第3話 新米聖女の力の片鱗 01

 ホリーたちはまだ森の中にいる。ホリーは出来ることなら可能な限り早くここから立ち去りたかった。凶悪な野盗とはいえ、六人もの人間が無残に殺されたこの場所から。だがすぐにそうするわけにもいかない。



「あの……この人たちをとむらってあげたいです……」



 ホリーは優しすぎる少女だった。自分に危害を加えようとした相手であっても、野盗たちにあわれみを感じていた。



「わかっている。こいつらの死体がアンデッドになっても厄介だ」


「ああ。こんな街道に近い場所でアンデッドが発生したら、無駄に被害が出ちまうかもしれない」



 冒険者のバートとヘクターもそれを否定しない。人や魔族の死体は、とむらうか焼却するのがこの世界の常識だ。

 アンデッド。不死者とも呼ばれるそれは、この世界の生物全てにとっての敵だ。人類のみならず、魔族や幻獣、動物に至るまで全ての生物にとって。アンデッドは生きているもの全てを見境無く襲うのだから。

 人や魔族の死体が放置されると、時としてそれに不浄の魔力が宿ってアンデッドとなることもある。ごくまれに幻獣や動物の死骸からアンデッドが誕生することもあるが、アンデッドの元となるのは人や魔族の死体が圧倒的に多い。特に恨みや憎しみを抱いて死んだ、無念を残した者の死体がアンデッドになる確率が高いとされている。ゴーストなどのような、死体ではなく魂がアンデッド化する事例もあるが。



「その前にこいつらに殺された犠牲者たちのとむらいをしよう。この近くに埋められているようだ」


「悪人より前に、犠牲になった人たちを弔うべきだからな。お嬢さんも来てくれないかい? 死者も神官からの祈りの言葉をかけられる方を望むだろうからさ」


「はい。是非」



 バートとヘクターの提案に、ホリーも異論は無かった。ホリーは確かに野盗たちにもあわれみを感じていたが、その野盗たちに殺された人たちより優先するほどではない。善神の啓示けいじを受けた者として、死者が安らかに眠れるように祈りを捧げることにも異論は無かった。野盗たちの死体が転がっているこの場所に一人で残りたくないという思いもあることは否定はできないけれど。

 それに死んだ直後の死体がアンデッドになることはまずない。アンデッドになるにしても、死んでから少なくとも数日は経過するのが普通だ。その意味では、野盗たちに殺された人々の方がアンデッドになる恐れが大きい。




 そうしてホリーはバートとヘクターに先導されてその場所に来た。ホリーはなぜバートたちが迷う様子もなくここに来られたのかはわからなかったが、若いながらも歴戦の冒険者である二人にとっては、野盗たちが何度も木々の間を移動していた痕跡を辿るのは簡単なことだった。



「お嬢さん。止まれ」



 突如バートが指示をする。ホリーは戸惑いつつも指示に従って歩みを止める。戸惑うホリーに構わず、バートとヘクターはお互いに邪魔にならない位置に移動し、武器を構えて戦闘態勢に入る。

 その理由はホリーにもすぐにわかった。木々の間の先にある塚の地面が、少しずつ盛り上がっていくのが見えたのだから。

 その盛り上がりは一つではない。見えるだけでも五つはある。恨みや怒りを抱いて死んだ死体。それも数日はたっている。彼らはアンデッドになりやすい条件を満たしていた。一応野盗たちも塚を作って死体は地中に埋めていたが、加害者たちによる心のこもらないとむらいでは犠牲者たちの恨みは晴れなかったのだろう。戦闘態勢で待つバートとヘクターの先で、それらは地面から這い出してきた。アンデッドだ。

 それらはゆっくりと起き上がる。最も有名でありふれたアンデッド、ゾンビだ。一口にゾンビと言っても、その強さは個体毎に様々だ。一般民衆や弱い妖魔の死体からは強力なゾンビが生まれることはまず無い。しかし戦士や魔法使い、強力な魔族の死体からは強力なゾンビが生まれることもある。そして這い出してきたゾンビのうち二体は鎧を着ている。戦士の死体がアンデッドになったのだろう。その血の気のない肉体には矢を受けてそれを抜いた損傷もある。武器は野盗たちに取り上げられたらしく、持っていない。

