第90話 好機

 ユーライが完全に天使を闇に落とすと、その全てをユーライが制御できるようになった。ユーライは大天使が町中の魂を吸い上げていくのをとめて、さらに少しずつ体を消滅させていった。


 大天使がユーライの敵として暴れ回ることも、町の人たちの命を奪うこともなくなった。


 大天使が宿していた膨大な魔力は、空気に溶けて消えていった。ユーライが吸収することもできたのだろうが、魔力の元が人間の魂だと思うと、あえて吸い取る気持ちにもならなかった。


 闇落ち状態のときなら話は別だが、通常の状態で何万もの人間の魂を取り込むつもりはない。魂の行く先は知らないが、行くべきところに行けばいいと思った。


 そして、ユーライは堕天使召喚というスキルを手に入れた。


 悪鬼召喚と少し使い勝手が違っていて、堕天使は同時に一体しか召喚できない。ただ、殺されても死ぬわけではなく、ユーライの魔力が続けば何度でも召喚は可能。


 また、込める魔力に応じてサイズも変化。五万ほど魔力を込めれば通常の人間サイズになる。背中の翼を使って飛行することも可能なので、使い勝手は良さそうだ。



「あー疲れた……。結構ギリギリだったなぁ……。体は動かないし、魔力もない……」



 ユーライは地面に寝転がり、星空を見上げながらぼやく。


 リフィリスの攻撃は思っていた以上に体に効いていたらしい。大天使を全力で闇に落とした影響もあり、体が動かせなくなってしまった。


 今、誰かに攻撃されたら死ぬ……。ユーライは不安になる。



「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ。私が力を制御できなかったせいで……っ」



 リフィリスは泣くばかり。早く、誰か信頼できて力のある者が来てほしい。



「……随分としんどそうな顔をしているな。魔王」



 その声を聞き、ユーライは冷や汗をかく。



「……エマか。嫌なタイミングで来たな」



 どうしても魔王を討伐したい、聖騎士のエマ。無防備な魔王を見れば、これを好機と攻撃してくるはず。


 ただ、エマは初手で剣を振るうのではなく、わざわざ声をかけてきた。なぜだろう。


 ユーライはエマの方に視線をやる。鎧姿のエマの隣にはエメラルダもいた。



「……やぁ、エマ。私を殺しに来たの?」


「ダメ! エマ! 魔王を殺しちゃダメ! この魔王は悪い魔王じゃないの!」



 リフィリスが立ち上がり、エマの前に立ちふさがる。



「……リフィリス。魔王は悪だ。討伐しなければならない」


「そんなことない! この魔王はただの悪じゃない! 私は魔王を殺そうとしちゃったけど、魔王は私を殺そうとはしなかった! たくさん酷いこともしてきたかもしれないけど、戦う相手はちゃんと選んでる!」


「……リフィリス。そこを離れなさい」


「嫌!」



 エマが剣を抜く。リフィリスはその場から動かない。



「……魔王が弱っている今が好機だ。今後、こんな機会は二度とないかもしれない。悪は討たねばならない」


「魔王が悪だなんて思いこみで判断しないで! 今日、たくさんの人の命を奪ったのは私たちの方でしょ!? 正しい行いをしてるとしても、結果は大量虐殺と変わらない! 教会の正義の方が魔王よりもよほど怖くて危険だよ!」



 エマが押し黙る。



「……しかし」


「もう! しかしじゃないよ! エマのバカ!」



 リフィリスがエマとの距離を詰め、素手でエマに殴りかかる。


 エマの力量なら、リフィリスを簡単に無力化することもできただろう。しかし、エマはリフィリスの攻撃を避け続けるだけで、反撃はしない。



「リフィリス、やめなさい」


「やめない! エマが諦めるまで!」



 大人と子供の喧嘩はしばらく続いた。


 不意に、二人の間にエメラルダが割って入る。



「もうやめて。エマ、剣を納めて」


「私は……魔王を……」


「魔王は、この町を全滅から救ってくれた英雄だよ。あの大天使も、魔法陣も、ろくに制御できてなかった。あのままだと、わたしとエマだって、大天使に取り込まれていたかもしれない。魔王はたくさんの人を救ってくれた恩人なのだから、今日くらい、見逃してあげればいい」


