レディ・アントと極大魔法


〈今すぐ……〉


 連打を選択した瞬間、叡智の女神が〈神託〉を読み上げる声が聞こえ、視界の端に内容が表示された。


〈倉庫を無詠唱にセットして鎧を出し、母と村長に投げろ。斥候なら3秒で着替えられる。村長は7秒かかる。おまえは調速と火炎連打で時間を稼げ。レディは強い——しくじれば誰か死ぬぞ〉


 神託を聞く前に読み終えた俺は指示に従い、無詠唱で開いた〈倉庫〉に手を突っ込んで母さんとフェネ村長に〈チェインメイル〉を投げた。


「装備して!」


 怒鳴りながら白い女王アリに向かって炎を連打する。


〈——火炎魔術:癇癪玉——〉〈——火炎魔術:癇癪玉——〉

〈——火炎魔術:癇癪玉——〉〈——火炎魔術:癇癪玉——〉


〈——猫が来る。魔法をやめろ〉


 膨大なMPにものを言わせて攻撃していると、体を激しく明滅させながら子猫が無手で〈レディ・アント〉に突っ込んだ。


〈——冒険術:冒険——〉


 ミケの全ステータスが3倍に膨れ上がる。シロアリは5メートルの高みから鋭い前足を振り下ろして子猫を斬り殺そうとしたが、〈鑑定〉している泥棒猫には当たらない。


〈——豚氏八極拳:箭疾歩せんしっぽ——〉

〈——豚氏八極拳:裡門頂肘りもんちょうちゅう——〉


 冒険の三毛猫が〈鑑定〉を連打しながらステータス3倍で突撃を決め、シロアリの腹に強烈な肘打ちを決めたが——マジかよ。


 レディの腹は柔らかくたわみ、オークを一撃で殺す肘打ちを跳ね返した。ミケはナナメ上に吹き飛ばされてしまう。


〈——遁法:とんぼ返り——〉


 しかし三毛猫は諦めない。上空に弾き飛ばされた子猫は空中で回転してダンジョンの天井に両足をつけ、〈とんぼ返り〉のスキルで天井を蹴った。レディが身構える。しかし俺たちには〈叡智の女神〉が付いている!


〈ここでシロアリに〈調速〉をひとつまみw〉

「——調速!!」


 怒鳴るとシロアリは大きく体勢を崩し、視界の端に三毛猫が発動したスキル表示が踊った。


〈——怪盗術:ダイム・ベット——〉


 これは三毛猫のバクチ技で、1割未満の確率で習得済みの任意のスキルレベルをカンストまで引き上げる。


 成功してもしなくてもMPは消費されてしまうが——子猫の周辺の空気が莫大な力の発露に歪んだ。


〈——むくろ細剣術・奥義:一将万骨いっしょうばんこつ——〉


 スケルトンの細剣術が繰り出す奥義は、俺の父たるナンダカでさえ不可能な技だった。


 落雷を思わせる轟音と閃光に思わず目を閉じて、開くと、ダンジョンの床には深い亀裂が走り、体液を吹き出すレディを前に七歳の子猫がしっぽや髪を逆立てていた。


「癒快よ、ムリアフバよっ!」


 しかし——レディはまだ死んでいなかった!


 シュコニが怒鳴るように詠唱を始めた瞬間、小刀に腹を割かれたレディは前足でミケを抱きかかえた。鋭い爪を持つレディの前足は〈冒険〉が子猫に与えたHPの壁に阻まれて崩れたが、レディの本当の狙いは子猫では無い!


〈——最終司令ラスト・オーダー:一億玉砕——〉


〈女王が魔石いのちと引き換えに、配下すべての腕力と敏捷を5%上昇させました〉


 レディの周りを取り囲む25体のイビルアントが黒い体を赤熱させ、母ナサティヤと村長に襲いかかった。足の遅いフェネは俺が渡したチェインメイルが間に合わず脇腹を割かれたが、そこにシュコニの〈回復〉が飛ぶ。


「——母さん!」


 しかし、息を吹き返した村長の横では母さんが別のイビルアントから鋭い爪の直撃を受けていた!


