新学期、そして冷遇

 打ち込むモノが「模写」から「剣術」に変わっても、やはり僕は僕だった。


 夏休み中、とにかく剣の稽古に熱中した。


 熱中しすぎて熱中症にもなった。ダジャレじゃないよ?


 反省してから、また熱中。


 とにかく、知っている剣の型を、時間と体力の許す限り練り続けた。


 すでに夏休みの宿題は終わっているので、思う存分打ち込めた。


 あっという間に夏休みは消化されていった。


 朝起きて稽古、ご飯食べて稽古、ご飯食べて稽古、お風呂入って就寝——同じような日々を何日も繰り返してきたため、日にちや曜日の感覚が曖昧になっていた。そのため、いつの間にか八月三十一日になっていてびっくりした。


 さらに面白いことに、八月三十一日は金曜日であるため、九月一日と二日は土曜と日曜。つまり夏休みが二日伸びた。つまり新学期は九月三日からというわけだ。


 夏休みが延びても、僕は変わらず稽古に打ち込んだ。




 そして————新学期が始まった。












 二〇〇一年九月三日。朝。


 一ヶ月ちょっとぶりの我が学び舎、富武とみたけ中学校の校舎は、もはや懐かしくすら感じた。


 ワイシャツにスラックスの男子、ワイシャツにスカートの女子の混成した生徒たちの流れの中に僕も混ざり、昇降口へ。

 

 上履きに履き替え、教室へと向かう。


 部活の勧誘ビラ、生活マナーを訴えかけるポスター、コンクール出品募集ポスター、新聞記事の切り抜き、士官学校の勧誘ポスターなどが貼られた掲示板をいくつか通り過ぎて進み、ようやく一年三組の教室へ到着。


 教室へ入った途端、「金色」が視界の端にちらついた。


 こんな色を発するクラスメイトを、僕はエカっぺ以外に知らない。


 僕は近寄って、机に一人頬杖をついている異国の血を引く親友に挨拶した。


「おは。エカっぺ」


「おは。コウ……って、あんたちょっと日に焼けたんじゃない?」


「そうみたいなんだよー。ほら見て、半袖の跡がくっきり」


「あらまホントだわ。ははは、長い手袋してるみたいね」


「そういうエカっぺは、変わらず肌白くてキレーだね」


「……ありがと」


 エカっぺは前髪をいじりながら、呟くように言う。


「ていうか、あんたあれから稽古の方はどうよ? ちょっとは上達したわけ?」


「うーん、それを判断してくれる人がいないから分かんない。あとで見てくれる?」


「いいけど……やっぱり、ちゃんとした道場通ったらよ? あたしに見てもらうよか、そっちの方が上達がダンチよ? それに学校だけじゃ、至剣流の型は一部しか教えてもらえないし」


「だよなぁ。そのうちそうしようかと思うんだけど……稽古代をどうするかなぁ」


「親と交渉してみたらよ」


「そうだねぇ。今度相談してみる」


 僕がそう決めると、エカっぺはしかつめらしい顔になる。


「腕を磨くのはいいけど、あんまり無茶苦茶なことはしないようにね?」


「無茶苦茶って?」


「あれよ。辻勝負つじしょうぶとか、喧嘩とかよ。いつか「腕を磨くため」とか言って、不良に喧嘩売ったりしないでよって話」


「い、いくらなんでもそこまではしないよ……ていうか、そんな事する人いるの?」


「いるのよ。あんたが思ってるより、この帝都は平和じゃあないのよ。『雑草連合ざっそうれんごう』とか、『天狗男てんぐおとこ』とか、その他もろもろのケンカ野郎どもは、東京のあちこちで木刀片手に元気いっぱい暴れてるわけよ」


「ざ、雑草? 天狗?」


「『雑草連合』ってのは、至剣流以外の剣術を身につけた連中の混成グループよ。至剣流一強な現代の武芸界が気に入らないから、あちこちで生意気な至剣流剣士に因縁つけてぶちのめしてるのよ」


「天狗は?」


「『天狗男』ね。……こいつについては謎が多いわ。不良グループの溜まり場にふらりと現れては、一人でその全員をぶちのめして回ってるっていうことしか知らない。目的も不明。なかなか強いってことくらいしか分からないわ。あ、名前の由来は、常に天狗の面をかぶってることからね」


