第8話 ミネア・レイトナとの対峙
私は猫を王城へ行った時と同じように籠に入れて、ベルナールと合流した。
「大きな荷物ですね」
ベルナールがそれ必要ですか? と不審そうに片眉を上げた。
「詳しくは聞かないでほしい」
不審に思われているのはわかる。本当のことを話す訳にもいかない。猫を連れていくなんていったら、絶対反対される。
普段ならベルナールも荷物の一つに何か言うことはないが、殺人犯がいるかもしれない家に潜入という大事件に気が立っているらしい。ベルナールも私もあまり腕が立つ方ではない。不安なのは私も同じだ。かといって、公爵家に秘密で出てきているので、護衛など連れてこられない。
そのため私は事前に道場のケイティに手紙を出していた。
ちょうど道の角からケイティが来るのが見えて、私は大きく手を振った。
「こっちこっち」
「遅くなりました、門下の者を連れて来ました。隠密行動と言っていたので1人が妥当かと思いまして」
ケイティの後ろには屈強な男が立っていた。
「事情も詳しく分からない方がいいかと思って、外国人です。簡単な指示なら分かります。『待て』『行け』とか、簡単な単語でゆっくり話すようにしてください」
「シショウ、マモル、ヨロシク」
「よ、よろしく」
無表情な大男が上から見下ろしてくる。筋骨隆々で見るからに頼もしかった。
ミネア・レイトナは尋常な戦闘能力ではない。強そうな護衛がいて、ようやく少し安心できた。
「そろいましたね、行きましょう」
私、ベルナール、ケイティ、大男、そしてルミエラ(アーサー王子)。5人(1匹含む)で伯爵邸に乗り込む。
「レイトナ男爵家の者だ。ミネア様へ主から渡すものがある」
私とケイティたちは木陰に隠れ、変装したベルナールが伯爵邸の裏口で出てきた使用人と話している。
話がついたようで、ベルナールが背に回した右手で私たちを手招きした。
すかさずケイティが音もなく駆け出していった。
ケイティが出てきた伯爵家の使用人を押し倒す。しっかりと縛り上げたのを確認して、私と大男も木陰から出て、入り口へ向かった。
「おとなしくしているんだ。いうことを聞けば悪いようにしないからな」
おびえる若い使用人に、ベルナールはいくつか質問をしていた。屋敷の間取りや、使用人の数、護衛はいるか、等、そして最後にこう聞いた。
「ここにミネア・レイトナがいるな」
そう聞かれた使用人はおびえたように目を泳がせた。詳しくはなにも話さなかったが、その様子で分かった。男爵令嬢はこの屋敷にいるに違いない。
入り口から入ると、すぐに階段があった。
「一階と二階、どちらからにすればいいかしら?」
「一階は食堂や、応接間、談話室があり、二階には寝室と客間があるようです」
聞いた屋敷の構造をメモしていたベルナールが、手元のメモを見ながら言った。
「時間からして、談話室にいるか、自室にいるかのどちらかでしょうね」
「では二手に別れましょう」
ケイティが提案した。彼女には詳しく話していないが、もう状況を把握している。
「いつ私たちの侵入がばれるかわかりませんから、1階と2階、それぞれ手早く調べて、例の男爵令嬢がいる部屋を探しましょう。見つけても見つけなくても、ここに戻って合流、実際の捜索はそのあとです」
ケイティの言う通り、まずは二手に分かれる。私と大男が2階、ケイティとベルナールが1階。
猫を籠に入れた私と大男は階段を上る。
「名前、なんていうの?」
一緒に行動するのに、名前がわからないのは不便だ。無表情だった大男は名前を聞かれてにっこりと笑った。
「アンディ」
「アンディ、覚えたわ。私はエリザベス」
「シッテル シショウ エライ」
「ここには殺人犯がいるかもしれない、気をつけて」
アンディは言葉が分からなかったのか、首を傾げている。そうだ、わかりやすい言葉で話さないといけない。
「ココ、危険」
言い直すと今度は分かったようで頷いた。
話しながら、2階に上がる。ちょうど最後の階段を登り切ったところで、カゴから猫が頭をぴょこんとだした。