「……なんじゃ、この鎧は……!?」


 鑑定持ちのフェネ婆さんが目を見開いた。


 母さんは黒革のマントの下にチェインメイルを装備し終わっていて、俺が母親に渡した〈五年がかりの大作〉は、子アリからの一撃に対し圧倒的な防御力を発揮していた。


 子アリの突き出した鋭い爪が、ジェンガの塔が崩れるようにひび割れて砕けていく。


「——失せろ!」


 母を殺しそこねたアリの胴体に俺の〈ひのきのぼう〉が届いた。概算3百万MPをつぎ込んだ〈ただの木の棒〉はSF映画のビームサーベルのように輝き、女王の死に激怒し赤熱するアリをなめらかに焼き切ってくれた。


「「 え、なにその棒 」」


 母と村長が同時に質問してきたが、俺に答える余裕はねえ!


「まだザコがいるぞ、ミケッ!」

「わかってる——カオスの叫びは五月の蝿のよう!」


 三毛猫は余裕綽々な皮肉を返したが、まだ迷宮には24体ものイビルアントがいた。いずれも剣を摩耗させる硬い皮膚を持つうえ、女王に強化され、本来なら黒い体を熱で赤くしている。


〈——豚氏八極拳:馬式衝捶ましきしょうすい——〉


 子猫はナイフを腰の鞘に収めて硬い殻を持つ蟻に対し体術を繰り出し、一気に2匹のアリを殴り飛ばした。


 俺も〈鑑定〉で攻撃を回避しながら〈棒〉でアリを1匹斬り殺し、さらに呪文を詠唱する。


「水の女神よ……」


 詠唱するのは恥ずかしかったが、俺は〈水滴〉スキルのレベル1を唱えた。普通に〈火炎〉を無詠唱しようと思ったのだが、アクシノが〈水で!〉とうるさかったんだ。


「水よ、スハロイよ——ぬかるみを!」


 まだ21匹もいるアリどもの足元がぬかるんだ。大型犬ほどもあるイビルアントは泥に変わった足元に滑って体勢を崩し、子猫が「にゃ☆」と嬉しそうに鳴き、2匹のアリをワンパンで潰す。


 それだけではない。


「ババア、カネは出してんだから仕事しなさい! 今ならアレを使えるわ!」

「うむ……!」


 母・ナサティヤが怒鳴りながら両腕を振るった。母の両手からまち針のような針が四方に飛び、釘は一本もアリに当たらずダンジョンの壁に突き刺さる。


 問題なかった。それで「命中」だった。


 母が投擲した六本の釘は尻の部分に魔石がついていて、正確に六芒星の各頂点を撃ち抜いていた。法衣のような白い着物の上にようやくチェインメイルを装備した狐が詠唱を始める。


「——炎よ、どうかこの老いぼれに力を……金色こんじきの輝きよ……」


 その詠唱に母が参加した。


「——炎よ、どうか横にいる守銭奴のクソババアに力を……」

「——炎よ、このうら若き無垢な狐に力を」

「炎よ……って、はあ? 鏡見なさいよババア!」

「ああ゛!? なんじゃ殺すぞ小娘がッ!」


 終盤グダグダな詠唱はしかし、〈炎の神〉に届いていた。


〈——ウユギワ村のフェネが、〈極大魔法:小太陽〉の発動に成功しました——〉


 ババアと母が詠唱を終えると叡智が〈極大魔法〉をアナウンスし、六芒星から目視しがたい光を放つ火球が浮かび上がって来た。ババアがその球を素手で握り、片足をピンと伸ばした投球フォームからオーバースローを放つ。


〈——印地いんじ:火の玉ストレート——〉


 スキルに補助されたギルドマスターの肉体は、老婆とは思えないほどの剛速球を繰り出した。


 極大魔法で保護された炎の球はイビルアントのうち15匹をストレートでブチ抜き、さらに球筋を急激に変化させて4匹のアリを血飛沫に変える。剛球はそのままダンジョンの床にめり込んで深い穴を掘った。


