a. 電車内、メイド女子いた

『わたしたちの体、地球という大地、そして空を覆う星々。シャーペン、シャーペンの芯、消しゴム、消しゴムのカス、紙、紙に印刷された黒文字のインク。すべては限られた数の元素から成り立っています。水素、炭素、酸素、など。あらゆる物質は元素からできているのです。


 元素とは、いったい何のことでしょうか。それについて説明していきたいと思います。

 まず「陽子」という小さな玉と「中性子」という小さな玉がグジュグジュにまとまった塊が存在します。その周りを回る「電子」という超小さな玉があります。この単純にして摩訶不思議な構造体は「原子」と呼ばれ、確実に存在しますが極小すぎて、どんな顕微鏡を使っても見ることはできません。

 元素とは、原子の種類と言えるでしょう。例えば陽子8個の原子なら酸素、26個なら鉄、94個ならプルトニウム、といった具合です。もしかするとあなたは、すでに学校で習っているかもしれません。忘れていたとしても、「物体は目に見えない極小の粒が集まってできている」ということを覚えるだけで大丈夫でしょう。また、それらの粒にはいくつかの種類があって、そのそれぞれに、どことなくキモくてどことなく愛おしい固有の名前が付けられ』シュッ



 俺はそのyoutube動画を閉じた。



 さて。

 ここに、世界を構成する元素に翻弄された、一人の男子がいる。自らを「元帥げんすい」と名乗り、消しゴムのカスから人間の脳細胞、果ては天空の星々まで、ありとあらゆる元素の集合体を意のままに操る能力を天より授かりし異能力者。その名も、無良野むらの良人りょうと。まごうことなき、俺である。

 あるときは、握りしめた右手を爆弾のごとき勢いで急激に開放し、この世に存在していなかった新元素を爆発的に生成させる『神』。またあるときは、コバルトブルーの皿の欠片を飲み込んで、含有されているコバルト原子に命令して己のビタミンB12不足を解消する『魔術師』。パソコンやスマホなど精密機器に使われているネオジムやサマリウム、ジスプロシウムたちと、LB波なる交流波の一種を用いて交信して世界中を支配しているインターネット網の破壊を成功させ、世界的通信障害を起こした『超人ハッカー』。そのすべてが、俺なのである。


 俺は……。


 永遠に戻らない貴重な中学3年間を、ずっとそんなカンジで過ごしていた。今、俺はあの時「元素病」という病気に罹っていたんだと、そう思うようにしている。


 *





 *



「ハッ」



 目が覚めた。人が爆増しているではないか。

 そう言えば俺は電車に乗っていたんだ。密密に詰まった周囲。両隣には人が座っており、前方には男性の股間。ここはもしや、物質内部の世界…………あるいは原子どうしが隣り合うナノスケールの世界とワームホールで繋がっているのか……


「ぬああああああああああああああああああああああああああああああああっ」


 過去の記憶が暴走しているッ!


 俺は中学の3年間ずっと「元帥」として生きてきた。この世界にあふれるすべての元素と会話し、思いのままに世界を動かしていた。自らの右手に存在する炭素、水素、酸素や窒素に命じて、握りしめた右手を勢いよく開くことで、この世界に未だかつて存在しなかった新元素を爆発的に生成した中学1年生の5月。コバルトブルーの皿の欠片を飲み込んで、含有されているコバルトに命令して己のビタミンB12の不足を解消した中学2年の夏休み最終日。隣の席のイケメンヤンキーのスマホに使われていたネオジムやジスプロシウムらと内密に相談してそいつの個人情報を流出させることができたのは、周りが受験直前で血眼になりながら勉強していた中学3年の12月のことだった。


「恥ず恥ず恥ず恥ず! どヒャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 元素に命令w。ネオジムとジスプロシウムと密談w。水の精霊と語り合うよりも恥ずかしい。人生の傷。末代までの恥。


「うげぽッ」


 中1のとき理科の教科書をパラパラしてたら偶然元素の周期表のページが開いたんだ。その時、言葉にできない謎の興奮が湧き起こった。そこから俺は、誰がどう見ても変人な人生ルートを爆進していた。


