えげつない夜のために 第七話 残骸

九木十郎

第七話 残骸(その一)

 キコカがその場面に出会ったのは本当に偶然だった。

 夜間の巡回を終えて夏場よりもずっと遅い朝焼けの中、一路自分の部屋へと向っている途中のことである。嗅ぎ馴れた臭いと殺伐とした気配に、ふと気付いてしまったのだ。

「やれやれ」

 あたしは溜息を付いた。

 何故このタイミングで、と思った。本来の持ち場どころか担当地区からも逸脱しているうえ、既に太陽も昇り始めている。場所も時間も規約の外、完全に職務外の案件だ。報酬も支払われない厄介ごとを律儀に背負う謂われはない。

 気付かなんだと報告してしまえばそれで済む話で、たとい疑念を持たれたとしても追求を受ける理由は何処にも無かった。腹黒くて粘着気質の腐れ上司だが、その辺りの分別程度は持ち合わせている。

 そもそもこの近辺は別の担当者のナワバリである。迂闊に首を突っ込んで、もめ事のタネを作るのはカンベンだ。だからコレはノータッチが一番。狩り狩られるのは生き物の宿命。人間だって例外では無い。生き延びることが出来る個体も居れば、生き延びられない個体も居る。ただそれだけの話だ。狩られたモノは運が無かったと諦めてもらおう。

 ヒトの命は地球よりも重いなどと、素っ頓狂なヨタ飛ばす方々が聞いたら、目を剥いて口角泡飛ばす物言いかもしれない。だが、ヒトにはそれぞれ譲れない都合や思惑があるのだ。

 そう決め込んで先を行こうと思ったのだが、何故か足は前に進んでくれなかった。

「・・・・」

 ヒリヒリとした狩り独特の気配は波打っているが、血の臭いはしない。まだ事には及んでいないのかもしれなかった。

 顔見知りが餌になったら寝覚めも悪い、か。

 出会って一ヶ月にも満たないクラスメイトたちだが、別れる時も同じ顔ぶれは揃っていて欲しいものだ。この辺りは自分が詰めている学校の近隣だし、たまたま偶然級友の家が襲われる可能性は無きにしも非ず。先ずは在り得まいと思うのだが、万が一というコトもある。

 仕方が無いともう一度息を吐き出すと、頭の中をギリギリまで冷やして五感を研ぎ澄まし、全身の気配を消しながらそっと踵を返した。

 まったく、何時からこんなに仕事熱心になったのやら。

 あたしは声には出さず片頬だけで笑った。

 この地での当初の目的は果たし、今は残務である一週間の観察期間である。明後日にはこの町を出る予定だ。なので明けた今日は学校も完全にサボって、朝から部屋で一杯ひっかけるつもりだった。だというのにコレはどういう有様か。自ら選んだ報酬規定外のサービス残業。再生したばかりの頃の自分が見たらいったいどんな顔をするだろう。

 臭いと気配は何時も通る路地よりも、一筋挟んだ向こう側から漂ってきていた。

 足元を見れば、小学校の近辺でよく見かける緑色に塗り分けられた路側帯があった。辺りに標識は見当たらないがどうもスクールゾーンらしい。そう言えば近くに学校があったな、と思い出した。

 自分には関係の無い区画だったのでざっくりとしか見ていなかったが、小学校だったのかもしれない。こんな早朝に小学生がウロチョロしてるとも思えないが、「作業」を見られては厄介だ。自分のポケットに入っている忘却暗示のクスリは成人向けの配合で、二次成長を迎えていない子供には強すぎて使用できないのである。ましてや、小さい子に口止めなど期待する方が無茶だろう。大人ですら道理の通らぬ輩は山ほど居るというのに。

 確かに、言われたことをキチンと理解して約束を守ってくれるのは、むしろ子供の方だったりもする。大人よりも子供の方が生真面目だ。だが、全てという訳じゃあない。

 それに小学生なんて、好奇心が服を着て歩いて居るようなものだ。充分以上に注意する必要が在った。杞憂で終わるならそれで良し。この仕事で一番大事なのは興味を引かせないこと。何気ない日常の中に全てを埋没させることなのである。

 あたしはいつも以上に繊細に足音を忍ばせて、更にゆっくりと近付いていった。


 丁字路の向こう側、背の高い垣根の陰に居ると知れた。

 姿はまだ見えない。臭いが揺れているのは風向きのせいだろうか。それとも何かに迷って行きつ戻りつを繰り返しているのか。路地の路面を微かに踏み換える音が聞える。歩幅は小刻みで体重も大したコトはない。恐らく小柄だ。素足では無い。だが革靴のような固い靴底でもない。

 地面を踏んだ足が離れるまでに微妙なタイムラグがあった。履き物が足に合っていないのか、それとも踵の浮くサンダルか何かか。まだコチラには気付いていないようだ。一足の間まであと三歩。間合いに入れば垣根の向こう側に飛び込んで、一瞬でカタを付けるつもりだった。不意を突ければ一振りで充分だろう。

 あと一歩。

 腰の得物をジワリと抜いた。

 だがソコまでだった。背後に別の気配を感じて振り返れば、曲がり角から大柄な少女がちょうど路地に入って来るところだった。あたしを見つけた彼女が表情を強ばらせて誰何すいかした。

