三本勝負《六》

 輝秀の体の動作に働く「影響の連鎖」。


 奴の動きは今までの誰よりも速く、視認するのも大変だったため、だいぶ時間が掛かってしまったが。


 それでも、掴めた。


 圧倒的格下である僕の、勝利への唯一の糸口を。

 

 これで僕は、輝秀の動きを「予知」できる。


 大きく息を吸って、吐く。


 呼吸を整え、気持ちを整え、僕は構えた。


「へぇ、根性あるじゃないか。あれを食らっても戦意喪失しないなんてさ」


 なおもヘラヘラした笑みを崩さず、輝秀が空虚な称賛を投げてくる。


 ゆっくりと、構えを維持したまま足を寄せながら、僕は考えた。


 動きを読めるようになったとはいえ、長期戦は無用だ。僕とこいつでは剣士としての基礎体力が大きく違う。


 一方で、こいつは格上とはいっても、結局は僕と同じ人間だ。は共有している。


 ——あごだ。


 聞いた事がある。ボクシングでは顎を打たれると、頭が揺れて、平衡感覚が狂ってしばらく起き上がれなくなると。


 そこを狙う。いくら剣士として優れていても、まともに動けないのでは意味がない。


 輝秀の「影響の連鎖」を把握し、一つの「体癖」から未来の動きを予知できるようになった今の僕なら可能なはずだ。


 たった一撃。されど一撃。一回刺しただけで猛毒をもたらす毒虫のような一撃を叩き込む。


 僕は行動方針を決定する。


 『旋風』の太刀筋を纏いながら、一気に輝秀の間合いへ近づいた。


 輝秀から、視線をいっさい外さず見据え続ける。


 そして、











 底の底まで冷めきった輝秀の一言と同時に。


 木刀を含む輝秀の全身が、姿


 煙と化した輝秀はその総身を渦のように揺らす。その揺れと同調する形で、崩れた木刀の姿が僕へと近づいた。


 驚愕と、それを超える強烈な危機感で、僕の体感速度がスローになる。


 緩慢な時間の中でさえ、僕はただただ驚いて、そして恐れた。


 煙のように姿を崩壊させたという現象に対しての、驚愕。


 だが、それよりも。


 ——「


 あってはならないその事実に対する、本能からの警鐘。


 しかし、時は遅々と、しかし着実に進み。やがて。


「ごぁ——」


 顔面に叩き込まれた、鋭さと鈍さの中間をとったような衝撃。


 緩やかだった体感速度が戻り、頬を殴りつけられた鈍い激痛を実感する。


 ばたばたと床を不恰好に転がる僕。うつ伏せに止まる。


「…………な、なんで」


 僕は呆然と呟く。痛みより、恐れと驚愕が優っていた。


 あいつの「影響の連鎖」は把握したはずだ。それなのに、なぜ動きが読めない?


 いや、それよりも。


(今のは——『龍煙剣りゅうえんけん』か。でも、剣だけじゃなくて、……)


 動きが読めなかったのは、それが原因だ。


 輝秀の体の像が、木刀もろとも煙状に揺らいで見えたせいで、その身に生じた「体癖」が全く視認できなかったのだ。


 でも、どうして。『龍煙剣』が煙のように形を崩すのは、刀身だけだったはずなのに——


「……お前さ、の剣士だろ?」


 いつの間にやら僕のそばに歩み寄っていた輝秀が、そのように問うてきた。


 いや、問うた、というより、すでに知っている事をあえて確認のために僕に言わせようとしているような、そんな語り口だ。


「な、なにを……」


「相手の攻撃を完全に「予知」し、その「予知」を掻い潜りつつ自分に有利な位置を取り、相手を打倒する——そんな類の剣士だろって話」


 僕は大きく目を見開く。


 輝秀が口端を釣り上げた。


「何で分かったんだ、って顔してるね。答えは簡単。「情報」だよ。——剛元ごうもとたけし、って名前に聞き覚えない?」


 僕はさらに驚く。……なんで、こいつが剛元のことを。


「意外そうな顔をするなって。当たり前のことじゃないか。だってあいつも、至剣流の門人なんだからさ。……俺は以前、その剛元から話を聞いた。お前の戦い方についてのな」


 薄ら寒さを覚える。


、ってさ。まるで自分の全てを見透かしてくるような目。お前はそんな目でひたすらに自分を見つめたまま、切紙剣士である自分の剣を完全に見切って、素人同然の剣技でさばいてたってさ。それで分かったよ——お前には、そういう「眼力」があるって」