 戦士たちのゾンビが途切れ途切れに耳障りな声で言葉を発する。



「なんで……俺が……死んだ……」


「寒い……苦しい……」



 ゾンビもものによっては生前の意識がかすかに残っていて、生前の技能を使って生物を襲うものもある。

 ヘクターが嘆息する。



「はぁ……こいつらがあと一日早くアンデッドになってたら、直接恨みを晴らせたかもしれないのになぁ」


「野盗共は逃げてこいつらが徘徊はいかいするだけになっただけの確率が高いだろう」


「あんたは冷静だねぇ」



 ヘクターもバートも油断なくゾンビたちを警戒している。戦士たちのゾンビが生前の技量を使うとして、たとえ武器を持っていたとしても、この程度のアンデッドは彼らにとって敵ではなかったが、彼らは油断はしていなかった。彼らはこのゾンビたちを土に帰してやるつもりだった。依頼されているわけでもないアンデッドを退治しても報酬などないことは承知で。


 国や領主に仕える騎士や兵士ならば、アンデッドを見つけたら退治しようとするのが当然だ。だが冒険者には、依頼を受けていないアンデッドを見かけても、自分たちが襲われたのでもなければ見逃す者たちもいる。それも仕方が無いと言えば仕方が無いのだろう。冒険者たちも人である以上生きるためには金が必要だし、武器や防具、道具類の購入にも金が必要なのだから。報酬もないのに命をかけて戦おうとは思わない者がいても、別におかしくはない。ヘクターはともかくとして、極度の人間不信というバートが、わざわざ依頼されてもいないアンデッドを退治しようとしているのもおかしな話ではあったが。



「……」



 ホリーは悲しかった。

 もちろん動く死体が恐ろしいという感情はある。無残に殺された死体から目をそらしたいという感情もある。

 だがそれ以上に、悲しかった。殺された者たちにもしたいことがあっただろう。もしかしたら大切な人もいたかもしれない。それが奪われて、しかもアンデッドに成り果ててしまった姿を見るのが悲しかった。

 彼女の口が、自然に祈りの言葉を紡ぐ。



「善神ソル・ゼルムよ。死せる者共にどうか安らぎを。その炎をもちて清めたまえ」



 神聖魔法に決まった文言はない。ホリーはほんの十日ほど前までは神聖魔法など使えなかった。それでも今の自分なら犠牲者たちを眠りにつかせられるという奇妙な確信があった。

 戦闘態勢に入っていたバートとヘクターの前で炎がゾンビたちから吹き上がり、ゾンビたちは動きを止める。それのみならず、ゾンビたちが出てきた穴以外の、何かを埋めた跡がある地面からも炎が吹き上がる。奇妙な炎だった。それはゾンビたちの体を急速に焼いているのに、周囲の木々や草、枯れ葉には燃え移らず、悪臭も発生しない。



「浄化の炎……」



 ヘクターが呆気あっけにとられたような声を出す。

 それは浄化の炎と呼ばれる神聖魔法だった。死者をとむらい、その肉体を炎をもって清め焼き尽くす魔法。ヘクターもバートもその魔法が行使される場面を見たことはある。それはアンデッドを焼くためではなく、普通の死体を弔うために神官が行使したものだったが、この魔法はアンデッドにも効果があるということは彼らも知っている。

 バートが祈りの言葉を捧げる。



「死せる者たちよ。その魂に安息を」



 ヘクターとホリーも続いて祈りの言葉を捧げる。それは魔法ではなく、ごくありふれた祈りの言葉だった。それにはとむらいの思いが込められていた。

 そしてゾンビたちは短時間で焼き尽くされ、灰が残される。


 普通に火葬しようとすればこの程度の時間で焼き尽くせるはずがないが、浄化の炎は短時間で火葬が出来る上に死者の魂も清められると、特に神殿に多くの寄進きしんが出来る裕福な者たちにとっては人気のあるとむらいの方法だった。浄化の炎の行使には結構な魔力が必要なため、この神聖魔法を使える神官にとってもいくらでも行使できるわけではなく、特別な人間に対して行使されるのが通例だ。そもそも浄化の炎を行使できる神官は大きめの街の神殿くらいにしかいないものだ。冒険者として旅をしている神官が、土地の人間にわれてこの魔法を使って弔うこともあるが。


