第5話 雨と風とサポート終了の日々

朝の光がまだ柔らかく差し込むレモンカード事務所の一角。応接兼作戦会議室の机に、佐藤は突っ伏していた。


「どうしよう……」


疲れ切った声が、薄く静かな室内にこだました。古びたモニターにはWindows XPの懐かしいデスクトップ。止まることのないメールの受信音が、まるで警鐘のように鳴り響く。


《未読999+》

《エラーメッセージ:不明な問題が発生しました》


次々と届くメールのタイトルが画面の端を滑っていく。


──「御園某の発言について」

──「正式抗議:全日本和食文化保存協会」

──「怒りの炎:焼肉連盟・激怒」

──「"魂の火傷"発言に関しての説明を求めます(ミシュラン星付き料理長一同)」

──「我々は“魂”を込めてます。by北海道スープカレー協会」


「佐藤さん、もうこれ、パソコンごと変えたほうが早いですよ」


隣で画面を覗き込んだ塩屋が、呆れたように言った。


「ていうか、なんでまだXPなんですか?」


佐藤は真っ赤に充血した目をゆっくりと上げた。


「……いや……村崎アイツ、これが落ち着いたら変えるって、3年前から言ってる気がする……」


「もうね」と、煎餅をぽりぽりと音を立てながら須崎が言葉を継ぐ。「サポートなんかとっくに終わってるどころか、ネット繋がってるのが奇跡。ていうか呪い」


「このメールソフト、“ふぁみーゆメール2003”って……マジっすか」


塩屋は半ば呆然としながら首を振る。


佐藤はうつむいたまま、ぽつりと呟いた。


「……泣いていいかな」


「ていうか、今“不明な問題が発生しました”って出ましたよ」と須崎が指差す。


「これたぶん、心の問題ですね」


「XPに心とかいらねえ……!」


佐藤が机を叩いて叫んだ。だが、叫びとは裏腹に、その目には涙が滲んでいた。


それでも、塩屋は気楽な調子を崩さない。


「でも、プロの料理界を一斉に敵に回すって、逆にすごくないですか? なんかファン増えてますよ。“あれくらいハチャメチャだからいい”って言ってる人、けっこういるみたいですし」


「じゃあXPにもファン層あるか?」


佐藤が顔を上げ、虚ろな目で天井を見つめた。


「あるなら俺、こいつと心中するよ?」


「XPって、別れるタイミング逃した初恋みたいな存在だよね」


須崎が真顔で呟いた。


佐藤の頬を、ひとすじの涙が静かに伝っていく。


「やめて泣くぞマジで……」


その瞬間、部屋の空気を切るようにテレビが自動で点き、番組の予告映像が流れ出した。


──「このあと、さらに加速する料理界との対決——」

──「次回、ついに“料理界の重鎮”が動く!」


佐藤は再び机に顔を埋めた。



---


午前10時、同応接室。


静まり返った室内で、村崎は一人の渋い男と落ち着いた口調で話していた。


「…やはり“十四代”ですな。冷酒より常温で、ふくよかさが出ます」


「うむ。“而今”もいいが、旨口ならやはり“飛露喜”……」


扉が開き、佐藤、塩屋、須崎の三人が入ってくる。


「どちら様……?」と佐藤が尋ねた。


村崎は即座に応える。


「紹介します。大海原 大五郎氏。東京の一等地に料亭を構える、大御所です」


ゆったりと立ち上がり、ふところに手を入れながら男が言った。


「君が佐藤くんか。いい肝っ玉をしている。御園くんの暴走を止めるでもなく、黙って任せるとは…なかなか骨があるじゃないか」


「いえ、むしろ任せてないというか…気づいたら勝手に進んでたというか……」


佐藤は曖昧な笑みを浮かべながら答えた。


塩屋がスマホを操作しながら言う。


「一応、知り合いの事務所には全部声かけときました」


「えっ?」佐藤は思わず聞き返した。


「わたしも。こないだの放送で反響あったから、今ならいけるって」


須崎の一言に、佐藤の顔が引きつる。


「ちょ、どういうことなの……?」


そのとき、再びテレビが自動で点き、特番の告知映像が流れ出す。


ナレーションの熱のこもった声が部屋を満たした。


「激闘!100人の料理人バーサス100人のアイドル!

