決着、そして別れ
「————はっ!?」
香坂が目を覚ましたのは、それから一分も満たない後の時間だった。
急にスイッチの入ったおもちゃみたいに、仰向けの状態からガバッと跳ねるように上半身を起こした。
キョロキョロと鋭く周囲へ視線を走らせ、自分の足元近くに立っている僕の姿を見つけると、ふぅっ、と深くため息を吐いた。
「…………ノビてたみてぇだな、俺ぁ」
気を消沈させ、底の底まで低まった声色でそう呟いた。……その姿は、先ほどの巨人じみた気勢とは似ても似つかない。
僕は今なお警戒心を捨てないまま、遠慮がちに話しかけた。
「その……もう、やめましょうよ。僕たちがやり合う理由なんて、もともと無いじゃないですか」
「……おい、俺は何分寝てた?」
「え? ええっと……一分も経っていないかなと」
「それでも数秒は意識すっ飛ばしてお前に無防備晒してたわけか。……んじゃ、負けを認めざるを得ねぇな。もしもこいつが真剣の斬り合いだったら、お前は簡単に止めを刺せてたからな。……心配すんな。もう何もしねぇよ」
それを聞き、僕はようやく緊張を解いた。
大きく安堵のため息を吐き出す僕を見て、香坂はニヤリと微笑した。
「お前、なかなかやるじゃねぇの。俺をノばした剣士は久しくいなかったぞ。至剣流にも、お前みてぇな骨のある奴がまだいるんだな」
「い、いえっ。さっきも言いましたけど、僕はまだ剣を握って間も無いんです。他の剣士と比べるのもおこがましいというか……」
「自信持てよ。お前は十分強ぇ。才能がある。どうだ? よかったら俺らの、『雑草連合』の仲間にならねぇか? お前は至剣流だけど、俺をぶちのめした男だ。特別枠ってことで入れてやっても構わんぜ?」
「いえ。それはお断りさせていただきます。……今の師匠が、気に入っていますし」
きっぱりお断りの言葉を入れると、香坂はジトッとした目をした。未練がましそうな声で、
「……そんなに至剣流が好きかよ?」
「好き、なのかなぁ……成り行きで至剣流を学び始めた感じなので、その辺りはよくわからないですね。ただ、先日に就いた僕の師匠が、至剣流の中でも珍しい免許皆伝だったので……僕の目的を果たすための良い師匠になってくれると思ったから、その人から至剣流を学び始めた感じですね」
「へぇ。免許皆伝の師匠か。今時そりゃ運が良いな」
言うと、香坂はおもむろに立ち上がる。
袴の腰帯に挟んであった切紙免状を取ると、それを僕に差し出した。
「約束だ。これを返す。あとはお前の好きにするがいい」
僕はそれを黙って受け取った。
ありがとう、とは言わない。なぜならこれは香坂が強引に奪ったものだからだ。それを僕が取り返しただけだ。お礼を言う理由はカケラも存在しない。
そんな僕に香坂は微笑すると、僕の後方にある防犯灯付きの電柱へ目を向けた。
「おい」
より正確には、その電柱を背もたれにして座り込んでいた青年——この切紙免状の持ち主に目を向け、ぞんざいに呼びかける。
ビクッとする青年の反応には微塵も気にかけず、乱暴に、それでいてどこか諭すように言った。
「お前ももっとこいつを見習えよ。切紙持ちのお前が負けて、なんの免状ももらってないこの小僧が勝ったんだ。その意味をよく考えとけ。免状もらったから終わりじゃねぇからよ」
対し、青年は不満そうに見つめ返した。
それ以上言うことはせず、香坂は落ちている己の二本の木刀を拾って両腰に戻し、きびすを返す。
そのまま歩き去るのかと思いきや、次のように語り出した。
「……こんな話を知ってっか? 至剣流が全国的に広まった江戸時代、当時の門人の数は二千人に達していた。んで、そのうちの一割くらいが奥伝目録を得た……つまり免許皆伝を得るに至った」
「えっ……!?」
それを聞いて、僕は思わず耳を疑った。
二千人の一割……すなわち二百人。
ありえない。
至剣流が「国民剣術」と呼べるほどの流行を見せている今の時代、至剣流門下生の数は二千人どころではない。以前、望月先生から聞いた話では……百万人以上に達しているという。
しかし、その中で生まれた免許皆伝者の数は、百人もいない。全門人数の一割にすら届いていない数値だ。
それくらいに、至剣流の皆伝というのは、狭き門なのだ。
なのに、今より江戸期では、一割が皆伝していた?
