王子のクーデレ秘書官は本音を叫びたい

フクロウ

第1話──生きる、その決意

 ティナ・アールグレンは一度は地面に捨てた銀の剣を拾うと、切っ先を敵に向けながら素早く移動した。その細身の体型を活かして左右に体を揺らすと、落ちてきた岩石を後ろへと避けて跳び上がる。降ってきた火球を両手で握った剣で弾き返すと、岩石を乗り越えて巨体の敵の懐へ突き進んでいく。


 鍛え上げられたしなやかな肢体したいに波のように揺れ動く長い銀色の髪。ティナの動きは時と場所が違えば、演舞のように見えていただろう。だが、ここは宮殿でも舞台でもなく庭園でもなく洞窟。それも天井はすでに崩れ始め崩壊の危機のなかにあった。


 ティナは表情一つ変えずに三つ頭のあごの下に潜り込むと、空中で一回転しながらそのあごを斬った。


 肉を断ち切る音のかわりに高い金属音のような音が鳴った。刃が入らなかったのだ。


 すぐさま三つ頭は、牛でも丸呑みできそうな巨大な口を開けて、それぞれ火球と水流、球電きゅうでんの砲撃を放つ。着地と同時に地面を転がり、髪1本分のスレスレで攻撃を回避するとティナは空中を優雅に跳んで距離を取った。


 着地と同時に石礫いしつぶてを踏む音がする。


「……硬い」


 ティナは透き通るソプラノの声でつぶやくと、片手で剣を構えた。


 硬いと言っても鉄や鋼のような金属類の体をしているわけではない。見た目は全身黒い毛で覆われた犬と同じだ。ただ違うのは、首が3つあり、剛毛で、巨体で、影のように黒一色で塗りつぶされているということ。


 それは、「怪物フォヴォラ」と呼ばれていた。影のように揺れ動き、漆黒で、人を襲う怪物。


(目を突けば倒すことはできるかもしれない。でも……) 


 ティナの頭上目掛けて岩石が落ちてくる。剣を一振りすれば、ちょうど真ん中に亀裂が走り、小さな体を避けるように地面へと衝突していく。地響きが足元を揺らし、砂埃すなぼこりが舞い上がった。


 ティナは顔を横に振って乱れた前髪を直した。こうして悩んでいる間にも崩落は進んでいく。唯一の出口が塞がれ、逃げる術がなくなるのは時間の問題だ。


『君は、絶対に生き残らないとダメだ』


 先に地上へと向かった王子はそう言っていた。魔法の影響で全身傷だらけになり、脇を二人に抱えられながら。


『僕の命令はただ一つ! 君が生きて僕の元に帰ること! そうでなければ──』


 その先の言葉は岩石が落ちてきた音でかき消されてしまった。


(王子は何を言おうとしていた?)


 口元の動きを思い返すが、言葉は読み取れない。王子の唇、健康的で柔らかそうな薄い唇は確かに何か言葉をつむいでいた。


(わからないけど、きっとまた私にとって大切な言葉)


 またも襲ってきた3色の砲撃を体をひねって軽くかわすと、三頭の犬が悔しそうにうなり声を上げた。


(あれは、おそらく犬のコピー)


 だからうなり声は威嚇いかく。そして、次の行動は──。


(王子の命令は絶対。いかなるときも私は王子のために)


 ティナは、銀の剣を腰に下げたさやへと戻すと、左手をゆっくりと地面に置いた。


(私は、すでに契約した。王子との約束は守らなければならない。だから、私はここで死ぬ訳にはいかない)


 地面に置いた手から黒い光が発生する。怪物と同じ闇の底から現れたような光だ。


「王子の命が尽きるとき、私もまたその命燃やしつくさん」


 ティナは「契約」の言葉を復唱し、微笑む。我慢できずに吠えた三頭の犬の足音が響くなかで、ティナの手が何かをつかみ上げる。


 闇を照らすようなまばゆい光が辺り一面を白く染め上げていく──。



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