 バートとヘクターがホリーを見る。バートの表情は相変わらずの無表情だが、ヘクターの表情は不思議そうだ。



「お嬢さん。君は神聖魔法を使えるようになったばかりだと言っていたはずだが」


「それにこれだけの効果がある浄化の炎が使えるなら、野盗ごとき一人でもどうにかなったんじゃないか?」



 バートたちが不思議に思うのは当然だ。浄化の炎は一人前の神官なら使えるとはいえ、神聖魔法を使えるようになったばかりの神官が使える魔法ではない。神聖魔法には攻撃的な魔法は少ないものの他者を攻撃できる魔法もあるのだから、これほどの魔力を行使できるならば、野盗程度はどうにかなったのではないかと。

 それを言ったヘクターも、ホリーが不意をつかれて捕まったのかもしれないとも思ってはいた。神官にも武器を持って戦う者はいるが、それを出来ない者の方が多いし、ホリーも村娘そのものの格好と身のこなしからすると魔法以外の手段で戦うすべを持っているようには見えなかった。それでもヘクターも不審な点があるとは思っていた。

 だがホリーはなぜそんなことを聞かれたのかわからなかった。



「あの……私は十日ほど前に善神ソル・ゼルム様の啓示けいじを受けたばかりで……さっきの炎も、何か出来るような気がしたんです」



 それはバートたちからすれば信じがたい話だった。ほんの十日ほど前に神聖魔法を使えるようになったばかりの少女が浄化の炎を使えるなどあり得ない。神の啓示を受けることは、神聖魔法を使える神官なら一回は神の声を聞くのは当たり前だが。二回以上神の声を聞くことは、聖女でもなければまずあり得ない。

 バートには思い当たることがあった。



「お嬢さん。君は聖女かもしれない」


「……?」


「は? バート、何を言っているんだ?」



 その突拍子とっぴょうしもない言葉に、ホリーもヘクターもバートが何を言っているのかわからないという反応を示す。それが常識的な反応だ。

 ホリーも聖女の伝説は母から何度も聞かされている。母はその母、つまりホリーの祖母から聞かされたそうだ。自分が聖女かもしれないと言われても、そんなこと信じられるはずがなかった。



「先程私が魔法を使った時、明らかに気のせいではないレベルで魔力の消耗が少なく、威力も上がっていた。剣を振るった時も、いつもよりうまく振るえた。聖女がいる軍勢は実力以上の力を発揮すると聞く」


「ふーむ……あんたがそう言うなら、そうなのかもしれないなぁ」


「……」



 バートの言葉に、ヘクターも信じる様子を見せる。二人は仲間同士であり友人同士であるように見えるが、ヘクターはバートを立てているようにも見える。

 ホリーはわけがわからず混乱している。バートが野盗を殺した時、自分は何もしていなかった。ただ善神ソル・ゼルムに青年の無事を祈っていただけだ。彼が何故そんなことを言うのか、理解出来なかった。


 聖女。それは魔王軍との決戦が近づいた時に人類側に現れ魔族たちを退けるという、伝説の存在だ。聖女のいる軍勢は熱狂的な士気の高さを見せ、圧倒的な力を見せるとされている。それでも魔族たちを打倒するには至っていないのだが。

 そして聖女が現れなかった時は、魔王軍の攻勢に人類側が壊滅的な打撃を受けたことが何度もあるとも。魔王軍は圧倒的な勝利をすると内紛を始めるのが通例であり、人類にかまえなくなるおかげで、これまで人類は滅亡を逃れられていた。

 聖女が現れなかった場合でも、人類側が魔王軍の侵攻を退けた事例もある。百五十年ほど前、この地域での大戦がまさにそれだ。この地域の人類はヴィクトリアス帝国の前身となった王国を中心に結束し、双方壊滅的な損害を受けながらも魔王軍の進撃を退けた。それ以来、この地域においては小規模な戦いはあっても大規模な魔王軍の侵攻にはさらされてはいなかった。

 だが一部の歴史家たちはある説を唱えている。かの大戦において、聖女は現れなかったのではないと。大戦で滅びたある王国の文書に、魔王軍の大規模侵攻が始まる前、聖女をかたる女が処刑されたという記録が残っていると。歴史家たちはそれは王家が自分たちの権威を守るためにしたのではないかと主張している。その歴史家たちも、そんな愚かなことをする王がいるのかと自分たち自身も疑問に思っており、説は広く支持されているわけではない。だがヴィクトリアス帝国に亡命していたその王国の王が、領土が回復されたのに帰還を許されず不審な死を遂げたことと、その王の血筋は現在に残されていないことは事実である。

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