第20話 犯人は誰だ?


 厨房長に厨房係二人。そこから毒見室に運んだ女官。毒見役。毒見室から玉琳の部屋まで運んだ杏梨の六人がまず呼ばれることになった。


「玉琳様。今度は何を……」


 一番最後に玉琳の部屋に入ってきた杏梨が、不安そうに尋ねてくる。


「ちょっとした実験をね。そんな緊張しなくても大丈夫だから。ほんの少し指を貸してもらうだけでいいんだ」


「指、ですか?」


 きょとんとする杏梨の前に、庸介は白い粉の入った器を差し出す。白い粉は、厨房からもらってきた片栗粉だ。


「ちょっと右手をこの白い粉の中に入れて、指に粉をまぶしてもらえないかな」


「こ、こうですか?」


 杏梨は戸惑いながらも器の中に右手を入れて、粉まみれにした。


「そうそう、上手上手。じゃあ、軽く粉をはたいたら、こっちに来て。その台に右手をぺったりつけてほしいんだ」


 部屋にある横長の箪笥を指さす。腰丈ほどの高さで横に長い箪笥だ。全体に黒漆が塗られており、毎日杏梨に磨かれているから鏡のようにピカピカだ。


 指紋を取るにはちょうどいい。


 杏梨は庸介に言われたとおり箪笥に右手を置いてぎゅっと押し付けた。そっと手をどけると、そこには白い手形がついている。指先の指紋もばっちりだ。


 他の五人にも杏梨と同じようにしてもらう。


 白い小瓶に残っていた指紋には、とある特徴があった。以前、指を切ったことがあったのだろう。よく見るとうっすらと斜め横に線が入っている部分があるのだ。


 六人の指紋が出そろったところで、結果はすぐにわかった。


 その指紋の前に、小瓶を置く。小瓶の表面に浮かび出た黒い指紋と、箪笥につけられた白い手形の指紋。ぴったり同じものがあったのだ。


「この小瓶についた模様と、全く同じ模様だな。春梅」


 ふだんは穏やかな春梅は、額に汗を滲ませていた。同じ指紋を持つのは、毒見役の春梅だった。


 すぐさま近衛兵二人が剣を抜いて春梅に向ける。


「この小瓶を庭に捨てたのは、お前か!」


 龍明が声をあげれば、春梅は「ひぃぃぃぃぃぃ!」と怯えた声を出してそのままその場に土下座する。


「も、も、もうしわけありません」


 細い背中が、はたから見てもわかるほどに震えている。


 彼女は女官に一人ずつ話を聞いたときにも、庸介が妙に気になった女官だった。いつもと変わらず淡々と話す姿が、まるで何かの覚悟を決めているかのように見えたからだ。


 彼女がこの小瓶を持っていたことは間違いない。ではなぜ、玉琳に毒を盛るようなことをしたのだろう。


 この宮に雇われている女官は、ほとんどが玉琳と同郷の出身で、選ばれた者たちだ。当然身辺調査も行われている。特に毒見役なんていう大役を任せるのは、中でも信頼が篤い人物だった証拠でもある。


(そんな彼女が、なぜ?)


 その傍に庸介は膝をつくと、努めて落ち着いた声音で話しかける。


「春梅。正直に話してください。私の昼食にその小瓶の中の毒を入れたのはあなたですね」


 春梅は額を床につけたまま、肩を大きく震わせた。泣いているのだろう。


「残念ながら、貴女の狙いがはずれて私は生き延びてしまいました。貴方は私に死んでほしかったのでしょうけれど」


 そう言った途端、春梅が、ばっと顔を上げた。驚いた近衛兵が思わず、彼女を斬りつけようと刃を掲げる。それを、庸介は咄嗟に手で制した。


(なにやってんだよ、この兵! 容疑者殺したら、これ以上何も話させられなくなるだろ!!)


 庸介はその近衛兵を睨みつける。近衛兵は庸介の睨みに怯んだのか、刀を引っ込めた。


 春梅は斬りつけられそうになっていることをわかっていながら、それでも庸介を見て目元を潤ませ、唇を震わせた。


「どんな罰でも受けます。でも……御無事でよかった」


 感情を抑えた声で、彼女は確かにそう言ったのだ。目元には、ほんとうにほっとしたような笑みすら浮かんでいた。それは玉琳の無事を心から安堵しているようにも見えた。


 主を殺そうと自ら望んで、失敗した人間がこんな顔をするだろうか。


 そのちぐはぐさが、喉に突き刺さった魚の骨のように心につき刺さる。このまま見過ごしてはいけないような気がするのだ。それが何かわからないからもどかしい。


 迷う庸介の肩を、龍明がぽんと叩いた。


「玉琳。あまりそいつに近づくな。それは大罪人だ」


「彼女はこれからどうなるの?」


 龍明の方を振り向くことなく、尋ねる。龍明は少し間をおいて言いにくそうに答えた。


「犯行の理由や毒の入手経路について尋問をうけたあと、間違いなく死罪となるだろう」


 春梅も覚悟しているのか、再び深く項垂れる。


(尋問っつか、たぶん拷問だろうけど。それで、本当に真相を話すのか? これで本当にこの事件は終わるのか?)


