラは素顔を顕にしていた。深い紺色の髪と黒い目——ギルドのウェイトレスはメイド服ではなく黒革の鎧を着ていて、俺の爆撃のせいか、額から血を流している。
裏切り者のゴリのために死んだと思っていた女性がそこにいた。
母がほっと力を抜いた。マキリンも肩で息をしながら微笑み、彼女は手に持った包帯をぐいと引いた。まだ包帯に巻かれた小さなミイラから「ひっ」と声がする。
母が嬉しそうに叫んだ。
「マキリン! 私たち、あんたが死んだとばかり……」
「——まだよ怪盗、油断しないで」
マキリンは鋭く警告し、早口で〈常世の倉庫〉を詠唱をした。包帯で巻かれたままのフェネ婆さんがなにかをうめく。
16畳程度の小部屋の、唯一の通路の前に〈常世の倉庫〉が開かれた。出入り口は大きな正方形で、一辺3メートルはある。倉庫の出入り口は通路の出口をほとんど塞いでいて、母さん以外はまだ包帯に縛られたまま、俺たちは倉庫の中を凝視した。
……わけがわからなかった。
「ねえ、ナサティヤ」
自分の倉庫を開いたマキリンが怪しく微笑む。
「……怪盗さんはゴブリン・キラーよね? それに最近じゃ『蜂殺し』でも名が知られてる」
マキリンが開いた倉庫の中にはツキヨ蜂の巣が2つに、数十体のホブゴブリンと、王冠を乗せた巨大なゴブリン、そして百体を超える普通のゴブリンが剣を構えていた。
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