【第一章完】からくり始末記~零号と拾参号からの聞書~

阿弥陀乃トンマージ

第一章

江戸を出る女と男

                   零


「……媼よ、これはどういうことか?」


 折烏帽子を被り、立派な狩衣を身に纏った中年の男性が、庭に控える老年の女性に問う。


「……恐れながら、どういうことかと申しますと?」


「儂は、この日ノ本中に点在しているあの忌まわしき連中を確実に『破壊』出来るものを用意せよと申したのだ」


「それは承知しております……」


「誰も女中を手配しろなどとは言っていない」


 男性が扇子で指し示した先には、老年の女性の近くで同じように跪く、若い女性がいた。若い女性は黒地に白い花が胸元当たりにあしらわれた着物を着ており、それを赤い帯で固く結んでいる。黒く長い髪を丸め、後頭部上方でお団子のようにまとめている。頭に付けた二つの花飾りが少し揺れている。老年の女性が少し頭を上げて答える。


「なかなか気が付きますので、今日からでもお城で働けます」


「戯言はよせ」


「これは失礼を致しました……」


 老年の女性がくくっと笑いながら頭を下げる。


「……まさかこの女子がそれか?」


 中年の男性が信じられないといった表情になる。


「時たま戯言こそ申しますが、御命令に対して冗談で応えたりなどは致しませぬ」


「にわかには信じがたいが……」


「お試しになってみてはいかがでしょう?」


「……正気か?」


「正気も正気でございます」


「ふむ……例の者どもを呼んで来い」


 中年の男性が命じると、庭に薄汚れた格好をした男たちが通される。それぞれの手にはボロボロの刀や槍を持たされている。男たちは庭で若い女性を取り囲むように並ばされる。


「……」


「では、この女子を始末しろ」


「!」


 中年の男性の言葉に男たちは戸惑いを露にする。さすがに何の理由も無く、無防備の若い女性を殺せというのは、にわかには受け入れがたい。男たちは誰も動けずにいる。中年の男性はため息をひとつついてから告げる


「はあ……おぬしらはこのままでは死罪を免れぬ罪人じゃ。誰でも良い、この女子を始末した者は罪の一切を免除してやろう」


「‼」


 男たちの顔色がガラッと変わる。


「分かったならやれ」


「う、うおおっ!」


 男たちが若い女性に襲いかかる。


「……ふう」


 女性が頭をわずかに上げ、ため息をこぼすと同時に、髪を大げさにかき上げる。


「⁉」


 男たちがまとめて倒れる。男性の家来たちが男たちのもとに駆け寄って確認すると、そのことごとくが絶命していた。その報告を受け、中年の男性が信じられないといった表情で若い女性に尋ねる。


「そ、そなたがやったのか……?」


「……」


「よ、良い、直答を許す」


「……他に誰がいますか?」


 若い女性が凛とした、それでいてどこか冷たい声色で問い返す。


「ううむ……」


「……いかがでございましょうか? 必ずや老中さまの意に沿う結果をもたらせるものだと確信しておりますが……」


 老年の女性が口を開く。老中と呼ばれた中年の男性がしばし考え込んでから、再び問う。


「媼よ、つまりはこのものもそうなのだな……?」


「ええ」


「信じられんな……面を上げい」


「はっ……」


 若い女性が顔を上げる。美人だが、まだまだあどけなさを残している。


「まだ娘ではないか……」


「お気に召しましたか?」


 老年の女性がくくっと笑いながら尋ねる。老中はムッとする。


「だから戯言はよせ……しかし、女子が刺客とは考えがなかなか及ばんだろうな……よし、そなたに『破壊』を命じる……紙を渡せ」


 女性に紙が手渡される。女性はそれに目を通す。


「ふむ……」


「仔細はその紙に全て記してある……ただ、誰にも見られてはならんぞ……⁉」


 老中が驚く。女性がどうやったのか紙を一瞬で燃やしたからだ。


「内容は全て頭に入れました……ご心配なく」


「そ、そうか、頼もしいな……ええっと……」


 老中が老年の女性に視線をやる。


「名を申せ」


 老年の女性が若い女性に促す。


「『藤花とうか』でございます……」


「そうか、藤花よ、公儀の安寧の為、あの忌まわしきものたちを『破壊』せよ!」


「はっ、必ずや……!」


「吉報をお待ち下さい」


 藤花と老年の女性が頭を深々と下げる。その翌日、江戸を出発する藤花がぼやく。


「なにが吉報をお待ち下さいだ、あのババア……私だけ行かせるとは薄情な……しかも早朝に出立しろだと……私は朝が弱いんだよ、まったく……ん?」


 藤花が足を止める。目の前に総髪で、長い髪を後頭部上方に丸く収めた長身の男性が立っていたからである。男性は修験者のような出で立ちで、奇妙なことに左肩に楕円形の大きな赤い盾を担いでいた。男性は藤花に向かって丁寧に頭を下げる。


「……おはようございます。藤花さん」


「……誰だい、アンタは?」


「この度、同行させて頂くものです」


「は? そんなの聞いてないけど? ババアに言われたの?」


 藤花が首を傾げる。男性も首を傾げる。


「どのババアのことをおっしゃっているのか分かりかねます……」


「誰に言われた?」


「はっきり誰かとはお答えしかねますが……遡れば老中さまにまで行き当たります。よって貴女さまの敵ではありません」


(老中が? ババアめ、完全には信用されていないな……。杖を持っているが武器ではないだろう。盾は護身用か。ということは……なるほど、私の監視役ってところか……)


 藤花が男性の顔をじっと見つめる。男性が困惑する。


「あ、あの……」


(精悍な顔つきだな、正直嫌いじゃない……ってそうじゃないだろう、私。ま、まあ、この手の男は案外初心なもんだ。百戦練磨の私にかかればどうとでもなるさ)


 藤花は品を作って、男性に尋ねる。


「あの……お名前を伺ってもよろしいですか?」


「え? あ、ああ、これは失礼しました。それがしは『楽土らくど』と申します」


「楽土さん、素敵なお名前ですね……女子の一人旅、実は心細かったのです……」


「え、ええ、藤花さんは拙者が必ずお守り致します!」


(おうおう勇ましくてかっこいいねえ、楽土とやら、精々利用させてもらうさ……)


(なんだろう、急に口調が変わったな、藤花さん……苦手な類かもしれないな……)


 藤花と楽土、内心それぞれに思いを抱いた女と男が江戸の街を出立する。

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