「一撃でアリを全滅……さすがはギルマスだっ!」


 シュコニが歓声を上げ、俺は叡智のアナウンスを聞いた。


〈——レディ・アントとその配下を全滅させました——〉



  ◇



 状況が落ち着くまでに数分が必要だった。


「——カッシェ!」


 とりあえず撃破メッセージと同時に母は俺に抱きついてきて、気恥ずかしかったものの、俺の目標の半分は「母の救助」なわけで……照れくさい数秒を耐えると母さんは俺を解放してくれた。


 母は俺が渡したチェインメイルを装備したまま信じられないといった顔で尋ねた。


「カッシェ、どうして迷宮に……!?」


 そのあとは、情報の洪水みたいだった。


 ミケはラヴァナ&ポコニャさんの安否を一方的に質問したし、金髪お乳のシュコニはここぞとばかり「帰ろう」を連呼しながら「お姉さんのぶんの鎧は? 鎧は?」と俺に色目を使った。それに対して母は「どうして迷宮に」と聞き「どうしてミケを止めなかった」と俺やシュコニを怒鳴り、先程の戦いでレベルアップしたため叡智が新しいスキルやらをアナウンスし……一番落ち着いていたのはギルドマスターのフェネ村長だった。


「おまえたち、話は中でせい。ここが18層だとわかっているのか?」


 狐獣人のフェネ村長は〈倉庫〉を持っていて、しかもレベルは3だった。9立法メートルにもなる内部は三階建ての住宅になっていて、村長はその2階に直通の入り口を開いた。


 入り口は暖炉の中に開かれていて、煤けた玄関を抜けると中は広々としたリビングになっている。キッチンに風呂とトイレまであり、全員が入るとフェネ村長は暖炉に火をつけた。火のぶん酸素は消費されるが、これで魔物は侵入しにくくなるだろう。


 テーブルを囲んで座り、少し落ち着いて、俺たちはこの数日の情報をすり合わせた。


 まず、〈剣閃の風〉を探しに来ていた母さんはまだ合流できていなかった。俺の父や独身のムサはもちろん、ミケの両親の安否は不明だ。


 続いて、俺たちが母を含めた〈剣閃の風〉の救助に来たのだと伝えると、母は怒ったが納得した。


 村長は俺が鎧を返すよう言うとめちゃくちゃ渋ったが、返す代わりに村の現状を聞きたがり、バイトとはいえギルド職員のシュコニが被災状況を詳しく話し始める。


 シュコニが話している間、俺は村長から回収した鎧をミケに渡していた。


「……これ、ミケにあげる。母さんのと合わせて2着しかないから、1着だけね」

「にゃ? でもミケには……」

「HPがある。知ってるよ。本当は父さんに着させようと思って作ってたんだけど……まあ、あげる。MPを3百万は叩き込んであるぞ」


 自分のチェインメイルを撫でていた母が俺の言葉に目を見開いた。


「3百万……? あんた、いつのまにこんなの作ってたの。それも、私と父さんのため?」

「俺たちにはHPがあるから鎧なんて要らない。重いし。でも、さっきのアリの一撃とか、二人は当たったら死んじゃうでしょ。だから今日みたいなときのために作って——ミケも、それをに着せて。これでお互い、親のどちらか一方は死なせないで済むはずだ」


 ミケは「どちらか一方」という言葉に戸惑ったが、とりあえず自分がチェインメイルを着た。まだ〈鑑定〉を貸出中なので小声で詠唱し、結果を聞いて「にゃ」と小さく鳴く。母は七歳の子猫がぶかぶかの鎧を着るのを見届けたあと、そっと俺の頭に手を置いた。


「あんた、いつの間にか鍛冶スキルを持ってたけど……そう。ずっと母さんたちを心配してくれてたのね。それに、こんなに頑張って作ったものを譲ってあげるなんて……」


 優しい子ね、という言葉とともに頭を撫でられ、俺は気恥ずかしさにどうして良いかわからなくなった。


「——うええっ!? ゴリがマキリン先輩を殺した!?」


 だからメイドさんには助けられた。


 リビングにシュコニの声が響き、ウユギワ村のギルドマスターは、迷宮の深奥で重苦しくうめいた。


「〈月〉じゃよ、シュコニ……裏切りものの〈月の眷属〉じゃ。偉大なる星辰様もおまえと同じ気持ちじゃろうの」



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