「待て、音がする」
猫が耳を盛んに動かし、鼻をくんくんさせている。
「ミネアのにおいだ、こっちだ!」
猫はいうなり、勢いよく籠から飛び出した。
「ネコ!」
王子が籠に入っていると知らなかったアンディが大声を出した。私は即座にシッと唇に人差し指を当てた。アンディも声を出してはいけないと気づいたのか、両手で口元を覆った。
王子は追いかける私の腕をすり抜けてどんどん進み、あろうことかドアが開いていた一室に入っていってしまった。
「待って、だめ!」
止めても王子は聞いていない、私とアンディは急いで追いかけて、ドアの中へ入った。
部屋は、客用の寝室のようだ。ドアの前にお茶を飲むときに使うような椅子が2脚と机があり、左手の奥にベッドがあった。机の上に、猫は立ち、ベッドのほうをにらみつけている。
「誰?」
部屋の奥、ベッドに腰かけている少女がいた。明かりはろうそくしかないので、暗く、輪郭しか見えないが、細く、頼りない印象を受ける。
「ヨワイ、ミエル」
「アンディ、油断、だめ」
見た目だけではわからないが、相手は殺人犯だ。いくら警戒しても足りない。
少女はすこしずつ近づいてくる。ちょうど燭台の近くに来た時、顔がよく見えた。間違いない。婚約破棄の場所で見た男爵令嬢がそこにいた。
殺人犯だと思ってみても、とてもそうは思えない。普通の少女に見えた。
「ミネア!」
王子が叫んだ。
とはいってもニャアとしか聞こえないはずだが、男爵令嬢ミネア・レイトナはこちらを見た。
「なぜ私を殺した! 答えろ」
そんなことを言ったって、ミネアには猫語が通じないだろう。そう思って、代弁すべきか迷っていると、ミネアが口を開いた。
「『なぜ私を殺した』? そういうあなたは、アーサー?」
ミネアは猫の言葉を私と同様に理解できていた。そしてそれが王子だとすぐに分かったようだった。
「答えろ!」
ミネアは面倒そうに髪をかき上げながら口を開いた。
「なぜ答えなきゃならないの?」
ミネアは王子のいるところを見ながら、一歩一歩近づいた。たしかに彼女の立場なら、わざわざ答える義理はない。
猫から3歩分のところまで、ミネアは近づいてきた。王子は4本の脚をがくがくさせながらもにらみつけている。
「アーサー? 猫になったの?」
そこまで近づいて、初めて猫が話していたことに気付いたようだ。
「それがどうした! お前に殺されてこんな姿になったのだ」
「なんだ。殺し損ねたかと思っちゃった。よかった」
声の調子は軽かった。まるで罪悪感を感じさせない。
「何が目的だったんだ。私たちは愛し合ってたんじゃなかったのか?」
ミネアは答えるつもりがないらしく、嘲るような顔をして猫を見下ろした。
「相変わらずよくしゃべるわね」
『ね』といったところで、ミネアは大きく一歩を踏み出した。ミネアの拳がテーブルにたたきつけられ、恐ろしいことに机はまっぷたつに割れた。
猫はとっさに飛び上がり、壁伝いに私たちとは反対方向、ベッドの方向へ逃げた。ミネアは猫を追いかける。
私は次は猫が潰されてしまうと思って、自分に注意を向けようと声をあげた。
「答えないなら、私が代わりに言います。ミネア・レイトナ。あなたが王子殺害をもくろんだ理由。それはこの国の覇権を握ること」
ミネアの顔が私に向いた。猫はその隙に逃げて、部屋の反対側の窓際の隅に丸くなっている。
「まずは現時点で、一番王になる可能性の高い王子に近づいた。でも、失敗。王子が王位を継げないと分かったら、躊躇なく殺害した。あなたには第二案があったから、その時点で王子が邪魔になった」
「エリザベス・ラマルク…!」
ミリアは私のことを覚えていたようだ。私をにらみつける。
私は恐ろしくなり、一歩、二歩とじりじり下がる。三歩目で、背中がアンディにぶつかった。
見上げると、アンディが安心させるように微笑んでいる。そうだ、私にはアンディもいる。私はキッとミネアをにらんでつづけた。