 そうとはとても思えなかった。彼女は既に死を覚悟している。そんな人間に拷問なんて意味があるのだろうか。尋問の前に舌を嚙み切って死ぬことすらありえる。


(春梅は何かを心のうちに抱えてる。いまここで吐き出させないと永遠に闇に葬りかねない。……よし)


 おもむろに庸介は、春梅の両肩を掴んだ。


「あなたは私の部下のようなものなの。部下の一人が、私を殺害したくなるほどの何かを抱えていたのに、それに気づかなかったのは明らかに私の失態です。だから、私はあなたを罰する気持ちは一切ありません」


 玉琳の言動に、龍明が慌てる。


「玉琳!? 何を言っているんだ? こいつはお前を殺そうとしたんだぞ!?」


 しかし庸介は龍明を無視してつづけた。


「春梅、聞かせてください。私はあなたを信頼して、毒見役を任せていました。あなたの穏やかな人柄がとても好きだった。そんなあたなが私を殺したくなるほど、一体何を抱えていたというの? 私はあなたにとってそんなに憎い人間だった?」


 春梅はぎゅっと唇を噛んだまま、何度も首を横に振った。

 必死に、決してそんなことはないのだと言っているようだった。


 それなら、なぜ玉琳を暗殺しようとしたのか。彼女の意思でないとしたら、一体なぜ。


「何をするにも遅すぎるなんてことはありません。教えてください。あなたは何を抱えてるの?」


 春梅は瞳に涙をため、じっと床を睨んだままだ。噛んだ唇には血が滲んでいる。

 庸介はさらに畳みかける。


「私にできることはない? あなたは、いえ、あなたたちは私にとって家族に等しい存在です。あなたが悩みを抱えているなら、私もできる限りのことがしたいの」


 春梅の唇がわずかにひらく。わなわなと何か言葉を紡ごうとして、でもまだ心の中でブレーキをかけているように見えた。


 庸介は、すぅと息を吸うと彼女の意識に擦りこむようにゆっくりと言葉をかける。


「ねぇ、もう一度聞くわね。私に、できることはない? あなたがいま一番、望むことは何?」


「は……を……」


 春梅の声が微かに聞こえる。


「ん?」

「母を……」


 そこまで言うと、春梅は顔を上げて庸介に縋りついた。一言発したあとは、言葉が堰をきったように溢れはじめる。


「母を助けてください! 母が殺されてしまいます! 私のことなんてどうなっても構いません、母を! 母を助けてください!」


 春梅の反応に、状況を見守っていた龍明も他の女官たちも驚きを表す。


 庸介は縋りついてくる春梅の身体を手でしっかりと支えながら、彼女に続きを促した。


「お母さま? お母さまが誰に殺されてしまうの?」


「母は、三か月くらい前から行方がわからなくなっていました。実家から突然いなくなってしまって、近くに親戚はいんたんですが一人暮らしでしたからどこに行ったのかわからなくて。今までそんなこと一度もなかったから、私、人に頼んで探してもらっていたんです。そしたら、ひと月くらい前でした。洗濯場で、とある方が話しかけてきたんです」


「ある方?」


 こくりと春梅は頷く。


「その方は、私の母の行方を知っていると言って、こっそり指輪を渡してきました。これです」


 春梅は右手の中指につけていた指輪を外して、渡してくれた。青い石をくりぬいて作った指輪だった。花の模様が彫り込まれている。


「これは我が家に伝わる指輪で母がいつも大事に身に付けていたものです。その方は、母はとある場所に閉じ込めてあると言っていました。私がその方の命令に従えば開放してやる。従わないのなら、この世のものとは思えないほどの苦痛を味合わせて殺すといわれて……」


 だいたい話が見えてきた。母親を誘拐されて、人質に取られていたのだ。


「その命令ってのが、私の食事に毒を混ぜることだったわけね。それで、『その方』ってのは誰なの? 春梅が接触できるとなると、他の宮の女官か宦官かしら」


 春梅は、少し逡巡したあと一つの名前を口にした。


「玄武宮に勤める年配の女官の方です。たしか、お名前は吉祥様、だったかと」


 玄武宮というと、先日お茶会で行ったの玲蘭の宮だ。

 春梅の言葉を聞いて、龍明がすぐに反応した。


「吉祥というと、玄武宮の女官長だ。ただちに拘束して事情を聞こう」


 その後、すぐに龍明は近衛兵たちを率いて玄武宮に赴いた。


 物々しい様子で深夜に突然、皇太子が兵を連れてやってきたのだ。玲蘭は酷く驚いたに違いない。


 しかし、玲蘭の案内で女官長の吉祥の部屋に向かったところ、吉祥は既に寝台の上で仰向けになってこと切れていた。


 目はカッと見開かれたまま天井をみつめ、口からはよだれをたらし、四肢を投げ出していたという。その傍らには小瓶が落ちていた。


 小瓶の中身は、庸介の昼食に盛られた毒と同じものだった。


 吉祥の部屋からは地図や手紙の類がみつかり、それにより春梅の母親の監禁場所も判明する。手紙は共犯者である吉祥の弟にあてたものだった。






 翌日、衙役がやくとよばれる警察的な役人たちが監禁場所に踏み込んだときには、吉祥の弟は首をつって自殺を図っていたそうだ。


 春梅の母は衰弱しきってはいたものの、無事に救出され、地元の医院で治療を受けて回復に向かっているという。


 春梅は投獄されたものの、被害者本人である玉琳から減刑の嘆願が出されたこと、母を人質に取られていたことなどを鑑み、死罪は免れられそうだという。おそらく、後宮及び首都からの追放と一定期間の奉仕活動などの刑となるだろう。


 一方、吉祥の雇い主である玲蘭にも玉琳暗殺未遂の嫌疑が向けられることになる。彼女は玄武宮の自室に無期限の謹慎を言い渡された。


 こうして玉琳暗殺未遂事件は解決をみた……かに思えた。

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