亡霊の数式

白亜皐月

第1話

 惑星エイジ。地球とは数光年も離れたラプラス星系に属する、多くの種族が住まう地球よりも遥かに超近未来的な文化が発達した惑星である。

 その発展に大きく貢献したのが、七十年前に発見された虚数式コード。この世界はあらゆる物質、法則には電子化される情報式があるとされたのだ。更にはあらゆる人間の中には、潜在的な虚数式演算コード・アビリティが備わっており、適合手術を受ければ次の代まで受け継がれ、繁栄する経済産業に大きな影響をおぼした力。

 ただの一般人が次々とそれぞれの虚数式コードに目覚め、大躍進を遂げる経済。しかし、世界は良い方向に向かったとは言えなかった。最新鋭の軍事力、ビジネス、技術やテクノロジーが発展し力を持つようになった企業はいつしか国家と同等の力を持つようになり、ライバル企業との武力抗争すらも行われるようになっていた。度重なる紛争や、発達した科学による開拓などで星は荒れ果て、都市を出ればそこには果てしない荒野が広がっている。

 更には虚数式の発展に伴い、本来はこの世界の裏で存在する虚数生物ヴォイドまでもが現実世界に現れるようになり始めたのだ。

 そして、様々な陰謀や後ろめたい闇が生まれる中、それを生業とする者達も当然の如く力を増すようになっていた。暗殺者、犯罪組織は虚数式コードの力を使い、大きな企業の陰謀を手助けするようになる。秩序などあってないような裏の世界に、一つの恐怖がまことしやかに囁かれていた。

 その名は………










『良い?今回は大企業であるエデンカンパニーへの直接潜入よ。今までの犯罪組織のアジトとは比べ物にならない程セキュリティが厳しいから、いつもみたいに甘く見ないように』

『ハッキングしたデータを送った通り、彼らはエイジ・ネットワークに不正アクセスをして情報を改竄し、他社同士で抗争を起こす原因を作っているとされています。もう一度確認しますが、今回はその証拠を持ち帰ることがミッションです』


 夜に燦然と輝くビル群の屋上で、一人の少女が立っていた。華奢な身体に似合わない程の大きな黒いローブを着込み、控えめな身体のラインを更に隠していた。そして、一際目を引くのは夜闇の中でも都市が発する光を反射するほど無垢で、左右の横髪が小さく跳ねている長い白髪だった。流せば膝程度までは届くであろう長髪を夜の風にたなびかせ、ビル群の中でも目立つ一つのタワーを翠の瞳で見据えていた。

 その顔立ちはまるで女神が降り立ったのかと間違うほど端正に整っており、百人が見れば誰もが口を整えて彼女の容姿を称えるだろう。


「何度も言わなくたって分かってるって。私を何だと思ってるわけ?」


 ただし、その可愛らしい外見からは考えられない程のキツイ性格に目を瞑れば、だが。言葉に明らかな不機嫌を滲ませながら、通信機から聞こえる声に返す少女。


『そうカッカしないの。苛立ちは冷静な判断を阻害するわよ』

「ふん。それで?そっちの準備は良いの?さっさと終わらせたいんだけど」

『はぁ………えぇ、いつでもいけるわよ』

「あっそ、じゃあ………」


 少女は右手で顔を隠す。それと同時に少女の端正な顔はまるで映像の乱れが掛かったように見えなくなる。グリッチがそのまま現実世界に持ち込まれたような、不気味な姿のまま少女は告げる。


「ゴースト、突入する」


 少女は一瞬でその場にグリッチを残し消える。彼女は裏の世界では恐怖の象徴とされるが、その姿を語る者はいない。何故ならば、それは一切の痕跡を残さず、姿を見た物は須らく死を迎えると言われる。顔が隠され、身体のラインも分かりにくい姿では性別を把握することすら難しいかもしれない。