「あなたと親しいサミュエル伯爵夫人、その夫サミュエル伯は遺言で、後継ぎの令息に婚約相手を用意した。相手は王弟殿下の娘。今では次期国王に最も近いとされている姫。サミュエル伯の令息を王の配偶者にするため、王子を殺した」
ミネアは何も言い返さない。
「黙っているっていうことは図星なのね」
「目障りな女。知られてしまったからには生きて帰せない」
私はアンディの後ろに隠れるようにして距離をとる。
アンディは戦闘が始まると察知したのか、戦闘体勢をとった。
「アンディ!!」
一瞬だった。ミネアは素早く動き、あっという間にアンディの後ろに回り込み、飛び上がって、首元に手刀を叩き込んだ。
アンディはうずくまり、泡を吹いている。
アンディを戦闘不能にしたと確信したミネアが、私の方を見た。次は私だ。どうしよう。逃げるにしてもミネアと距離が近すぎる。
ミネアを見ながら、じりじりと後ろに下がると、すぐに壁に当たった。これ以上は下がれない。絶望的な気持ちになる。
ミネアは嗜虐的な笑みをたたえ、懐から仕込みナイフを2本取り出し、両手で持ち、私に向かって一本を投げた。
私の頭の真横にナイフが刺さる。髪が数本切られて、床に落ちる。
情けないことに私はこの時、死を覚悟した。目をつぶり、壁に背中を預けたまましゃがみ込んだ。
ヒュッとナイフが風を切る音がした。
しかし私は死ななかった。カキンと金属同士が当たる音がして、おそるおそる目を開けた。
「無茶をする」
見上げると、広い背中があった。男は剣でナイフを弾き飛ばしたようだ。茶色い癖のある髪には見覚えがあった。
「トリスタン」
私は立ち上がり、距離をとった。
かばってもらってうれしい気持ちより、警戒心が勝る。
トリスタンは、サミュエル伯爵夫人の弟で、この事件の捜査官だ。
『逆に今あまり私たちは動かない方がいい。あやしい動きをしているとにらまれてしまう』
兄の言葉が頭を巡った。
よく考えれば今の私は、深夜にこっそり猫と手勢を連れて婚約破棄の元凶である男爵令嬢を探して面識もない人の家に上がり込んでいる“殺人事件の容疑者”でしかない。
さすがにこの現場を見られているのだから捕まると思って身構え、さらに一歩後ずさる。
「そんなに怖がられるとさすがにショック。せっかく助けてあげたのに」
トリスタンの声音は軽い。味方にも思える親しさを感じる。信じてしまいそうになる自分を律し、意識して強くにらみつけた。
「なぜここに」
「なぜって、今日のあなたの監視役が私だったから」
容疑者には監視がつく。その話は知っていたが、外出がばれていて、ここまでついて来ていたのは気づかなかった。
「だからって」
「今は言い争ってる場合じゃない、でしょう」
なぜここに至るまで声をかけなかったのか、と聞こうとしてトリスタンに制される。
その時、ミネアの方からパリンと何かが割れる音がした。
トリスタンに気をとられて男爵令嬢の動きを見逃していた。
男爵令嬢は窓を割り、そこから飛び降りようとするところだった。
脇に猫を抱えて。
「ニ゛ャーーー!!」
「ルミエラ!!!」
猫は必死に抵抗して腕にかみついたりしていたが、男爵令嬢は痛みに強いようでびくともしない。私は窓まで走り出そうとするが、トリスタンに腕を引かれてかなわない。
「邪魔しないで!」
「無駄だよ」
トリスタンの声は冷酷に耳に響いた。やはりトリスタンは敵だ。腕を振り払おうとするが、きつく捕まれていてびくともしない。
次の瞬間、
「キャッ!」
ミネアのガラスを割った右手を掴む黒い手があった。ミネアは一瞬ひるんだが、即座に左手に抱えた猫を放り投げ、拳を作って黒い手の持ち主の腹に叩き込んだ。慣れた素早い動作だ。
黒い手の男はうずくまり、倒れ込んだ。ミネアが男をまたいで進もうとすると、男の出てきたところから黒い手が次から次へとなだれ込んできた。
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