神は盤上にて賽を振る-Deus alea volvitur in tabula-

千崎 翔鶴

0.おはよう、泥人形

 カタカタとキーボードを叩く音だけが、何もない真っ白な部屋にこだましていた。くあ、と隣で銀色の大きな狼が欠伸あくびをするのを聞きはしたものの、そちらに目を向けるようなことはない。

 ただ白く光を放つ画面にだけ視線を向けて、彼はひたすらにキーボードを叩いていた。

 この世界は、間違っている。

 真っ白な画面の上で、文字がおどった。いつもアルファベットと数字ばかりが並んでいるそこに、久方ぶりに日本語というものを打ち込んだ。


「なあ、銀霜ぎんそう

「なんだ、しゅう。終わったのか?」


 つまらなさそうに欠伸あくびをしていた銀色の狼に声をかければ、のそりと狼が体を起こした。


「いや、こんなものに終わりなんてないだろ? まったく、くだらない」


 くだらないから、少し遊ぼう。

 どうせこの世界を作ったのは修たちで、その管理すらも修たちの手に委ねられた。どれほど忌々しく思っていようが、何だろうが、どうせその事実は変わらない。

 かつての世界を懐かしく思うわけではない。神とかいうものの盛大な世界を巻き込んだ自殺の果てに、たった四人だけ生き残った。かつての世界を下敷きにしてこうして世界を作ったものの、修はいつでもこの世界を壊して良いと思っている。

 これは、箱庭。世界という箱を作って、そこに放り込まれた人間たちが国を作る。修たちは土台を用意しただけで、発展するも滅亡するもそんなものは人間の勝手だ。

 人間が集まれば文化が生まれる。宗教が生まれる。さすがにかつての世界を下敷きにしただけあって、似たようなものはいくらでも転がっている。

 けれど、絶対に同じにはならないのだ。なぜなら、かつての世界とは決定的に違うものがあるのだから。


「銀霜、俺は少し実験をしようと思う」

「またか? 今度はどんな非道なことを思い付いたんだ?」

「お前に非道だなんて言われるとか、心外だな」


 そもそも非道も何もない。

 それが正道である非道であるを決めたがるのは人間の話であって、そんなものは管理者たる修には何一つとして関係がないことだ。

 銀霜とて本気で言ったわけではなく、ただ笑って機嫌良く尾を振っている。


「どうせこの箱庭は俺の実験場みたいなものだろ」

「その理屈でバグすら組み込んで放ってるものな、お前」

「あの猫か? だからわざわざお仲間を作ってやったじゃないか。バグだって組み込んでやれば立派な仕様だろ」


 真っ白な画面に、アルファベットが並んでいく。

 別にこれである必要はないのだろうし、管理の仕方だってこんな風でなくとも良いのだろう。少なくとも、盛大に自殺をしてくれた神様とかいうやつは、こんな風にしていなかったのだから。

 修がこうしているのは、ただの気分の問題だ。慣れ親しんだこれが、一番馴染なじむ。

 そうして世界を作ったものの、この世界は最初から間違っている。そうなればゆがみやきしみが出てくるのは当然で、いわゆるバグのようなものは発生しても仕方がない。

 ならばそれすらも、世界の一部としてしまえばいい。どうせ誰も何も言わないのだ、それこそ他の三人すらも。


「おイタが過ぎれば消すだけだ。どうせ猫どもだって分かっているから、俺にわざわざ反抗しようとも思っていない。生まれたからには消されたくない、そういうものらしいぞ」

「へえ」


 銀霜はさっぱり興味がないのか、理解ができないのか、気のない返事だ。

 箱庭を作って、何年になるのだろうか。生命というものは発生するのに何億年もかかるものだが、そこはもう面倒なのでショートカットしてしまった。微生物だとか、爬虫類だとか、そんなものの栄枯盛衰えいこせいすいを見守るような趣味は修にはない。