 しかしその長く艶やかな白髪を見た者は、あるいは答えに迫ることが出来たのかもしれない。それと同時に、その答えは墓場まで持っていく事になるのだが。

 ゴースト。その噂を知る者はそう呼んでいた。正体不明、能力不明、外見不明。全てが謎に包まれ、人知れず闇を葬り去る恐怖そのものだった。













「なぁ、知ってるか?ゴーストの噂」

「突然なんだ?怪談話に付き合うつもりはないぞ」


 エデンカンパニー本社内部。そこでは警備を任されている十名の警備兵が立っていた。そのうちの二人はエレベーター前に配置されており、他愛のない話をしている。


「違う。そっちじゃない」

「そっちじゃ………あぁ、あの犯罪者食いか。勿論噂程度なら聞いた事があるが」

「来ると思うか?」


 男がそういうと、話しかけられた方の男は困ったような表情を浮かべる。


「さぁ………けど、あいつは犯罪組織を潰しているはずだろ?いくらこの会社が真っ当じゃなくとも、乗りこんでくることはないと思うけどな」

「でもゴーストだぜ?もし来たら、どうやって倒せばいいんだ?」

「亡霊だろうが何だろうが、この世界に存在する以上は虚数式コードを持つはずだ。殺せないはずが無い」


 彼らは本社を守る警備兵として、この企業の裏の部分も知っていた。しかし、それに文句を言うこともなけば、疑念や不満を抱くこともない。この程度の悪事は当然のように蔓延っており、ある程度大きくなった企業は如何に上手く裏の世界を利用するか、という風潮になり始めているのだ。勿論、全ての企業がそういう訳ではない。しかし、真っ当な企業はそういった闇の世界に呑み込まれ、正直者が馬鹿を見る時代となってきているのも事実だった。


「そうだけどよ………」

「どうした、お前らしくない。いつものお調子具合はどこへ行ったんだ?」

「………なんか、嫌な予感がするんだよな」

「なんだそれ」


 男の言葉に疑問を浮かべる。普段はあんなに饒舌で自信過剰とも言える同僚が、今日ばかりは元気がないのだ。具合が悪いのかと思い、声を掛けようと思った瞬間だった。


「………?」


 何故か、場の空気が変わったと思った。男は釣られるように本社の入り口を見る。そして、目を見開いた。

 入口に立っていた二人の警備兵が、頭から血を流して倒れていた。頭の横には大きな穴が開いており、既に死んでいることは明らかだった。他の位置に立っていた警備兵達も次々とそれに気付き、場が一瞬で戦場の空気へと変わった。


「敵襲!敵襲!」


 全員が持っている銃を構え、辺りを見回す。しかし、全員が違和感も感じていた。彼らは扉と接続されている警音器を持っており、扉が開閉された時に鳴る仕組みだったのだ。しかし、誰一人として警音器が反応した様子はない。スイッチの入れ忘れや、充電切れな訳もない。警備前に必ず点検を行っているのだから。


「メーデー!こちらエントランス!敵襲があった!死傷者二名!敵の姿は見えない!応答頼む!」

『………』

「管制室!応答を!」


 警備隊長が叫ぶ。しかし、それに対する返答はない。警備兵達の中に焦りが生まれ始めた時だった。先ほどまで誰もいなかったエントランス中央に、グリッチと共に不意に姿を現した人間。それに一瞬だけ息を飲むとともに、これら全ての異変の現況が目の前の人物にあることを悟る。


「撃て!!」


 警備隊長の号令と共に、八人の警備兵は同時に発砲を開始する。しかし、その瞬間にグリッチと共に侵入者の姿は消えた。全員に緊張が走り、周囲を見渡していた時だった。発砲音が響く。

 エレベーター前にいる男がそちらを見れば、先ほどの侵入者が自分達と同じ銃を持ち仲間を撃ったのだ。すぐにそちらに銃を向けて銃を撃とうとした時だった。自分の隣から発砲音が響く。


「何をしているっ!?」


 隣にいたもう一人の男は、警備隊長を撃ったのだ。あまりの恐怖に錯乱したかと思い、取り押さえようと思った次の瞬間だった。激しい銃撃音が響く。エントランス中に乱射される銃弾は、仲間同士で殺し合いを行っていた。しかし、これも全てあの侵入者のせいだと気付く。先ほどの場所に銃を構え、銃を撃っている侵入者に向けて発砲する。

 銃弾は侵入者の頭部に命中し、血を吹き出しながら倒れた。これで終わるはずだ。そう思った時、右胸に痛みが走った。


「っかは………!」


 殺し合いは終わってなどいなかった。激しい銃撃と、次々と死んでいく仲間。銃弾と噴き出す血がエントランスを舞っていた。そして、数秒もしないうちにそこは血と薬莢のたまり場となっていた。警備兵達は互いに殺し合い、全て床に血だまりを作って倒れている。