 エカっぺの話を聞いて、僕はすっかりちっちゃくなっていた。


 そんな人達ともし闘うことになったらと思うと、震えてくる。


 エカっぺは呆れたようにため息をついて、


「あんたねぇ、この程度でビビっててどうするのよ。あんたが懸想けそうしてる望月さんはね、こんな連中より絶対強いはずなのよ?」


「う。た、確かにそうかもしれないけど……」


 僕が自信なさげに曖昧に答えていると、




 ——うわ、あいつまだこの学校にいんの? 最悪。




 小声で、しかし耳をすませば聞こえるくらいの声量で、そんな言葉が聞こえてきた。


 思わず周囲を見る。


 すでに教室には結構な数のクラスメイトたちが登校してきている。だが、誰が音源か分からない。


 ——-どの面下げてこの学校に来てんだよ。


 かと思えば、またどこからともなくささやき声が。


 ——いなくなってくれないかな、って期待してたのに。


 また。


 ——露助ろすけが。


 聞こえてくる。


 ——マジ消えて欲しいのよね。


 どこからともなく。


 ——俺の父さん殺した奴の仲間が。


 嫌悪、侮蔑、憂鬱、それらを内包した声色が。


 クラスメイト達から、次々と聞こえてくる。


 彼らはちらちらと、僕の方を——いや、僕の隣にいる、エカっぺを見ていた。


 今の状況が、いったい何を意味しているのか、ニブイ僕にだって分かる。


 ——エカっぺは、だ。


 より正確には、ロシア人のお父さんと、日本人のお母さんとの間に生まれたハーフ。

 

 しかし、半分でも、ロシア人の血が入っている時点で、クラスメイト達にとっては「露助」なのだ。


 ——十年前、日本の北方へ攻め込んできた、侵略者の民族の血筋。


 そんなロシア人に対し、被侵略者である日本人の目が、温かいわけがないのだ。


 十年経った今もなお、ロシア人に対する日本人の見方は厳しい。

 

 僕は、エカっぺに目を向けた。


 無表情で頬杖をつき、窓を見つめていた。


 気丈に振る舞うでもなく、もう慣れっこだと言わんばかりに。


 ……それが、僕は少し悲しかった。


 






 そんなこともあったけれども、時間はあっという間に過ぎていき、放課後となった。


 今日は夏休み明け初日なので、授業は半ドンだ。つまりまだお日様はさんさんに輝いている。


「エカっぺー、一緒に帰ろー」


 クラスメイトが次々と席を立って帰り始める教室にて、僕は今なお座ったままのエカっぺに声をかけた。


 いつもなら「あーはいはいちょっと待っててー」って感じで応じてくれるが、


「あ……うん……」


 今日は少し、元気が無かった。


 もしかして、朝のアレを気にしてるのかな……


「ほらほら! 楽しい放課後たーいむだよ? 早よ早よ! ハリーハリー!」


 僕はことさら陽気に振る舞い、彼女のテンションを上げようと試みる。我ながらちょっとバカっぽい感じがするけど。


 それが功を奏したのか、エカっぺは弱々しくはあるものの、小さく微笑んだ。


「……うん。ありがとね、コウ」


 とりあえず笑顔になってくれたので、ひとまずヨシってことにし、僕は頷いた。


 二人隣り合わせのまま、僕らは下校を開始した。


 教室を出て、昇降口で靴に履き替え、校門を抜ける。


 すでに九月だが、暑気はまだまだ健在で、激しく動かずとも汗ばむくらいだった。アブラゼミとツクツクボウシのけたたましい鳴き声がいくつにも重複して聞こえてくる。


 隣り合わせとなった僕らの影が前へ伸びている。身長163センチという小柄な僕に対し、エカっぺは172センチと長身だ。その身長差を影も正直に示していた。


 少しでも並ぼうと爪先立ちしながら歩く僕に、エカっぺは不意に声をかけてきた。


「ねぇ、コウ……」


 弱々しいその声に、僕は背伸びをやめて「どうしたの?」と優しく返事をする。


 エカっぺは項垂れている。そのショートな金髪が垂れているせいで、横顔が隠れて見えない。


「あたし達さ…………もう、つるむの、やめない?」


「……え」


 その言葉に、僕は思わず立ち止まる。


 どうして。そう問うよりも先に、彼女は続けた。


「あたしと一緒にいるとさ……あんたまで孤立するじゃん。あんたが友達いないのって…………あたしと一緒にいるせいなんだよ?」


「そんなこと——」


「あるの! あんたみたいなお人好し……本当はクラスで好かれてなきゃおかしいもん! だけど、あたしはみんなから嫌われてる! 忌まれてる! そんな奴と一緒だから、あんたまで嫌われてるんだ! あたしの「嫌われ者」が、あんたにも伝染してるんだっ!」


