感動ポルノ

 春子。という自分の名前がきらいだった時期がある。春の子。まるで「希望の子」と呼ばれてるみたいじゃないか。じっさい、私には震災後、「奇跡の子」というけったいな仇名がついた。あまりあのころのことをちゃんとは覚えていない。避難生活でとにかく憔悴していた記憶はある。避難所にマスコミがよく来て、私も悪かったと思うけど、なにも分からないまま受け答えしているうち、その報道が一人歩きして全国紙に連載されていたことは、物資を分けてくれないなど嫌がらせの甚だしかった老女が、言い争いののち火傷しそうなほどつめたい関西弁で匂わせてきた。

 すぐに新聞を見た。五大全国紙は避難所で配られており、私はもともとテレビ欄と阪神タイガースがいつも負けてるスポーツ欄しか追っておらず、震災の混乱するような報道から目を背けたかったこともあり、興味がなかったが、数週間ぶんのバックナンバーふくめ、誰でも読むことができた。「春を待つ奇跡の子」というタイトルの連載で、リベラル系新聞の日曜版社会面に、ごていねいな四色刷が紙面いっぱいに広がり、いつ撮った写真なのか、しかし見覚えのある水玉のハンカチで目頭をおさえ堪えるように口元を引き締めているのは間違いなく私だった。いや、泣いてはないぞ。目にゴミでも入ったんじゃないか、ものすごい切り取りだ。両親と祖父母を失ったものの、ひとり生き残った娘が、気丈に震災後を生きていくという、ありがちすぎて失笑するようなできあいのお涙ちょうだいストーリーである。じっさいのところ、私は母屋から離れたプレハブ小屋で生活していたから家屋に潰されなかっただけで、べつに奇跡で生き残ったとは思ってないし、それに福島には愁香がいたから、天涯孤独というわけでもない。が、記事に載っている内容はすべて私が話したとおりで、写真もそうだし、このように加工されると世間にとって都合のいい美談はかんたんにでっち上げられるということに自尊心がざわざわした。当時まだ「感動ポルノ」という言葉はなかったと思うけど、知らないうちにそこに出演させられていたかのような心もちだった。子どものころから近所の大人や教師にはよく「愁香のほうが美人だね」とからかわれて、じっさい彼女のオリエンタルなたかい鼻やほそい顎にくらべれば私は地味な顔立ちだったし、それでも必ず「でも春子のほうが頭と性格がいいね」と気づかいのようにではなく付け加えられ、べつに愁香と学校の成績はおなじぐらいだったから、そっちの自覚はなかったが、ああ私はつまり、愛される容貌なのだな、と、歯を磨きながらバストイレのちいさな鏡を見ているとき、いきなり睨みかえす。そのことが分かって以降、私はなるべく笑わないようにした。マスコミの取材もできるかぎり断るようにした。が、そのことによってすらも悲劇性は拡大してしまったらしい。極めつけは、私が高校のときに書いた詩だ。この詩のテーマは、過剰な服薬により自殺した友人を思って書いたもので、震災とはまったく関係がない。


   ☆

   

「子供を作ろう」


子供を作ろう、ぼくらは。


僕たちはあまりに多くの人を

失ってしまったから

子供を作ろう


埋め合わせるためでなく

失った人のことを伝えるために




子供を作ろう、ぼくらは。


僕たちは優しかったあの人を

失ってしまったから

優しい子供を作ろう


埋め合わせるためでなく

いつかあの人のオムレツが

おいしかったことを話すために




子供を作ろう、ぼくらは。


僕たちはかわいかったあの子を

失ってしまったから

かわいい子供を作ろう


埋め合わせるためでなく

たまに見せるえくぼが

とても好きだったことを

やっと伝えるかんじで




子供を作ろう、ぼくらは。


僕たちは弱かったから

多くの人を奪われてしまったから

強い子供を作ろう


取り戻すためでなく

思い出を守っていってくれるように




ばーちゃんのしわだらけの手から

とーさんのごつい手から

女の子のやわらかい手から

赤ちゃんのちっちゃい手から


そしてかーさんのお腹を触って

子宮の中の命まで

脈々と繋げてく


ために



子供を作ろう、ぼくらは。


僕たちはあまりに多くの人を

失ってしまったから

子供を作ろう


埋め合わせるためでなく

失った人のことを伝えるために






ほら

コウノトリが飛んでった


その向こうをかすめる火葬場の煙

骨を軽すぎると形容するのは

子供たちが計り方を知らないから。


彼ら彼女らが遺した

言葉や体温、シャンプーの香りが

白いカケラにずしりと

こびりついている。


だから

骨をゆっくりひもとき伝える。

風が流れてく。



そして今年も暑い夏がきた。

来年も夏はくる。その来年も。


種はやがて大輪のひまわりになり

ショートホープは値上がりして

子ネコは町の王様になり

空は背丈のぶん少し低くなり

思い出は未来になる。



ぼくらは子供を作ろう。

また、会えるように。


   ☆


 すきな詩人もサザンの桑田さんぐらいしかいないし、詩のことは行分けされている散文との区別がつかないぐらい、よく分からないが、あんまりいい詩じゃないと今でも思う。というより、近所を歩いていれば聞こえよがしに酷評の言葉を投げつけられたり、怪文書じみた批判のファンレターが切手もなくポストにどっさり入っているうち、やっぱりいい詩じゃないよな、と肩をおとすようになった。それに少なくとも、被災者がこの詩を読んで怒る気持ちは分かる気がする。とはいえ、私は国語の授業で「命について書きましょう」と出題されたから仕方なく書いただけで、べつに評価されるとも、されたいとも思っていなかった。書いたあと、しばらくとんと忘れていたぐらいだ。

 これがいったいどこから流出したのか、許可を出してもいないのに、連載「春を待つ奇跡の子」の最終回を飾り、それを伝えられたときの私の号泣する姿と相まって、当時はキー局の朝のニュースで有名な女性ミュージシャンが語尾をあざとく滲ませながら物々しいBGMにのせて朗読することもあったぐらい、おおきな話題となった。半年もしないうち嘘のようにブームは去ったが、あの最終回が下半期であれば「子供を作ろう」が流行語大賞にノミネートされたんじゃないかというほど、とくに関西での瞬間最大風速はすごかったと思う。私が泣いたのは、こんなので評価されたと思うぐらい繊細じゃないけど、身勝手に扱われて無感情でいられるような愚鈍でもない。申し訳なかったからだ。でも誰しもが私の声を「解釈」することはあっても「傾聴」してくれたことはなかった。

<みんな自分の読みたいようにしか読まないからね>

 手紙にそう書いてくれた恋の言葉だけが響いた。文通を経たのち、就職を契機に恋が関西へと出てくることになり、その会社は適応障害で朝出社できずすぐに辞めてしまったのだが、私たちは傷を癒やしあうように同棲をすることになる。やがて、地方の冴えない文学賞だが恋の小説が佳作を取り、福島の震災があり、結婚し、夏美を引き取ることになり……。のあたりの順番はぐちゃぐちゃで、事実、このとおりではないような気もする。どの順番であれ、いま私はここにいる。由佳のいったとおり、恋は「奇跡の子」だった私を助けてくれた。そのために彼が存在したのならば、彼はふたたび別の「奇跡の子」を救うことがあってもいいだろう。

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