第3話

美人はどこにでもいるとはよく聞く言葉だ。確かにどんなに田舎に行っても、どんなに貧しい国に行っても美人はいる。美しいことと幸せになることとは少なからぬ関連性があるように思うが、美しいこととその人が住んでいる場所が都会か田舎かということとはあまり関係がないように思われる。

美しいことはそれ自体ですごいことだが 彼女が住んでいる町が田舎が都会かとはあまり関係がないように思われる。

あまり豊かでない インドネシアのような国に行っても美人はいる。もちろん フランスやアメリカのような先進国に行っても美人はいる。その社会の経済や文化の発展と関係なく美人はいる。美人がいることでその国の経済や文化に何か関係があるのかと言われればそれはあるとは言えない。ただ美人がたくさんいてくれるということは何となくその国が豊かなような感じはする。ただ そんな感じがするだけで だからどうだということは証明できない。それにしても美人が多くいてくれることは 嬉しいことだし なんとなく 豊かな気持ちにもなる。それ以上のことは言えないけれども 美しい人が多くいてくれる国は何となく将来が明るいような気がする。

これもなんとなく だが プーチンのような人がいる国とそうでない国があるとすれば 何となく 美人が多いのは プーチンのような人があまりいない国 のような気がする。何の根拠も証拠もない 。ただただ僕 個人がそんな気がするというだけのことだ。美人が多いということはなんとなくその国の将来に希望が持てるような気がする。全く根拠も証拠もないのだがそんな気がする。

まあ 美人が多くいたからって 僕が美人にモテるというわけではないんだけれど。これと似たような話に 歴代の美人という話がある。平安時代にはこんな 美人がいたと言われても それはもう昔に終わってしまった話だし今生きている僕らには関係のない話だ。だけど僕らは時々そんな話で盛り上がる。平安時代には何にも美人がいてくれたと言われても 今の僕らには特に関係がないそんな話はだから 無意味だ。全くその通りなのだが でもこんな話を時々 したくなってしまう。美人に関する関心は昔から相当強いらしい。だが確実に間違っていない話もある。それは DNA だ。一家の中に美しい母や姉がいたりするとその下の子も美人である場合が多い。これはかなりの確率でそうだと言える 。私が今まで出会ってきた女性たちでは大抵はそうだ。それは日本人ばかりに限ったことではない。知り合いの中国人の場合もそうだった。美しい母からは美しい娘は息子が生まれる そうでない場合ももちろんある。だが 大抵の場合は美しい母親からは美しい娘が生まれる 。遺伝子というものは、それほどに強く残酷だ。遺伝 というものは恐ろしい顔つきや 肌ツヤだけでなく、体つきや 性格にまで現れる。美しく愛らしい女性の娘は大抵の場合 美しく愛らしい。とても 体つきが美しい女性の場合は 娘もとても美しい体つきをしている。顔つき だけでなく 髪の色ツヤから体つきまで全て母と同じように 娘は生まれてくるわけだ。だから美しくなるために整形手術というのも 一つの手だが、遺伝子のレベルから変えるとができれば それが一番 望ましい。しかも 一度変えることができれば獅子孫々に至るまで美しいままでいられるわけだ。だから 遺伝子操作や整形美容に頼るよりも 美しい 遺伝子を持った美しい男なりに 女性 と遺伝子交換をするのが最良なんだろう。

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