scene 2.〝魅惑の殺人鬼〟

 サミュエル・マクニールは遺体をあらゆる角度から撮った数枚の写真を眺めながら、盛大に溜息をついた。

「いったいなんだって連続殺人犯が彷徨いてるこのご時世に、ひとりで夜道なんか歩くんだ。今どきの学生はTVのニュースも視てないのか?」

「さすがに連続殺人のことくらいは知ってるでしょ。でも、警戒しろったって無理な話ですよ。なにしろこの州じゃ初めての犯行だ。此処の連中だって云ってたじゃないすか、これがあの〝魅惑の殺人鬼The Fascinating Killer〟の仕業なのかって。FBI俺らが出張ってきてなきゃ、ただの怨恨かなにかだと思われてますって」

 ネッドがそう云うと、聞こえてしまったのかこの署に勤務する警官が片眉を上げてこっちを見た。大都市と違い、然程大きな事件のない地方の警察署にとって、自分たちは事件を奪いにきた余所者である。歓迎されていないのは百も承知、いつものことだった。

 サムはその警官に気づいていないふりで、捜査本部のドアを閉めた。

 捜査本部と云っても、空いている取調室に必要なものを持ちこんだ、間借りしているような状態の仮設である。デスクとパイプ椅子、赤く印のつけられたアメリカ合衆国ステイツの地図と現場写真などが貼られているホワイトボードの他は、電話機とごみ箱トラッシュカンと灰皿くらいしかない。

 サムは煙草を咥えながらパイプ椅子を引き寄せて腰を下ろし、ぺらぺらと捲したてるネッドこと、エドワード・キャラハン捜査官を睨んだ。ネッドと組むのは今回は初めてだが、なんだかまだ学生気分が抜けていないような話し方と、真面目なのか不真面目なのかわからない飄々とした態度が気に入らず、サムは若造が偉そうに、と内心でごちた。

「そんなことは云われなくてもわかってる。ちと愚痴りたくなっただけだ」

 遺体も現場の様子も、これまでとほとんど同じだった。被害者は大学から帰宅途中の二十歳の女性、死亡推定時刻は友人の証言から深夜零時過ぎ、学生寮に帰る友人と別れた数分後。所持品に奪われたものはない模様。最初に喉を掻っ切られて悲鳴もあげられず、路上に倒れたあと胸部や腹部などを刃渡り4.5インチほどの刃物で二十七ヶ所、滅多刺しにされている。死因は失血性ショック、ほぼ即死であっただろうと思われる。性的暴行の痕跡はなし。犯人は返り血を浴びているはずだが、辺りは閑静な住宅街で人通りは日中でも少なく、目撃者は今のところなし。

 これと似たような事件が去年の暮れ、一九七二年の十二月からケンタッキー州、オハイオ州、インディアナ州と広範囲で起こっていた。そして今回ウェストバージニア州でおそらく初めての犯行、少なくとも十七人めの被害者である。

「〝魅惑の殺人鬼〟か。まったく、誰が云いだしたんだか」

「最初に気づいたのはあなたでしょ?」

 ネッドに云われ、そうだったとサムは苦々しく頷いた。

 これは同じ犯人によるもの、連続殺人事件ではないかとようやくその可能性に誰かが気がつき、連邦捜査局Federal Bureau of Investigationが一連の事件に介入すると決定したとき。担当を命じられたサムは、先ず起こった事件の管轄署まで出向き、厭な顔をされながら捜査資料を集めるという作業を被害者の数だけ熟した。



 この時代、まだオンラインで照会できるデータベースなどもちろんなく、あるのは各署内に保管された紙の資料のみである。警察署同士は連携などしておらず州を跨げば尚更で、捜査技術も未熟だった。殺人課の刑事など、然るべき人間が駆けつけたとき、捜査に不慣れな警察官や保安官に現場を足跡だらけにされていることもめずらしくなかった。

 通りには防犯カメラなどなく、当然のことながら携帯電話セルフォンもまだなく、緊急通報用電話番号も機能していなかった。全米で911の使用 Call 911 が一般化したのはこのおよそ十年ほど後、八〇年代に入ってからのことである。