「こんな好機は、もう……」


「きっとまた、こんな機会はある。今日はもう、争うのはやめよう。殺し合いも、誰かが死ぬのも、これ以上見たくないよ……」



 エメラルダがエマを抱きしめる。エマの体から力が抜けた。



「……わかった。今夜はこれで引き下がろう」


「うん」



 エメラルダがエマから離れる。エマは剣を鞘に納め、ユーライに背を向ける。



「……魔王。次に会ったときは、必ず殺す」


「そのときは返り討ちにしてやるよ。またな」



 エマとエメラルダが去っていく。


 その背中はとても寂しげだった。



「……リフィリス、ありがと。私のために戦ってくれて」



 ユーライが声をかけると、リフィリスが振り返り、ユーライの元に駆け寄ってくる。



「当然だよ! 魔王は今まで悪いこともしてきたかもしれないけど、今回はこっちが悪いもん!」


「……そっか。リフィリスがそれを判断できる奴で良かったよ。……それにしても、これからどうしよう。まだ体が動かん……」


「ごめんなさい! 私が酷い怪我をさせちゃって……っ。えっと、私が運べばいいのかな? 魔王を引きずって歩くくらいはきっとできる……っ」


「……引きずるのやめてー。背中が削れるー」



 対応を思案していると。



「……魔王様、随分とお疲れのご様子ですね? 傷も痛そうです……」



 フィーアがやってきた。素の性格に難ありだが、命令には従ってくれる上に強いので、意外と頼りになる。



「……フィーア、無事だったか?」



 イエローベージュのツインテールが、半分欠けている。燃えてしまったのだろうか。他にも火傷の跡が残っているが、大きな怪我はない。



「わたくしは無事です! 神の使いごときの攻撃で死ぬことなどありえません!」


「それは良かった。……悪いけど、ちょっと運んでくれない? 体が動かなくてさ……」


「わかりました! けど……体が動かないということは、もしかして、わたくしに何をされても抵抗できないということでしょうか……?」



 ユーライは、命の危険とは別種の危険を察知。


 フィーアはウキウキした軽い足取りでユーライまで近づき、ニマニマ笑顔で顔をのぞき込んでくる。



「……キスしてしまっても、魔王様は何も抵抗できませんよね?」


「……フィーア。冗談はやめよう」


「でもでも、わたくし、今日は魔王様のためにたくさん頑張ったんですよ? あのクソ天使の相手を一番頑張ったのはわたくしです。そうですよね?」


「……それは、認めざるを得ない」


「わたくしは魔王様の忠実な奴隷です。魔王様が死ねとおっしゃるなら喜んで死にましょう。ただ……わたくしが頑張ったときくらい、ご褒美の一つでもお与えくださっても良いのではありませんか?」


「……そのご褒美が、キスだって?」


「はい!」


「……いや、私ら女同士だし?」


「性別も種族も一切関係ありません! わたくしは魔王様を愛しております!」


「……はぁ。仕方ない。んー……頬にキスくらいならしてやるから、無理矢理とかやめろ」


「むぅ。わかりました。ちょっと物足りませんけど……我慢します。魔王様のためですから!」


「そうしてくれ」


「ちなみに、その傷を付けた者はまだ生きていますか? わたくしが必ずや殺してみせましょう!」


「生きてるけど、殺さなくていい。私は許してる」


「……そうですか。残念です。それでは、魔王様をお運びしますね!」


「頼む」



 フィーアがユーライの体を抱え上げ、心底愛おしそうに抱っこする。



「はぁ……はぁ……魔王様の体温……魔王様の香り……ふへへへへへへへっ」


「フィーアって色んな部分で危ういよなぁ……」



 今頼れるのはフィーアだけなので、ユーライは多少体をまさぐられても我慢する。相手は女の子だし、そう不快なわけでもない。先刻の、フィーアを抱きしめるという約束は果たしたぞ、とは言っておいた。



「もしかして、魔王の仲間ってそんなのばっかり……?」



 リフィリスが少し不安そうにしている。



「そんなことないよ。ここまでヘンテコなのはフィーアだけ」


「ならいいけど……」


「なぁ、リフィリス。私たちはもう聖都を離れるけど、ついてくるよな?」


「うん。一緒に行く。私、聖都は嫌い……」


「わかった。ついておいで」


「うん」


「フィーア、私たちが侵入してきた北の方に向かってくれ」


「わかりました!」



 ユーライたちは町の外に向かう。 


 途中でギルカを背負ったディーナも見つけられたので、一緒に歩いていく。


 聖都は半壊。半数以上が死んだ。残された人たちも、復興していくのは大変だろう。



(……私が壊したり殺したりしたわけじゃないけど、結果的には私らしい報復みたいになっちゃったな……。もうこういう戦いはしたくない……)



 疲労が限界を迎えたか、ユーライの意識はそこで途切れた。

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