9品目「出汁/フュメ」
【Lesson 05:出汁という魔法】
その日、レンタルスタジオには、ふたつの鍋が火にかけられていた。ひとつは澄んだ水に昆布が揺れ、もうひとつは銀色の寸胴で、魚の香ばしさが立ち上っていた。
「今日は“出汁”。料理の“声”を決める部分だよ」
「声……?」
「素材が“何を言いたいか”を、どう伝えるかってこと。和と洋、同じ“魚の水”なのに全然違う」
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◆【1.和風出汁:昆布と鰹節】
「こっちは和食の基本。昆布と鰹」
蜜姫が鍋の中を見下ろす。そこには、じっと水に横たわる昆布が。
「昆布は……水から、やろ? こいも聞いたことある」
「うん。60〜70度でうまみが出るから、沸かしちゃダメ。ゆっくり、じっくり、対話する」
蜜姫が笑う。
「昆布と対話って……光生、詩人みたいやな」
昆布を引き上げたあと、光生が追い鰹を投入する。
「一気に香りを立たせる。で、すぐ止めて濾す」
蜜姫は湯気に鼻を近づけた。
「……ああ〜……すごい。しゅんと染み入る匂い……お吸い物みたいや」
「これが“引き算の出汁”。素材を引き立てる、静かな脇役」
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◆【2.フュメ・ド・ポワソン:魚の出汁】
一方、洋風の寸胴は、はるかに騒がしい香りを立てていた。玉ねぎ、セロリ、白身魚のアラ……そして白ワイン。
「で、こっちは“フュメ”。魚の骨を焼いて、野菜と炒めて、水とワインで煮込む」
「え、焼くと!? さっきのと真逆やん!」
「うん。香ばしさとコクを立たせる。“足し算”の出汁。料理の中で“主張”する」
蜜姫がレンゲですくい、そっとひと口。
「……っ! ぐわっとくる……厚みがある。え、これだけでごはんいけるやつ!」
「でしょ。クリーム、バター、塩で“完成形”に持っていく。和出汁は“基礎”、こっちは“土台”って感じ」
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「光生さん……ほんに、出汁だけで世界が違うっちゃな……」
「料理は音楽みたいなものだよ。同じ楽器でも、奏で方で曲が変わる」
蜜姫が両方の鍋を交互に見つめる。
「優しか声と、力強か声……両方、好きや」
「どっちも使えるようになろう。和洋どっちのシーンでも戦える子になるためにね」
「よっしゃ、今日のこいは……ちゃんと覚えっど!」
湯気の向こうで、蜜姫の目が少し大人びて見えた。(多分、錯覚)
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