 どこからともなく現れた侵入者は、血の中を歩いていく。何の障害もなくエレベーターの前に立つと同時に、エレベーターが開く。


「………」


 侵入者は一瞬だけ後ろを振り返り、エレベーターに乗る。男たちが持っていた通信機からは、絶えず管制室から応答を求める声が響いていた。








 エデンカンパニーの最下層。本来はパスワードが無ければエレベーターを降下させることが出来ないはずの階層でエレベーターは開く。そこは広い空間になっていた。そして、その中央には巨大な黒い円柱がある。蒼い光が幾つも走っているそれは、この企業のコンピューターを全て管理する超高性能AIだった。

 侵入者はそのまま円柱に近付いていく。そして、懐から取り出したチップを円柱にある差込口に接続する。仮想モニターが表示され、パスワードを求められるが侵入者が手をかざした瞬間にそれは消滅し、ダウンロードが開始された。

 順調にダウンロードが進んでいた時だった。大きな警報音が響く。


「………!」


 それと同時に、この広い部屋の壁が開く。中から現れたのは巨大なロボットだった。人型ではないが、二足歩行。上部には小型のミサイルを搭載し、アームには機関銃を装備している。それは侵入者を発見するや否や、センサーを赤く発光させる。


「侵入者。排除開始」


 それと同時に乱射され始める二丁の機関銃。侵入者はすぐにその場を跳び、銃弾を避ける。すぐに軌道を修正して撃ち止めることがない迎撃ロボットだが、侵入者は広い部屋を駆けながら銃弾を回避していく。

 地面を蹴って、高い天井まで跳ぶ。そのまま天井を蹴って再び床へ。そんな動きを繰り返し、銃弾を回避していた時、不意に銃弾の嵐が止まる。

 侵入者が地面に着地すると同時に、その周囲に翡翠のエネルギーで象られたブラスターが四つ浮かぶ。翡翠の光を充填し、放たれた四本のレーザーはロボットのアームとボディを破壊し、崩れ去るロボットの体。しかし、倒れる直前に搭載されたミサイルを全て放つ。しかし、その狙いは定まっておらず滅茶苦茶な場所に着弾して爆発し、円柱にまで直撃する。


「………ちっ!」


 すぐに円柱に近付き、ダウンロード状況を確認する。幸いあの戦いの間にダウンロードは全て完了していたようだ。小さく安堵の息を付いた瞬間、再び警報が響く。


『自爆プロトコルが作動しました。本社内の人員は、一分以内に退避してください』


 ミサイルが直撃したことによって、データに破損でも起きたのだろう。命令されていないはずの自爆プロトコルを作動させ、一分で爆弾を起動すると宣言したAI。


『不味いわよ!今すぐそこを離れなさい!』

「言われなくても………!」


 そういうや否や、エレベーターへと戻っていく。しかし、そのままエレベーターを操作するのではなく、出現した蒼いブラスターで天井を撃ち破る。そのままエレベーターのワイヤーに懐から取り出した機械を接続すると、一気に上まで上昇していく。


『爆発まで、残り三十秒』


 その声が響くと同時に一階へと辿り着く。それと同時に少女はグリッチを残し、その場から消えた。次の瞬間だった。夜闇に輝いていたタワーが大きな爆発を起こす。地下から順に爆発を起こし、違う意味で夜闇を激しく照らしていた。街中から響く悲鳴や怒鳴り声。

 少女は違うビルの屋上に立って、爆発しているタワーを見据えていた。


『………はぁ。想定と違ったけど、まぁいいわ。けど、これは後始末が大変ね?』

「………分かってるってば。やればいいんでしょ」

『当たり前よ。あなたは私達のトップなんだから』


 通信機から聞こえる声に少女はため息を付く。いつも危険な仕事を全て自分に背負わせるくせに、その責任は自分に負わせる。いつものことながら、立場と言うのは面倒なものだ。

 しかし、今更嫌だという訳にもいかない。目標は違ったものの、最終的にあの会社を潰すことは出来たのだ。勿論、その後始末はとてつもない仕事として待っているのだが。


「作戦終了、帰還する」


 仕事が終わった後のテンションとは思えない程気だるそうに言い残し、通信機を切る。掛かっていたグリッチは消え、元の美しい顔が晒される。もう一度大きなため息を付いた少女は振り返り歩き出す。その姿は、気付けば消えていた。


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