 当然、手ぶらの人間が元素をコントロールすることなんかできない。きっと元素を操作するには超精密で巨大な装置が必要だと思う。ところが俺は、元素を勝手に人として見なし、嬉々としながら会話し、命令し、コントロールしてたわけだ。


「あああああああああああああああああああああ、まーた思い出しちまった! 死ぬ、苦しい苦しい苦しい苦しい、脳みそ黙れ、黙ってくれえええええええええええええええええええええええ!」


 そもそも俺は小学6年生まで普通に明るい活発な男子で友達もいたし運動神経抜群だった。勉強もできたし先生に褒められることが多かった。それが、


 中学のころ、元素の周期表を初めて見た日から2日後、今だに訳の分からないあの謎めいた不可解な出来事が降りかかってきた。あの経験さえなければ、俺はもっとまともな中学生になっていたはずだ。多分。


『お客様にお知らせ致します。他のお客様のご迷惑になるため、列車内ではお静かにして頂きますようお願い申し上げ――』


(うげっ。まずイ)


 我に返って周りを見渡すと、ハゲた会社員、通勤中の黒いスーツのサラリーマン、OL、そして通学中の学生たちが、踏みつぶされたガムでも見るような細い目で俺のほうを見ている。


(過去のくそ歴史、恐ろしや。周りに他の人がいることすらも忘れさせるとは。皆さんスミマセンっ、スミマセンっ、スミマセええン!)


 高校1年生。15歳。


 中学と同じ過ちは二度としてはならない、もう高校生なんだから。

・ファミレスやハンバーガーショップで友達と気軽なトークをしたり、

・山でバーベキューなんかして友達との忘れられぬ一生の思い出を作ったり、

・夏休みは海ではしゃぎまわって男友達とグルになって女の子の肌をちらちら見たり、

・文化祭ではクラスみんなと協力して大盛り上がりしたり。

 3年生になったらみんなで地獄のような受験勉強をして、お互い教え合い励まし合い、最後の最後で涙の卒業式! ってなもんだ。あれ、恋愛はどのタイミングでしようか。まあなんとかなろう!


 ……そもそも、友人ができる気がしないけど。中学時代、元素と本気で会話していた俺に(言うまでもなく)友達はできなかった。小学生のとき友達だった佐藤君と山本君は、変わり果てた俺を見ていつしか離れていった。生徒全員から怖がられ、白い目で見られ、クラスを牛耳っていたギャルに「死ね」と言われ。いつしか俺は、こそこそと、誰にも見られない場所Xに入り浸り、態度の悪い元素どもと中身の無い会話ばかりしていた。俺の悲しき中学時代よ、なぜか愛しい……。


『S。S』


 過去の自分を思い出していたら、電車がS駅に到着。アナウンスの直後に扉が開くと、一気に人々が外に流れ出る。学校に到着するには地下鉄のほうのS駅に乗り換えねばならず、別の路線から流れてきた大量の人間とともに地下鉄車両の中へ一気に押し入らねばならない。


(ここはまず、人が出るのを待ってから……)


 堤防が決壊したかのごとき勢いで人が出ていく。まるでアリの巣穴の中に殺虫剤を入れるとアリが勢いよく爆発的に出てくるのに似てる。元帥だったあの頃の俺は、アリの群れさえも原子の集合に見立てていた。サイズがアリの何百倍もある人間は、勢いのレベルも何百倍。朝から、見知らぬ人様の大群の中で、俺は過去の恥辱を思い出して、わめき散らしてしまった。


(これからやっていけるんだろうか……マトモな高校生……)


 最後尾を歩きながら列車内を出ようとしていた、そのとき


[ガコン]


(?)


[ごろごろごろ]


 車内の床を、1個の懐中電灯が転がっているではないか。


 すっかりスカスカになった車内。蛍光灯の光を反射して鈍く肌色に光る車両内の古びた床を、赤黒くて昭和臭い懐中電灯が、円を描きながら気だるく転がっている。


[ピカ!]

