女子柔道について

 転生したら生肉食らう原始人で、アミが鼻歌歌う3話に歌詞を入れました。

 まず誰も知らないだろう、柔道一直線の歌詞ですがふと思いました。

 ヒロイン戸田アミ高1で柔道初段、極端流空手1級なのですが、私が柔道を頑張ってたころ、女は柔道やってなかった。

 東京オリンピック1964年昭和39年初めてオリンピック競技に柔道が加わって、でも男子柔道のみでした。


 講堂館柔道の創始者、嘉納治五郎はボンボン育ち、女は弱く守るべき対象と、ボンボン育ちの悪い面が出て女子の入門は許すが、女子の試合を禁ずる!!となりました。


 男子柔道の段級審査は、勝てば100点引き分け50点、負ければ0点の採点で、5人と対戦し300点以上が合格です。

 私は3人に勝ち2人と引き分け400点で初段になりました。


 では試合を禁じられていた、女子の段級審査はどうやっていたか?

 高段者の審査員と乱取り稽古をやって、実力を認められたら初段取得と言ったあやふやな物で、知り合った黒帯女性に聞くと受ければ合格だったようです。


 女子柔道の試合がいつまで禁じられていたか?信じられない事につい最近まで禁じられていました。

 1992年バルセロナオリンピックが女子柔道の初めです。

 それに先駆けて、講堂館柔道も女子の試合が許可され、今や男子柔道より女子柔道の方が活躍しています。


 因みに剣道は、占領下政策で昭和27年まで禁じられていました。

 笑ってしまいますが、当時の占領軍は柔道や空手は身体を鍛える物で禁止されていませんでした。

 武士道や大和魂を恐れ、刀で武道を行う武器で個人が強くなる行為を禁じ昭和27年、解禁されても「室内竹刀競技」名で占領軍から許可されました。

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