「あなた誰?ソコで何をしているの」

 険のある声が路地に響いた。よく通るなかなか良い気迫だ。そして軽く溜息をつく。彼女の一声で、垣根の向こう側にあった気配は瞬時にかき消えてしまったからだ。

「相手の名前を訊くのなら名乗るのが礼儀でしょう」

 向き直ってそう返した。やれやれ、思わぬ闖入者である。

「そんな物騒なものを手にしてよくも偉そうに言えるわね。わたしが先に訊いたんだからあなたが先に答えなさい。返答次第じゃただじゃ済まさないわよ」

 物言いもさることながら体臭も普通の人間じゃない。少女にしか見えないが、間違いなく強化対応者ブーステッドマンだ。

 まったく、獲物を逃した上こんな顛末になるなんて。似合わぬコトなどするものではない。やはり仕事熱心な者には厄介ごとしか舞い込んでこないのだ。

 得物を腰の鞘に収めると軽く肩を竦めて返答をした。

「この地区の担当者ね。朝早くからご苦労さま。でもどうせ巡回するのなら真夜中の方がよくない?それともお仕事の帰りだったのかしら」

「わ、わたしの質問に答えなさい!」

 一瞬鼻白んだ様子だったが更に詰問を重ねた。まだ気付いていないらしい。消臭には気を配っているが、この距離ならあたしが普通じゃないと判りそうなものを。経験不足なのか緊張しているのか。仕方がないので「コレが目に留まらない?」と左手を上げて残刑カウンターを見せつけたら、そこでようやく次の言葉を呑み込んだ。

「そ、そう言えば北高に使い手が派遣されているって言っていたわね」

 自分に言い聞かせるような物言いにも聞えるが、殊勝というニュアンスにはほど遠い。不審物を眺める目付きまで変わった訳ではなかった。

「その使い手様が、朝早くからわたしの担当区で何の御用」

「アレの臭いを感じたから狩ろうとしていたの。その垣根の向こう側に居たのだけれど、逃げちゃったわ」

 えっ、と驚愕した少女は慌てて歩み寄り路地を覗き込んだのだが居る筈もない。彼女の後ろから覗いて見ても、やはりがらんとした早朝の路地が在るだけだった。

「あんたが取り逃がしたヤツを追って来たってこと?迷惑だわ」

 頭一つ高い彼女の視線が睨み付けている。年若いが小さくない威圧感があった。一七〇センチを越えているだろうか。

「あたしのノルマは先日完了したわ。現在は観察期間中。今夜の巡回を終えて部屋に戻る最中に野良のヒト喰らいに出会し、ちょっと狩ってみようかなと思ったダケ。ま、余計なお世話だったわね」

「そ、んな臭い、何処にも無かったわ」

「此処に立っていてもまだ分らない?この残滓にも気付かないというのは少し問題ね。素人?それとも風邪でもひいて鼻が詰まっているのかしら」

「偉そうに。何様のつもり」

 再び名前を言えと云われて思わず苦笑した。テコでも最初の方針は崩さないつもりらしい。

「邑﨑キコカよ」

「犬塚伊佐美。先代から継いで山本地区の守番を務めているわ」

「ひょっとして代替わりをしたのはつい最近?」

「だったら何よ」

「相棒は居ないのかしら。上役に依頼して、鼻の利く猟犬でも連れた方が良いわね」

「余計なお世話だわ」

「確かに。あたしはあと二日ほどでこの町を立つ。もう邪魔はしないから安心して」

 ひらひらと手を振って彼女の脇を通り抜け、いつもの帰り道に戻っていった。だが、彼女の視線はその視界から消えるまで、ずっと背中に突き刺さったままだった。

 部屋に戻ってシャワーを浴び、冷蔵庫の中からストックのビールを取り出し、プルを開けたところでスマホが鳴った。腐れ上司からで、次の派遣予定先でアレが消失したのだという。

 どういうコトかと訊けば、複数匹居たモノが互いにナワバリ争いの果てに食い合って、共倒れになったのだという。珍しいこともある。だが今まで先例が無かった訳ではない。

 派遣先の予定が無いのなら現在の赴任地で待機となる。だが指示されたのは、現地地区担当者と協力して徘徊するヤツを狩れというものだった。

「地区の担当者や案件とは、非接触非介入が原則なのでは」

 そう言うと、地区責任者から直々に協力の願い届けがあったと返事があった。公僕として市民からの依頼を拒否することは出来ない、文句を言わずにキリキリ働けと言われた。そして本案件は別枠なのだから、サボらずに昨日までの持ち場に「出勤」しろと釘を刺された。

「学校にはもうアレは居ません。しかも日中ヤツラはお眠の時間です。あたしが出張るのは夜からで充分・・・・は、地区の責任者が?会ってどうするんですか、通話かメールで何も問題ありません」

 そして自分は観察期間中で、二つの案件を同時に扱うのは契約違反だと抵抗した。だがコチラが言い切る前に、監査官を臨時で派遣したから現任務は現時刻を以て終了。何も問題は無い、と言われた。

 この野郎、相変わらずこっちの都合はガン無視か。

 これ程手早く身代わりが用意出来るのなら普段からやれと思った。今まで予定外の案件が持ち上がる度に交代要員を要請したが、それが聞き入れられた試しはなかった。そのくせ現場にはコレだ。自分の要求ばかりを押し付けてくる。

 そして責任者との面会はセッティング済みだから、送ったメールの時間と場所に遅れず行けと言い残して、一方的に通話は切れた。

「ふざけやがって」

 右手には通話終了の文字が浮かぶスマホ。そして左手にはプルを開けたばかりの、よく冷えた五〇〇㎖の缶ビールがある。せめてあと一分、いや三〇秒早く連絡入れろよと腹が立ってきた。じっと缶ビールを睨む。時計の針はもう八時を回っていた。

「知るか!」

 あたしは一言吠えると五〇〇㎖缶を煽って一気に中身を飲み干した。

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