(まぶしっ)


 刹那! 誰が触ったわけでもないのに懐中電灯が点灯! センサー式か?


「うわっ」


 真っ白くて強烈な閃光は、目を焼こうとせんばかりだ! 太陽を直接見たときの眩しさと言えよう!


「やっぱり見えるのね」

「へ?」

「その光よ」


 急に、信じがたいいで立ちの美少女が俺に話しかけてきた。


「え、、……あ、ハイ」

「やはり。昔のあの言葉は正しかったんだわ」


 あごに手を当て、独り言をボソボソつぶやいている。のち、無言になって考え込み始めた。その美少女……否、女子は、目線をやや斜め下に向け、人差し指を下に向け、回し始めた。


「そういうふうに考えれば、普通の人には見えないわ」


 どういうふうにだよ!


「あ、えっとその、自分では自分のことを普通だと……思ってます……のですが」


 と、彼女が目をこっちに向ける。


「違うわ。その光のことよ」

「……」


 すぐに目をそらし、長すぎるポニーテイルと何を考えているか分からない横顔が見える。


 車内はとうとう、最小に最も近い人口密度になっていた。俺とその女子。2人だけになっていたのである。


 その女子。


 なぜなのかは分からない。だが俺の目がバカでなければ、その女子は黒と白のクラシカルメイド服を着ている。背筋をまっすぐに伸ばしたいで立ち。どこか、無駄に自信に満ちて見える。たわわとまな板を足して3で割った程度の中途半端な胸。メイドカフェのメイドさんみたいな超絶明るいのとは見るからに対照的で、堅物の、冷めきった、無味無臭な雰囲気。顔立ちはかなり整っている。でもどことなく「無」だ。


「何色かしら」

「白とく……い、いえ、何がですか?」


 メイド服の色を答えそうになった。危ないところだったよ、ふぅ。


「私の目の色」


 人差し指と中指を、大きな目の上まぶたと下まぶたに当てる。数秒後、2本の指の間から、宝石かと見まがう群青色に澄み切った謎の光が漏れ始める。なぜ目玉から光が出ているのか、そんなこと知らない。でも、とりあえず答える。


「青です、キラキラした」


 2本の指の先端の間隔がゆっくりと狭まり、近接し、閉じた。群青色の光は、指の窓によって完全に遮られたのだ。


「どうやら即効性はないようね。遅効性かしら」


 凛として無表情。真っ黒くてとても長い髪の毛。長いそれを後ろで一つに縛り、頭には白いカチューシャを装着し、さながら、メイドと女武士を混ぜくったような風貌。この女はどう考えても怪しすぎる。なんだか無性にイライラしてきた。


 ふと目線を床に落とした彼女。そのまま膝を曲げてかがみ、ポニーテールの毛先を床に触れさせながら、懐中電灯を拾う。背筋をすっと伸ばして立ち上がり、そのまま……


 何事もなかったかのよう電車から降りる。


 ―― 。


 一人、取り残された俺。


「……なんだったんだ?」


 もしやあれで学校に行く気か? 


 いやいやそんなわけはない。あんな高校生がこの世に存在してたまるか。きっとメイド服屋の店員かメイドカフェの店員だろう。着替えるのが面倒くさくて家で着てきたんだ。俺には無関係の人だ。


『この列車はー、回送列車となります。ご乗車にはなれませんのでご注――』

「やばい。急がないと遅刻しちまう」


 車掌のアナウンスで我に返った俺は、バッと車両から出る。

 高校生初日に遅刻なんてシャレにならない恥だ。急いで階段を駆け上がり、地下鉄へ乗り換えるべく駅構内をダッシュ。が、電子マネーの残高不足のため改札で足止めを食らった。


「んだよ、どけよガキが!」

「すすす、すいませんっ」


 濁流のように改札を通る人々の中、茶色いスーツを着た会社員のおじさんに怒られる始末。高校生の初日だっていうのに、ホントついてないなぁ……。

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