 前科者は記録されてはいるものの、性犯罪登録簿はまだなかった。DNA鑑定もなく、かろうじて一九七二年にFBIが行動科学課を創設、捜査にプロファイリングを採り入れ始めているが、犯人像を統計学的に導きだすための膨大な情報がデータベース化されているわけではないため、当初は犯罪の専門家たちが議論し、捜査員に助言するくらいのものだった。



 被害者が十一人を数えた二ヶ月前。サムは凶器の形状が一致すると思われる刺殺事件の捜査資料から被害者の写真を取りだし、ホワイトボードに並べて貼った。

 被害者はいずれも十代後半から三十代前半までの女性だが、髪はロングヘアもショートヘアもボブもいて、色も金髪、赤毛、ブルネットとバラエティに富んでいた。体型も標準体型から痩せ型、胸のカップサイズもばらばらで、被害者たちにこれといった共通点は見いだせなかった。服装もカジュアルなワンピースドレス姿もいれば、ジーンズにTシャツといったラフな恰好もいて、狙われる特徴らしきものもない。学生、主婦、看護婦に教師、事務員にウェイトレスと、職業の類もいろいろだった。共通しているのは若い女性であることと、ひとりで夜道を歩いていたこと。その二点しかない。

 ただ、引っかかったことがひとつだけあった。

 偶々、他の事件の資料を見かけたサムは、その資料にあった遺体の写真と一連の事件の被害者の写真に、僅かな差異を感じた。サムは十一枚ある被害者の写真を、あらためてじっくりと見た。

 そして、違和感の正体に気づいた――どれも皆、恐怖の色を浮かべていないのだ。否、もちろん絞殺でない限り、他殺体が必ずしも苦痛や恐怖に歪んだ表情のまま死んでいるなんてことはない。だが、長年の経験からかサムはその十一人の女性たちの顔が、今にも笑顔でハイ、と挨拶でもしそうな様子に感じた。そこまでではなくても、眼の前に立っている人物がまさかこれから自分を刺し殺すなんて思いもよらなかったのでは、という印象を受けたのだ。

 署内でそんなことを話しているのを、どうやら記者が聞き耳を立てていたらしい。翌日にはこの連続殺人犯は〝魅惑の殺人鬼〟という異名で呼ばれ、新聞やTVのニュースを賑わすようになった。

 なにが魅惑だ、とサムは苦々しくデスクの上の捜査資料を指で弾いた。それで見た目がいかに好男子であっても警戒を怠ってはいけないと危機意識が広まるならいいが、くだらないTVショーの所為で、凶悪な連続殺人犯がまるでカリスマ的なロックスターのような扱いだ。

「――マクニール捜査官エージェント マクニール? ……サム! 聞いてます!?」

 名前を呼ばれ、はっとして我に返る。長く伸びた灰を灰皿に落としながら「ああ、なんだ?」と訊き返すと、カールコードを目一杯伸ばした受話器を持ったネッドが、興奮気味にこっちを見ていた。

「犯人らしき人物の目撃者がいました。昨夜の零時過ぎ、現場近くで男がひとりで歩いているのを見たという学生がみつかったそうです。距離があって顔までは見ていないそうですが、黒っぽい長袖の服を着ていて、金髪だったと――」

 金髪。サムはぴくりとそれに反応した。もしも〝魅惑の殺人鬼〟が本当に女性を見蕩れさせるような容姿の持ち主なら、金髪である可能性は少なくないかもしれない。

「よし、行こう」

 サムは椅子にかけてあったジャケットを引っ掴み、ネッドと一緒に仮設の捜査本部を出た。



 ――しかし。

 金髪の男が夜中にひとりで現場近くを歩いていた、などという目撃情報は結局、捜査になんの進展も齎すことはなかった。

 月に二件、多いときには四件と、特に一定の期間を置くわけでもなく曜日も定まらず、おまけに州を超えて神出鬼没に現れる殺人者。パトロールしていた警官が事件発生の報を受けて怪しい人物を発見し、追ったことが二度あるが、その男は逃げ足が速く、途中で姿を見失ってしまうという結果に終わっていた。

 現場には依然としてなんの手掛かりも残されず、事件解決の糸口はまったく掴めないまま、〝魅惑の殺人鬼〟はそれからも若い女性ばかりを殺し続けた。

 積みあげられていく捜査資料。写真に映る被害者たちは皆、二十ヶ所以上を滅多刺しにされていて、遠目で見るとまるで黒いインクを溢したようだった。

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