霊峰を目指して 6
厩舎は雨風にさらされてボロボロだったが、旅人がたまに使っていると言うだけあって、焚火がしやすいように石が組んであって、使い古されている古い鍋も見つかった。
買ったくず野菜は焼いて食べようと思っていたが、鍋があるならスープにしようと、綺麗に鍋を洗って、カバンの中からナイフを取り出し、野菜をカットして入れていく。
「ナイフまで出てきた……」
「ユーイン、何度も言うけど、普通のカバンよ」
「そういうけど……わっ、干し肉まで⁉」
「これは旅の携帯食よ。出汁もでるから、今日はスープに入れるけどね」
「携帯食も持ち歩いているのか……」
「そんなの旅の基本よ」
エマはカバンから固いビスケットが入った袋を取り出した。
「ほら、他にはこういうやつよ。野宿とかで食べるものがないときに便利なのよ。美味しくはないけど、お腹は満たせるわ」
「こういうの、どこかで売っているの?」
「干し肉は売っているわ。ビスケットは自作よ。キッチンを貸してくれる宿に泊まった時とかに作っておくの。日持ちを考えて、固く固ぁーく作るのよ」
「へえ」
「気になるならおひとつどうぞ」
エマがビスケットを一枚差し出すと、ユーインは興味深そうに口に入れ、ぎゅっと眉を寄せた。
「か、かた……」
「だから言ったでしょ。水とかミルクにつけて柔らかくしながら食べるのよ」
「それを先に言ってよ。歯が折れるかと思った」
「大げさね」
エマがくすくす笑うと、ユーインは少し恥ずかしそうに頬を染めて、コップに先ほど井戸で組んできた水を入れるとビスケットを浸して口に入れる。
「ちょっとだけ塩味がするけど、それだけだね。でも、これを作ったなんてすごいな。いろんなことを知っているし。若いのに尊敬するよ」
「若いっていうけど、十六歳だもの、ちゃんと成人しているのよ」
エマは実年齢より若く見られることがあるので、つい「成人」の二文字を強調してしまった。
「十六って言ったら俺より四つも下じゃないか。エマは本当に偉いな」
「そ、そんなことはないわ」
純粋な顔で褒められると、どうしても照れてしまう。
エマは顔が赤くなったのを見られないようにうつむいて、スープづくりに没頭することにした。
小屋の中に投げてある古い薪は自由に使っていいと言われていたので、それを使って火を起こし水を張った鍋を置く。
スープを作っている間にユーインがふらりとどこかに歩いていき、ヨモギの束を持って戻ってきた。
「はい。これだろう? 虫よけになる草。あのあたりに生えていたよ」
「ええ、ありがとう」
ユーインからヨモギを受け取って、エマはその一部を火の中に入れた。
パチパチと音を立てながらヨモギが燃えていく。
「スープ、もう少ししたらできるわ」
「手際がいいね」
「ただ野菜と干し肉と塩を入れて煮込んだだけよ。それほど美味しくはないでしょうけど、ないよりはましだと思うわ」
エマが旅行鞄の中から木製の器を取り出すと、ユーインが「そっちの方のカバンにもいろんなものが……」とつぶやいたのが聞こえてきた。
(だから、わたしのカバンは普通なんだってば)
ただ旅に必要だと思ったものが入っているだけである。
「塩気が足りなかったら足してちょうだい。あと、お好みでコショウもあるわよ」
「塩や胡椒まで持ち歩いているのか……」
「そういうけど、野宿する上ではあった方が便利なのよ。他にも乾燥させたハーブとか、唐辛子とか……。あ、そうそう! ピーナッツやアーモンドもあるわよ! お腹がすいたときにつまめるようにね! あとは……これね! これはお気に入りなの」
「これは何?」
「乾燥デーツよ! この前立ち寄った店で見つけたの! 栄養豊富でしかも甘くておいしいのよ! 食後のデザートにしましょ」
デーツの入った袋を見せて笑うと、ユーインはぽかんとしたあとで、突如として笑い出した。
「ど、どうして笑うの?」
「そりゃまー、年頃の娘がデーツを宝物みたいに自慢すりゃあおかしいわなー」
アーサーの茶々に、エマはムッとする。
(アーサーだってお気に入りのくせに!)
