前進の栄光

夏茶菓

プロローグ・紹介

プロローグ

1914年6月28日、二重帝国のフェルディナント大公がサラエヴォを訪問した際にセルビアの過激派であった青年ボスニアからの暗殺者6人によって殺害された。


7月23日にセルビアに対し最後通牒を発し、セルビアへ犯人の所属組織の内情を調査させるため十点の要求を突き付けた。


25日に総動員をかけ、セルビアは第五条、第六条を除いた最後通牒を認めた。


26日、二重帝国政府は翌日の内にセルビアとの国交断絶、一部動員を行ったがセルビア政府が内政干渉を理由に第五条、第六条を認めようとしなかった。その後における進展はなかった。


1914年7月28日、二重帝国はセルビアに対し宣戦布告を勧告した。


29日、ロシア帝国はセルビアを支持を表明。一部動員を始め、ヴィルヘルム2世が動員の停止を要求したが、ニコライ二世は要求を拒んだことによりドイツ帝国は最後通牒を発した。


8月1日、ロシア政府が最後通牒を再び拒みんだことでドイツは総動員をかけロシアに対し宣戦布告を勧告した。

その後は、露仏同盟によりフランスの参戦

シュリーフェン・プランに基づきベルギー政府へ宣戦布告が行われた。


8月4日にイギリスは停戦要求が伝わらなかったと感じ、世界大戦へと参加していった。こうしてww1第一次世界大戦が行われた。



しかし、ifの世界であればどうなっていたのであろうか。存在する現代が変わるこの分岐点は多く、分岐を一つでも間違えてしまえば現代のような世界情勢へと至らない可能性が大いに考えられる。



もしも、中央同盟国が勝利したら


もしも、ww1でイタリアが裏切らなかったら


もしも、日露戦争で敗北しなかったら


もしも、連合国が勝利したなら

どのような世界線を辿っていたのだろうか。





新たなが国家が誕生し、終戦したのなら...


8月3日にはシュリ―フェン・プランを完遂するため、アウフマーシュ・I・オストの案を採用したドイツ司令部は軍の6割を西に配置し、4割を東に送るよう指示を出したのだが東では鉄道の輸送量が予測の7割となってしまい、補給網の確保が行えるまで戦線は動かない静かであった。



一方セルビア方面ではツェルの戦い、コルバラの戦いが起きたが史実と違い士気が崩壊せず善戦であったことで快進撃であり、より多くの兵を東部戦線に配属可能であった。しかし、後方の山岳地帯ですることとなりオーストリア=ハンガリーは5か月の間、4割弱を南部戦線(セルビア方面)に配属しなければならず山岳を超えた先で冬将軍が相手であったため一部箇所で劣勢となっていた。



西部戦線(フランス・ベルギー戦線)では優勢であり16日にはドイツ第10師団がルージェを陥落させ22日には北上に成功し、約2万の協商軍を殲滅させブリッセル近郊であるルーバン付近に到達後、砲兵による音色を響かせることで要塞の確保が容易となり、30日にはベルギー政府は降伏したが一部の将校は抵抗した。

ドイツ軍は方針転換を行い海岸線までも侵攻を立案させ、実行させたがフランス領土には遠く及ばぬ距離での攻勢限界となってしまった。その後は、攻防が続いたが進軍ができないことを感じたドイツ軍参謀本部は西部戦線に従軍していた2割程の兵員を東部戦線へと送り、後方で訓練していた歩兵師団約25師団の追加により東部戦線にいるドイツ兵は86師団以上へと溢れていった。



東部戦線では初めの2か月間は補給網の確保を目的とした都市部への浸透を実行していたが、予備役の歩兵が到着すると大攻勢を行い占領地にはリトアニア、ポーランドを建国させ後方での安定化に努め、10月29日にはオスマン帝国がロシアに対してジハードの開始を宣言し同日に中央同盟国に加盟した。

ww1開始から1年半の東部戦線は戦前の国境か130000kmの進軍に成功し、モスクワ陥落がきっかけとなり翌月にロマノフ家が戦争の責任追及により退位させられた。

これを好機に見たドイツ参謀は封印列車のレーニンを帰国させだが、帝国主義者らによってレーニンは殺害された。

左翼思想の弾圧やその他の反発主義を行ったロシア政府には戦争行為を行い続けられなくなり白紙和平が結ばれ東欧で王国が独立し、天文学的な賠償金が定められた。




___________________________


1916年2月Hochseeflotte大洋艦隊がドーバー海峡でロイヤルネイビーと衝突。

結果、ロイヤルネイビーの大敗にて終了。


ドイツ海軍                 英国海軍

ド級戦艦   2隻大破           5隻沈没、1隻大破              

前ド級戦艦  1隻沈没、3隻中破      6隻大破、2隻自沈

大型巡洋戦艦  6隻大破、11隻中破      12隻沈没、5隻大破

小型巡洋艦   25隻沈没、11隻大破      36隻沈没、14隻大破


 同月、ドイツ軍は悪天下のドーバー海峡を渡りドーバーへ6師団の上陸を成功させた。後続に35師団が送られる。

 3月には二重帝国軍がアレクサンドリア及び周辺地域への上陸が成功

 4月ロンドン、リバプールを含む大都市への戦域拡大、ロシアで四月革命の開始


15日ロンドン陥落。英国政府は首都を変更し抵抗を宣言

同日無制限潜水艦作戦の部分的解除、西部戦線で疫病拡大

5月24日無制限潜水艦作戦の全面的中止


6月3日白紙講和を提案

  9日提案の拒絶、オスマン帝国で革命〝六月革命″

  16日前線で独英仏墺軍が責務を放棄〝自主的な停戦″

  19日 オーストリア=ハンガリーで民族独立戦争「多民族国家の失敗」

  20日独英で加速主義者の反乱が発生。治安部隊憲兵が友軍に向けての発砲事件発生。

  21日独仏国境で武装蜂起、フランス、ドイツに向けて侵攻



1916年7月5日第一次世界大戦は全主要国消失に伴い終戦。



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