 僕という人格を強引にこじ開けられて、中を盗み見されているような気分になる。


「お前さ、確か七歳の頃から模写にハマってたらしいじゃないか。コンクールでは最優秀賞を連発、おまけに有名な画家にまで絶賛されたそうだね。すごいもんだねぇ。だけど大量の昆虫を虫籠に詰めてその中でうごめく様子を模写しようとか、流石に少し頭がトんでないかな? 芸術家の考えは分からないねぇ。……おそらく、お前の「眼力」も、そこに起因するものなんだろう?」


 次々とつまびらかにされていく、僕の情報。


「驚いたか? お前も知っての通り、至剣流の国内門人数は百万人超。日本一の規模を誇る剣術流派だ。門人の中にはあらゆる立場の人間がいる。内務省を始めとした各種官庁、報道機関、政財界、軍部、果てには宮内省まで、色んな人がね。ゆえに、俺達嘉戸宗家の元には、日本中のありとあらゆる情報が集まりやすい。柳生宗矩やぎゅうむねのりが四〇〇〇石の大名を務めていた頃の柳生一族のようにね。……お前のような普通の小僧の情報なんて、簡単に手に入るんだよ? 明治時代から続く神田の老舗古書店『秋津書肆あきつしょし』の息子の秋津あきつ光一郎こういちろうくん」


 気持ちが悪い、と思った。


 こいつの言うところの「普通の小僧」についてそこまで周到に調べ上げ、潰そうとする執念が。


 それほどまでに、『望月派』が目障りなのか。自分達より遥かに零細な『望月派』が。


 流派の巨大さに反し、やる事がみみっちい。まるで足下を這うアリンコを潰そうと必死に足踏みをする巨人のようだ。その足踏みで起こった地響きで他の動物が迷惑を被るのもいっさい構わずに。みみっちく、そして巨大さを自覚していない分迷惑もこれでもかと振り撒く無神経さ。


「少し話が逸れたかな。……なるほど、相手の次の攻撃を完全に「予知」できる眼力かぁ。確かにこれは剣士としては素晴らしい才能だね。けど、それだけでどんな敵にも勝てるなんてほど、剣の世界は甘美じゃないんだよ。確かに俺は他の兄者二人よりも弱いよ? でもね、一つだけ、寂尊兄ぃにさえ優っている部分がある。それが、今お前に見せた俺の『至剣』————『級長戸辺ノ太刀しなとべのたち』だよ」


 僕は驚愕のあまり、しゃっくりのように息を引っ込めた。


「『級長戸辺ノ太刀』……? そんな…………『龍煙剣』じゃ、なかったのか……?」


「じゃないんだよ、残念。『龍煙剣』と名乗っている俺のあの技は、『級長戸辺ノ太刀』を使に過ぎないんだよ。螢ちゃんには「特殊な手の内で刀身を揺らがせ、敵の防御をすり抜ける技」と説明してやったが、そいつも嘘なわけ」


 輝秀はそう言うや、再び己の姿を煙のごとく不定形に崩壊させ、僕の周囲をゆっくり周回し始めた。


 煙の姿のまま、再び輝秀は語った。


「この『級長戸辺ノ太刀』は、特殊な呼吸と運足を用いて、を生じさせる『至剣』さ。俺もほとんど感覚でやってるから、どういう呼吸と足運びなのかは説明できないんだけどね。……雷蔵兄ぃの『火之迦具土ひのかぐつち』みたいに身体能力を底上げしたり、螢ちゃんの見せたあの『至剣』みたいな絶大な威力も無い、ただの目眩し。だけどその目眩しは、「読み」に優れた人間にこそよく効く。こいつをやると、「読み」が全く出来なくなるんだ。まして、それに頼っている人間ほど御しやすい。寂尊兄ぃや、お前みたいな奴だよ、秋津光一郎」