アーサーがエマの目を盗んでたまにデーツを盗み食いしていることを、知らないとでも思っているのだろうか。
ユーインは笑いながら、目じりにたまった涙をぬぐうようなしぐさをした。笑いすぎて涙まで出てきたらしい。そんなにおかしかっただろうか。
「ごめんごめん。気を悪くしないでほしいんだけど、君みたいな女の子ははじめてだったからね。もちろん悪い意味じゃなくて。俺より年下の女の子なのに、俺よりはるかにたくましいなって」
「たくましい……」
それは果たして、女性に対する誉め言葉だろうか。
エマが怒っていいのか喜んでいいのかわからずに悩んでいると、ユーインが慌てて付け加える。
「もちろんエマはとってもかわいい女の子だよ! ええっと、たくましいっていうのは、外見的なことを言っているんじゃなくて」
「か、かわいいって……」
エマはボッと赤くなった。
だからどうして、ユーインはさらっと恥ずかしくなるようなことを言うのだろうか。
「も、もういいわ! おかしなことを言っていないで食べましょ。はい!」
エマは木皿にスープを入れてユーインに押し付ける。
直接火があたらない場所で温めなおしたパンとともに、今日はちょっぴり質素な夕食だ。
しかし野宿でスープが食べられるのは贅沢なことなので、野宿と考えるとそれほど悪い食事でもない。
アーサーとポリーは、エマが先ほどカバンから出したピーナツとアーモンドをかじっている。
注意してみていればアーモンドやピーナツの数が減っていくのがわかるのだが、きっとユーインは気づいていないだろう。
人は妖精を見る目を失ったと同時に、妖精の存在を伝説にしてしまった。目の前のミルクやパン、ナッツなど……妖精たちがこっそりつまみ食いをしたところで彼らは気が付かない。
たまに勘のいい人間が、数や量が減ったことを不思議に思うことがあっても、妖精の仕業だとは思わないのだ。
エマがかつて暮らしていた邸でもそうだった。
妖精が見えるのはエマだけ。両親も使用人たちも誰一人として妖精のつまみ食いにも悪戯にも気がつかない。
エマはそれが幸せなのか不幸なのか、よくわからないけれど、妖精たちは確かに存在しているのに、人の目はそれを素通りしてしまうのだ。
「エマはいつから旅をしているの?」
食事を終えてデーツをかじりながら火を囲んでいると、ユーインが遠慮がちに訊ねてきた。
「半年前よ」
「そんなに一人で?」
「……ええ」
同じくデーツを食べている、ユーインには見ることのできない妖精、アーサーとポリーを一瞥した後でエマは返事をする。
「寂しくはないの?」
「そうね、寂しい日もあったわ。でも、わたしにはすべきことがあるから」
「それが旅の目的?」
「ええ、そう」
残り半分になったデーツを口の中に入れて咀嚼しながら、エマは星の瞬きはじめた空を見上げる。
「……大切な友達を探しているの」
どうして、彼に話してしまったのか、エマにもわからなかった。
気がつけばぽろりと、そんなことを口走っていた。
「小さいころからずっと一緒だった大切なお友達よ。それなのにわたしは……彼にひどいことを言って傷つけてしまったの。最低なことを言ったわ。それに気づいたのは、彼がいなくなってしまった後だった。……だからわたしは、彼を探して、見つけて、謝らなくてはいけないの。許してくれるかどうかはわからないけれど、でも、謝らなくてはいけないのよ」
ぽつりぽつりと話していると、鼻の奥がツンとしてきた。
このままだと涙があふれるかもしれないと、エマは大きく息を吸い込む。
星空を見上げたままゆっくりと瞬いて、小さな声で「これ以上は聞かないで」と告げた。
ユーインはささやくように、「うん」と答える。
(ユーインは、優しいわね)
エマの気持ちを推し量って、黙っていてくれる。
エマは彼の落とす心地よい沈黙に甘えて、そっと、膝を抱えた。
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