 僕は、何も言い返せなかった。


 ……事実だと、思ってしまったから。


 敵の敵は味方、とは言うが、なのだ。


 彼女に対して厳しい目を向ける学校の人達が、彼女と仲良くしている僕にまで暖かくない目を向けるのは、あってもおかしくはない。


 いや、事実僕も、学校の生徒に声をかけた時、無視されたり、嫌そうな顔で対応されることが時々ある。恨みを買っているどころか、縁もゆかりもない生徒にだ。


 僕の口がいくらエカっぺのために嘘で取り繕おうが、事実は嘘をついていない。


「あたしさ……つらいんだよ。あんたがあたしのせいで、みんなから嫌われるのが」


 蚊の鳴くような声でそう言われた。


 ——今の言葉を、クラスメイト全員に聞かせてやりたいと思った。


 確かにエカっぺはロシア人だ。十年前に侵攻してきた敵国の民族の血を引いている。


 でも、他人を平気で傷つけたりするような人間は、今みたいな言葉を絶対に言わない。


「…………エカっぺはさ、僕と一緒にいるのは嫌?」


「そ……そんなことっ」


「じゃあ、それでいいじゃない」


 だったら、僕にとって、一緒にいる理由はそれで十分だ。


「僕はエカっぺと一緒にいたいよ? お互い一緒にいたいんなら、それだけで理由は十分だと思わない?」


 僕はそう言って、Vサインしながら笑う。


 エカっぺはそんな僕を見て、目を見張っていた。


 その白い頬に赤みが差した——ように見えたが、彼女は勢いよく顔を背けたため分からなかった。再び金髪に横顔が隠れて、表情がうかがえなくなる。


 でも、


「…………ありがとう、コウ」


 消え入りそうな声で、そう告げてきた。


 かと思えば、


「そ、それじゃぁっ! あたし今日、急ぎの用があるからっ!! ま、ま、また明日っ!!」


 今度は一気に上ずった声でそう言うや、突然走り去ってしまった。


「え、あ! ちょっとエカっぺ!?」


 急な全力疾走に、僕は訳が分からずポカンとするが、


「でも、「また明日」か……」


 その言葉が聞けたのだから、もう大丈夫だろう。


 ひとまず安心した僕は、一人で家までの帰路を歩き出した。


 その途中で、道路の端っこに伸びた長い雑草の先端に、ある昆虫が留まっているのを発見した。


 ——あ、オニヤンマ発見。


 そういえば、オニヤンマのスケッチ、望月さんに一目惚れしたことですっかり頭からスッポ抜けてたなぁ。


「よし、書くか。もうすぐ秋になるし、今のうちに」


 僕は歩道の端っこに座り、スケッチブックと鉛筆を取り出した。


「動かないでよー……」


 どこから書こうか観察して、その大きな目からに決めた。


 しゃっ、しゃっ、と慣れた手つきでオニヤンマの目を模写していく。


 そこを始まりにして、口、羽、胴体……と連鎖させていく。


 ——模写を上手に描くコツは、その被写体の構造を理解することだ。


 人間を描く時は服のシワまで描かなければいけないが、そのシワも、内包している肉体の動きに反映している。


 


 この「影響の連鎖」を理解すれば、服のシワも、その下にある肉体の体勢もまとめて把握できるし、模写することはそう難しくはない。あとは書き手の画力の問題だ。


「ふんふんふーん」


 僕はあっという間に、オニヤンマを画用紙の中に顕現させていく。もう八割がた。


 虫の模写には慣れているし、特にトンボを描くのは好きだった。


 僕の苗字「秋津あきつ」というのが、トンボを意味する古語だからだ。


 将来はトンボ専門絵師になるのもいいかもなぁ。


 そういえば、言わずと知れた剣豪宮本武蔵玄信は、兵法の達人だっただけじゃなく、芸術家でもあったそうな。彼の描いた「枯木鳴鵙図こぼくめいげきず」は今なお熊本の博物館に健在である。


 僕も武芸と芸術を両方極めた男になれたらいいなぁ、なんて思いつつ、僕は鉛筆を白紙に走らせた。





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「露助」という単語は今でこそ侮蔑的ニュアンスを得てしまっていますが、最初は「ロシア人」を意味するロシア語「ルースキー」が日本語的に訛ったもので、侮蔑的なものではなかったそう。

 だけどロシアがいろいろとやらかしたため、いつしか侮蔑のニュアンスを得てしまったとのこと。


 今作では世界観の都合上、この「露助」という単語が比較的多めに出ますが、作者自身に強烈な反露蔑露意識はございません。ボルシチもブリヌイも食べたい。

 ただ、現在起こっている軍事侵攻には断固批判の姿勢。


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