くらげと人魚姫
猪口怜斗
第1話
蝉が鳴いていた。その日は酷くうるさく聞こえていた。靴下も、靴も脱いで、制服が少し濡れるのも気にせず海へ入る。
彼女が宝物だといって、うれしそうに笑ってくれた貝殻が足元へ落ちぽちゃん、と柔らかい音が鳴った。急いで拾い上げようとするが、思ったように体が動かない。いつも私たちは物陰に隠れていて、私が何か落としたら彼女が拾ってきてくれて、こんな浅瀬でも今にでも彼女が出てきそうで拾い上げれなかった。
「…ばかみたい」
ぽつりとつぶやいて、それを乱暴に拾い上げようとした。しかし、手を伸ばした先には何もなく、焦って座り込む。
スカートが濡れるのも気にしないで、両手を使って探す。いつもは透けて見えるそこは暗く濁っていて思わず上を見上げる。空の向こうには大きな雲が見えていて、もう帰ってしまおうか、なんて思った。
もしかしたら、私の過ごしたこの二か月間は夢だったのかもしれない。実際、彼女の存在を証明するものはなくなってしまった。
彼女は、どんな容姿だったのか、声だったのか、性格だったのか。何が好きなのか、嫌いなのか。私の中には鮮明に思い出されるのに、それを証明するものは何もない。写真の一枚でも撮れてたらよかったのに。
彼女は、美しかった。
いつもは黒く見えるのに、泳いでいて太陽の光に照らされる時だけ紫に見える髪だったり。海と同じくらい透き通っていた白い肌だったり。彼女のうろこは私の制服のスカートの色に似ていると笑っていた。まあ、彼女のは私と違ってキラキラ輝くロングスカートのように見えていたけれど。
あとは、歌がうまかった。童話に出てくるものそのままで、玉を転がすような声から奏でられる音色は美しい以外の何もなかった。もう、なにも残っていないけれど。
ふと、視界の端に丁寧に磨かれた貝殻が目に入る。急いでそれを手に取ると、先ほど落としたそれで酷く安心した。きっともう、必要なくなるとしても。最後まで持っていたい。
私がこっちに来たのは半年前。本来ならもう少しあるだろうけれど、私にはもうない。自分でそれくらいわかる。まあ、私にはもう必要ないから。
はじめは、何も知らなかった。ただ、生きていただけ。実験、とか言って海に住む魔女様に薬品をかけられるまでは。まぁ、寿命を何も考えずまっとうするよりかいい。
彼女は、もういなくなってしまったから。結局最後まで、私の正体を知らなかったけれど。
体から力が抜ける。もう、入ることはない。身体が海水につかり、そのまま溶けだしていく。死に方はどこでも変わらないんだ、なんてのんきに思った。
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