「……それ、本当ですか?」
「ああ。賭けてもいい。……俺は至剣流が嫌いだ。人間ってやつは存外天邪鬼でな、嫌いなものの方が調べる意欲が湧いて、詳しくなりやすいもんだ」
そう淡々と告げてくる香坂の表情は背中に隠れていて見えないが、声の響きからして、嘘をついているようには思えなかった。
……どうなっているんだ。
「……江戸時代の人は、今の人と肉体的に違っていたから?」
「まぁ、最近じゃ、そういう発言をする懐古主義の学者も出てきてるな。「日本人は拙速な西洋化によって本来の民族的肉体を失った」ってよ。…………まぁこれは多少説得力がある説だ。江戸から明治に移るに至って、日本人の生活様式はガラリと変化した。食いモンも洋食多めになったし、教育も寺子屋式の個別指導から、ベル・ランカスター方式を起源とする一クラス一斉授業に変化したしな。体育の授業も、この国の国民皆兵制を成り立たせるために、西洋式の軍隊教育をベースにしている。身の回りのあらゆるものが西洋化して月日が流れるうちに、日本人の肉体的性質が江戸期のソレから変化し、江戸期かそれ以前に起源を持つ武芸の習得が難しくなった……って言いたい感じか?」
僕の言いたかったことを、彼は僕以上の知識をもって言い表した。
そして、的外れだと言わんばかりに大袈裟にかぶりを振った。
「そういう話じゃねぇんだわ。もっと単純にして、根源的な問題と言うべきかもな」
「えっ……?」
「さっき言っただろ。——至剣流宗家の
「……どういう、ことですか」
「これもさっき言ったことだ。——自分で調べろ。俺みたいな一介の剣士から発せられた言葉じゃ、大衆どもはどうせ納得しやしねぇんだ。自分で調べて、それは初めて自分のものになる」
どういう意味か分からない。
至剣流に問題がある?
今の至剣流のあり方に?
まさか、日本全国に至剣流が広まっている状況が気に入らないと、この期に及んで言うつもりか。
……多分違う。今の香坂が言いたいのは、そういうことじゃない。
話を交わして一つ分かった。この人はやっていることこそケンカ屋そのものだが、本質的には賢い人だ。言葉のところどころに、僕以上の教養の匂いを感じる。
そんな人が、ただ「気に入らない」という感情論だけで、ここまで至剣流を敵視するだろうか?
だが、感情論を除いた、その他の理由とは——
「ま、気になるんなら、色々調べてみるこったな。……明治かそれ以前の資料が見つかったらラッキーだ。そいつをベースにして調べるといい。大正以降の至剣流テキストは軒並みクソだからよ」
言いながら、香坂は歩みを再開した。
「あ、あのっ……」
「——楽しかったぜ。
僕が曖昧に呼び止めるのにも構わず、彼はどんどん遠ざかっていく。
不思議なことに、その後ろ姿は遠くの曲がり角に姿を消すまでの間、ずっと大きく見えた。
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作中の日本では、まだ徴兵制度が残っております。
二十歳になったら、必ず徴兵検査をします。
とはいえ、合格率は10%未満。
強力な同盟国を得たのと、軍事技術が発達して昔ほどの兵員数が要らなくなってきたのと、ホイホイ徴兵していたのでは国防予算がもたないというのが主な理由。
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