料理界と芸能界、魂の激突、いま始まる!!」


佐藤の顔面から血の気が引いていく。


「話、でっかくなりすぎてない!?」


扉が勢いよく開かれ、御園が飛び込んできた。


「はわわ、はわわ、前回の舎弟……じゃなかった、調理師専門学校の皆さんを、お連れしました!」


「また勝手に動いたー!」


佐藤が叫ぶ。その背後に現れたのは、厳格な面持ちの専門学校校長だった。


「我々も、力になろう。100人の選手に加わる許可をいただければ、喜んで協力しよう」


「これは……アイドルと現役料理人、双方のプライドをかけた戦い。軽々しく巻き込むわけには……」


須崎が珍しく真剣な表情で言った。


「え、え? どうして私以外、全員ノリノリなんですか……?」


外からのざわめきが高まり、応接室になだれ込んでくる他事務所のマネージャーやマスコミ関係者。


「うちにも料理に自信のある子たちがいます!ぜひ参加を!」


「ならば、我々が技術指導をしよう。彼らが本物に触れれば、戦えるだけの力になる」


大海原が満面の笑みで言った。


「面白い。審査員は、この私が引き受けよう。知己の食通たちも、すぐに招集できる」


「話がどんどん大きくなってるーー!!」


佐藤の叫びは、誰の耳にも届かない。


「話題性、バッチリです!視聴率、期待できますよ!」


マスコミ関係者が笑顔で押し寄せる。


御園が手元のメモを確認しながら宣言した。


「現役料理人の諸君、こちらは……覚悟は定まった。って、社長が言ってました!はわわ、はわわ!」


佐藤は絶望の表情で天を仰ぐ。


「誰か……XPごと俺も初期化してくれ……!」


『究極の料理サバイバル・バトル』開幕


それは、料理の腕と誇りを賭けた――

史上最大のサバイバルマッチだった。


ルールはいたってシンプル。

料理人一人に対し、アイドルシェフ一人が正面から勝負を挑む。

与えられたテーマに沿って、両者は一皿の料理を完成させる。


審査の基準は――味、見た目、そして独創性。

すべてを懸けた勝負の果てに、勝者だけが次の舞台に進む。

敗者は、即座にその場を去る。


だが、そこで戦いが終わるわけではない。

敗者が去った瞬間、新たな挑戦者が姿を現すのだ。


それはまるで、終わりなき連戦連勝の試練。

最後までその舞台に立ち続けた者――

生き残ったチームだけが、真の勝者となる。


一人、また一人と対戦相手が消えてゆく。

誰もいなくなった瞬間、戦いは幕を下ろす。


料理人が生き残るのか――

それとも、アイドルが最後に笑うのか――


こうして、究極の料理サバイバル・バトルが幕を開けた。



---


試合は幾日にもわたって続いた。

雨の日も、風の日も。

ときには、スタッフの村崎がパソコンのOSをなぜかWindows Vistaに変えてしまった日も。


アイドルたちは、倒れては立ち上がり、

料理人たちは、鍋を振りながら時に語り合い、

観客は惜しみない拍手とどよめきを送り続けた。


雨にも、風にも――

そして、OSのサポート終了にも負けず。


火を灯し、汗をぬぐい、

渾身の思いを一皿に託す者たちの姿が、そこにはあった。


そして、ついに――その瞬間が訪れた。



---


最後に残ったのは、アイドルチームだった。


幾多の料理人を退け、

数えきれない試練を越えて、

ひたむきに、まっすぐに、料理と向き合い続けた彼女たち。


誰もが、初めは信じていなかった。

けれど、彼女たちは証明してみせたのだ。

夢も、芸も、料理も――本気でぶつかれば、壁を越えられることを。


調理台の上に立つ最後の一人。

そのエプロンには無数の染みがあり、

その両手には、いくつもの火傷の跡があった。


それでも、その顔には、誇り高き笑顔があった。


観客席から大きな歓声が上がり、

敗れた料理人たちは静かに頭を垂れ、

審査員たちは惜しみない拍手を送った。


「見事だった。あれが、真剣勝負というものだ」

審査員の一人、大海原大五郎がつぶやく。


一方で、アイドル×シェフ協会の御園皐月は、思わず目を潤ませながら感嘆した。

「うぅ……はわわ、アイドルって……すごいんだなあ……」


佐藤は放心状態で呟いた。

「勝ったのか……本当に……」


須崎は、どこか得意げに微笑む。

「ほらね? 私たちのアイドルちゃんたち、最強だったでしょ」


塩屋が、冷静に状況を告げる。

「ちなみに、グッズと円盤の予約も跳ね上がってます」


村崎は――OSがフリーズしたのか、無言だった。


そして物語は、新たな局面へと突入する。


なぜなら――


今度は、世界大会が開催されるからである。


佐藤は絶叫するように言った。

「うそー!?」

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