 もしかしたら勝手に海の中で発生しているものがあるかもしれないが、それはそれだ。


「で、何するんだ?」

「俺みたいなのを作ってやったら、何に執着するのかと思ってさ」


 人間の形をしたものをひとつ作るのなんて、簡単だ。

 どこぞの神話よろしく泥をねてから、何かしらを入れてやればいい。一応その何かしらというのは、修自身が人間をつくるときに設定したたましいというものになるのだろう。


「うわ、悪趣味」

「そうか? 客観的に見てみたいだろ?」


 修は自分自身というものを知っている。知ってはいても、それがどう見えるのかなど知りようもない。

 まったく自分と同じものをつくる気はなく、似せた何かにしかならないだろう。けれどきっと、それはとても愉快な結果になると思うのだ。


「かわいそうに」

「思ってもないこと言うなよ、銀霜」

「思ってる思ってる」


 どうだかとわざとらしく肩をすくめた。

 この巨大な狼は万物の巨狼という存在で、こんな口をきいてはいるが修が作ったものだ。他の管理者もそれぞれ自分の補佐をする獣を作ったが、それぞれに関係性は違う。

 修が銀霜に求めたものは、であり、だ。だから銀霜は、これでいい。


「じゃ、始めるか」


 ぐいと伸びをする。別にそれでごきごきと体が鳴るようなこともないが、それは気分の問題だ。かつて人間であったのに、今となってはもう人間ではない別の何かに成り果てた。

 陣取っていた画面の前から腰を上げ、泥を生成する。


「お前もやるか?」

「嫌だ、毛皮が汚れる」

「別に汚れやしない、こんなもの」


 鈍く白く輝く泥は、ねたところで手が汚れるようなこともない。ねて、形にして、その工程は焼き物を作るのに似ているかもしれない。

 もっとも、泥は泥のまま。焼いたりもしないけれど。


「赤ん坊にしないのか」

「なんでそんな面倒なことをしなけりゃならないんだ。適当な女のはらに入れてもいいが、それより記憶を操作した方が早いだろ。そもそも俺は親の愛情なんて貰った覚えもないんでね。こいつにもそんなものは要らない」


 そんなものがあっては、せっかく修のように作っているのにずれてしまう。

 もちろん、まったく同じにしたりはしない。まったく同じにして、修が執着しているものと同じものに執着をされても面倒だ。

 銀霜ですら修の執着しているものに興味を持たないように作ったのだ。少し方向性を変えてやるくらいのことは造作もない。

 なんとなく髪と目の色は自分と逆にしてやろうかと思い立ち、髪は紫に、そして目は黒にする。そうして外側が出来上がったら、あとは中身だ。


「これ、どこに落とすんだ? 俺のとこは嫌だぞ」

リノのところで良いだろ。どうせろくなもんじゃない」


 画面の前に戻り、キーボードを叩く。出来上がったそれの設定をしてやらなければ、ただ無垢な状態で世界の中に放り込むことになる。

 自分を美化するつもりもなかった。多分修は自分自身というものの分析が、他人よりもずっとできている。

 カタカタとキーボードを叩く音が響いた。銀霜がぱたりと尾を振る音がしているが、彼は何も口を挟むことはない。


「できた、これでいい」


 ゆるりと泥人形は目を覚ます。

 画面の前から移動して、身を起こした泥人形の前に屈んでから、修はにんまりと笑みを浮かべた。


「おはよう、泥人形。お前は勝手に生きて、勝手に死ね。もっともお前に自然な死が来る日は、ないけどな」


 じゃあなと、それだけ。

 泥人形との会話など必要ない。泥人形の中にここでの記憶を残しておくつもりもない。

 さあ、あとは箱庭の中。人間の形を模した泥人形がどうするのか、修は高みの見物をしておくだけだ。どうせ管理者なんてもの、遥かな高みから世界を見ているだけだ。泥人形ひとつ増やしたところで、何かが変わることはない。

 ただ不幸な存在が、どこかにあるかもしれないだけで。そうなったらそうなったで、修は笑って見ているだけだ。

 ああこうなるのか、ご愁傷しゅうしょう様。きっとそんなことを、言うのだろう。

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