第3話──秘書官の仕事
「王子の秘書官だぁ? よくわからんがエラそうだな。その口ごと叩き割ってやる!」
予想通り、賊の一人は考えなしに片手斧を上段から力任せに振り下ろしてきた。剣を斧の刃にかみ合わせると、滑らせるように斧の一撃を避けて大男の後ろへと回り、頭を思い切り蹴る。
牢屋で身構えているのが残り3人。まだ牢の鍵は開けられておらず、加勢が来ることは考えにくい。そして、幸いにも部屋の隅に固められていた2人の看守は縄で縛りつけられているだけで目が動いている。つまり、意識がある。
「くそっ! あいつ、小柄のくせに強いぞ! 行くぞ! 2人掛かりでやればなんとか!」
細身の2人の男が走り寄り、剣を同時に切りつけてきた。認識が甘いと言わざるをえない。小柄のくせに強いのではない。小柄だから強いのだ。
一度身体を沈み込ませると、目の前に2本の剣が現れたタイミングで一気に浮上する。下から軽く小剣で叩けば、剣は持ち主の手を離れて床へと突き刺さった。
体が熱くなるのを感じて、上空へと跳び上がる。顔の横を子猫ほどの大きさの小さな火球が通り過ぎていった。
この中で警戒しなければいけないのは、たった一人。牢へと続く扉を燃やした
目深にフードを被った紋章士の右手の甲には〈燃ゆる火の紋章〉が刻印されていた。他の紋章を宿している可能性はあるが──。
空中で体を回転させる。後ずさりして落ちたフードの下に
そのままの勢いで突撃すると、フードを切り刻んだ。驚いたことに、紋章士はまだあどけなさの残る少女だった。
敵の体勢が整う前に、看守の縄を切る。すぐさま看守長が立ち上がると、怒りに満ち満ちた声を上げた。
「全員、引っ捕らえろ!」
*
「ふぅ……終わったよ。ティナ。そっちはどうだった?」
私は、淹れたばかりの紅茶を王子の座るテーブルに2人分置くと、内心を読み取られないように固い表情のままに答えた。
「お疲れ様でした、王子。式は滞りなく終わったようで。こちらも首尾よく終えることができました」
重い鎧を脱ぎ捨て簡素な召し物に着替えた王子は、ティーカップを持ち上げると軽く香りをかいで口をつけた。私の入れた紅茶が王子の柔らかそうな唇を経由し、口の中に入っていく。私も気づかれぬようそっと微笑むと、紅茶を口にした。
「美味しい」
「ありがとうございます」
王子に紅茶を入れるようになってまだ数えるほどしか経っていないが、この時間が1日の中で最も幸せな時間だった。
「でも、報告だと牢屋に賊が入ったって」
「はい。ですが、予想はできていたことだったので、適切に対処致しました。軽い怪我を負った者はいるかもしれませんが、死者は出ておりません」
王子の晴れ舞台に血を流させるわけにはいかない。
「そうか。だが──」
王子はなぜか神妙な面持ちで私を見た。瞳の中に多少の揺らぎが見える。
「ティナ。君は無事なのか? ケガなどはどこにもなく?」
「はい。問題ございません」
「そうか。それならいいんだけど」
ホッとした顔をすると、王子はまた紅茶を飲んだ。
ずっとこうして向かい合って紅茶を飲んでいたい。できれば他愛もない話をしたり、声を出して笑い合って時を過ごしたい。
しかし、私は秘書官だ。これから始まる王子の公務を滞りなくサポートするのが私の役目。
「さて、王子。さっそく明日からの予定が入っています」
「う……お手柔らかに頼みます」
「はい。まずは、城下町の視察。これは、王子が成人を迎えたことを国中に知らせるとともに何か異常はないか、不満はないか王子自らの目で確かめるために行われます。それから、午後には各大臣との会議、夜には貴族の皆様との晩餐会が──」
「あーちょっと、ストップ」
「はい。いかがなさいましたか?」
王子はティーカップをソーサーの上に置くと、手の指を突き合わせて軽く目を瞑った。これは、王子が何かを深く考えているときに出る仕草。
紙の束を机の上に置いて、紅茶を口に含む。甘みのなかにあるほのかな苦みが舌の上を転がっていく。茶葉から抽出された豊かな香りは、過去の記憶を思い出させた。
──「この紅茶おいしいね!」、「うん! うちで採れた茶葉なんだよ!」──
王子は覚えておられるだろうか。否、きっと覚えてはおられまい。それでも構わない。今、こうして
王子は目を開けて、指を元に戻した。
「明日の視察だが、お忍びで行くことはできないだろうか?」
今も昔も王子の提案に応えるのは、なかなか骨が折れるようだ。私は、ため息を紅茶とともに飲み込んだ。
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