 それらを聞いて、僕は絶望的な気分になりつつも、それでも気になっていたことを尋ねた。


「……なんで、『龍煙剣』なんて、嘘を?」


はかりごと多きは勝ち、少なきは負ける——俺だって剣客の端くれだ。自分の手の内を全て晒すような馬鹿はしないってことさ」


 輝秀はそこで止まる。煙化が止まり、元の姿に戻った。


 己の勝利を確信しているであろうニヤケ顔も、顕在化する。


「……んで、どうする光一郎君? ここから先はお前の選択次第だよ。大怪我もしくは死んじゃう前に退くか、勝てない勝負に蛮勇をもって徹するか。好きな方を選びなよ」


 ——勝てない。


 疑いようもなく、そう確信してしまった。


 「影響の連鎖」を掴むことが、格下である僕が免許皆伝者に勝ち得る唯一の道だったのに。


 それを断たれた。『至剣』という、僕には無い絶大な力によって。


 ゼロコンマ数パーセントしか無かった勝率が、たった今ゼロになった。


 これ以上続ければ……僕はいったいどうなるのか。


 これは、起請文きしょうもんを書いた上で行われている勝負だ。どちらがどのような負傷をしようと、勝負の末に死亡してしまったとしても、それを他言無用とし、公になってもどちらか片方に罪を被せず——そう記した上で全員が神仏に誓った勝負。


 もしもここで僕が立ち上がれば、輝秀は今度こそ容赦をしないだろう。


 大怪我で済めばいい。下手をすると——


「……っ」


 僕の手が、震えた。


 戦っても、絶対勝てない。


 だったら。無駄に負傷するだけだったのなら。


 戦っても、戦わなくても、『望月派』の解体という結末が変わらないのなら。


 逃げてしまっても、いいのではないか——


(…………いや)


 良くない。


 僕がそもそも剣術を学び始めた理由は何だ?


 螢さんに、振り向いてもらうためだ。


 だけど僕は今、そんな螢さんがをしようとしていた。


 僕は、螢さんのために、剣を学んだ。そう決めたのだ。


 そして今は、螢さんの大切な『望月派』の存亡を賭けた戦い。


 好きな人の好きなモノは、僕にとっても好きなモノだ。


 であれば、今は「戦うべき時」なのだ。


 戦うべき時に、戦わない、戦えない——そんな男を、彼女は認めてくれるのか?


 それは、彼女が唾棄した、故郷の村の住人と同じなのではないか……?


 木刀を握る手に、力が生まれる。


「っ……くっ……!」


 僕は顔面の痛みを堪え、鼻からの流血を擦って無理やり止めてから、再び立ち上がる。


 そして、剣を構えた。


「——究極の馬鹿発見」


 輝秀は口笛を吹いてそう呟くや、僕へ歩を進めた。またもやその姿が煙のように崩れて動き方がはっきりしなくなる。『級長戸辺ノ太刀』だ。


 煙の剣士目掛けて、僕は『旋風』を用いた。体に渦を纏うような、攻防一体の太刀筋。


 いつもなら防御や突撃に大いに役立ってくれるはずの『旋風』。


「ごぁっ……!!」


 だが、無駄だった。


 人煙が上段から振り下ろした煙の剣は、僕の木刀に擦りもせずにすり抜け、僕の顔面を再び硬く殴りつけた。


 温く金臭かなくさい水気が鼻からほとばしる。意識が一瞬遠のいた。


「ほらもう一丁!」


 再びの煙剣。今度は右頬を殴られる。


 今度は左頬。


 右肩、左肩、右腕、左腕、両側頭部、両脚——


 ありとあらゆる角度から、ありとあらゆる部位へ木刀の打撃がぶつけられる。


 反撃すら許されない。


 ひたすらに、ただ打たれる事のみを強いられ続ける。


 痛すぎて、もはや痛みすら無い。気絶していないのが不思議なくらいだった。


 ぶん殴られている最中、稽古場の床がちらちら見えた。僕の落とした血の雫で真っ赤だった。


「はははっ、はははははははは————!!」


 愉しげな輝秀の笑声と、全身を殴り続ける痛みが、今の僕の世界の全てだった。


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