93. 毘沙門天

 ――またあの不思議な感覚だ。


 私は加速する世界で蟻を切り続ける。もはや次々に去り行く風景を視覚で認識することは出来ず、見渡せばそこら中に居る黒い物体をひたすら切っている。体の制御もままならず、体を1cm動かそうと思えば結果体が30cm動いてしまっている。極端に言えばそんなレベルで体の動きを制御することが出来ず暴走状態だ。

 そんな状態の中で、私は不思議な感覚にその身を委ねていた。


 ――レキやパルとだけじゃない。ロコさん達や敵モンスターとも全部が1つに繋がっているような感覚……。


 以前、猿洞窟でボスの赤猿と戦っている時もこういう感覚になったことがある。激しい戦闘にも関わらず、内面はどんどん静かになっていくような感覚。見るのではなく全てを感じて動く、そんな感覚。


 不思議な感覚に包まれながらもその戦闘速度はどんどん増していき、それに伴い私の攻撃力もどんどん強力になっていった。今では軽く撫でるだけで子蟻たちは光の粒子へと姿を変えていく。

 短剣の攻撃力は今いったいどれ程になっているのだろうか。バグモンスターも女王蟻を含めた巨大な蟻たちを捕食し強化されている。今の私は、そんなバグモンスターに対抗出来るだけの力を蓄えられているのか……。


 そして遂にその時は来た。


「ナツ、時間だ! 俺たちはヘイトを切って一時的に離脱する! あぶねぇ時は割って入るから心配せずに思いっきりぶつかってこい!」

「ナツよ、白亜で周りの蟻共を散らしたら転移魔法でバグモンスターの所までお主を飛ばすのじゃ! じゃから準備が必要なら今の内に済ませておくのじゃ!」


 2人の言葉を聞いた私はすぐに行動に移す。まずコンボを切らさないように左手の短剣で子蟻を切りつつ、右手でシステムウィンドウを操作しバグモンスターとの戦いの前に外しておいた両手両足の枷を再度装備する。次にファイさんから貰っていたバグモンスター対策アイテムを私とレキに使用する。


「レキ、プロテクションの掛け直しをお願い!」

「ワフッ!」


 レキにプロテクションの掛け直しをお願いした後は、レキとパルをサモンリングに戻した。プロテクションの効果時間内に倒しきれない場合は、再度レキを呼び出してバフを掛け直してもらうことになる。

 そして最後にインベントリから『毘沙門天の多宝塔』を取り出した。……これで準備は整った。

 

「ロコさん、お願いします!」

「了解じゃ! ……アポート!!」

「ナツちゃんの雄姿はしっかり録画しておくから、後で鑑賞会しようね♪」


 緊張感の無いミシャさんの言葉にズッコケそうになりつつも気合で耐え、ロコさんの短距離転移魔法でバグモンスターの頭上へと転移する。


「まずは一発!!」

「キィィイイイ!!」


 飛んですぐにコンボ継続の為の一撃を放つ。それは思いのほか効いたようでバグモンスターから甲高い鳴き声が響いた。……そして私はその鳴き声を聞きながらギアを上げる。


「毘沙門天!!」


 握っていた毘沙門天の多宝塔は光の残滓へと姿を変え、私の体へと溶け込んでいく。そしてロコさんやギンジさんと同じような変化を起こした。

 私の体から金色のオーラが立ち昇り、背には黄金の輪っかが出現する。


 毘沙門天。私はそれを名前を聞いた事があるぐらいの知識しか持たず、ミシャさんから毘沙門天の多宝塔というアイテムを受け取ってから初めて興味を持ち、インターネットでどういう神様なのかを調べた。

 曰く、それはギンジさんやロコさんが持つ『羅刹天』『焔摩天』と同じ十二天の内の一柱であり。曰く、かの有名な七福神で唯一の戦神であり。曰く、金運や開運、商売繁盛を祈願する神である。

 そしてこのプログレス・オンラインにおいて毘沙門天の効果とは"アイテムが持つデバフ効果の反転"。様々な装備やアイテムを巧みに使いこなすミシャさんには打って付けの効果だろう。……勿論、今の私にとっても。


 私は急激に膨れ上がったステータスを気合で制御し、バグモンスターの後頭部を高速で切り付け始めた。


「馬鹿で不器用な私が一番得意な攻撃は通常攻撃! ステータスを上げて物理で殴る!! 気合いだー!!!」

「ギィィィイ˝イ˝イ˝イ˝!?」

 

 私の顔に着けている『常闇のスティグマ』が持つデバフはHP上限の4割減。それが反転し私のHP上限は4割アップ。

 私の両腕に着けている『戒めの手枷』が持つデバフは筋力の4割減。それが反転し私の筋力は4割アップ。

 私の両足に着けている『戒めの足枷』が持つデバフは機動力の4割減。それが反転し私の機動力は4割アップ。


 残念ながら茨の短剣が持つ常時使用者のHP吸収はデバフというカテゴリでは無いらしく、それが反転してリジェネ効果になることは無かった。けれど、それでも恐らく今の私は全プレイヤーの中で最も高いステータスである自信がある。


 バグモンスターはあまりのダメージに暴れまわり、頭上の私を振り落とそうと必死だ。けれど私も絶対に振り落とされてなるものかと必死に抵抗して攻撃を続ける。

 

 何度もバランスを崩して振り落とされそうになるも必死で立て直し攻撃を続け、時には全身を使って必死にしがみついて短剣をバグモンスターへと突き立てた。何度もそんな攻防を繰り返す間にラピッドラッシュの効果が切れてガクっと機動力は下がってしまったが、反応速度のステータス値で言うと逆に戦いやすくなった。


 そんな攻防の中でも茨の短剣の効果で私の攻撃力は上がり続けている。バグモンスターの反応からみて恐らく残りHPはそんなに多くないはずだ。

 私は「あと少し!」と気合を入れなおし攻撃を続ける。すると、そこにギンジさんの声が響いた。


「おい、ナツ! ラピッドラッシュが切れてんなら技能も使えんだろうが! さっさと決めっちまえ!」


 ――……あ。


 私は本当に馬鹿だったようだ。今までに体験したこと無いようなラッシュに気分を高揚させ過ぎて、本当に通常攻撃以外の攻撃手段を頭からすっぽりと抜けてしまっていた。……私は今、バグモンスターの背後に居るのだ。


「バックスタブ!!」

「ギィィィイ˝イ˝イ˝イ˝!!」


 バックスタブの効果は確定クリティカルとクリティカルダメージ上昇。今の私のステータスでそれはかなり効くだろう。

 バグモンスターから今までで一番の悲鳴が上がり、その膨大なダメージ量を窺わせた。その後、バックスタブのクールタイムが明けるまで蟻の背でロデオを満喫し、そうしている内にクールタイムが明ける。


「これで最後! バックスタブ!!」


最後のバックスタブを叩き込むとバグモンスターはその場に倒れ込み、その体を光の粒子へと変えていった。


「……ふぅ。終わっt、ぐぇっ!?」


 戦いが終わり毘沙門天の効果を解いた私は、その破格の効果に対する反動を受ける事になった。毘沙門天の反動。それはデバフを反転させていたのと同じ時間だけデバフを倍化させること。

 本体が倒されたことにより子蟻も一緒に消滅し、戦闘が完全に終了したことで茨の短剣のバフ効果も消える。先ほどまでのステータスとの落差と、デバフの倍化で私はその場に倒れ込んだ。


 ――……どうか、このシーンだけは録画されていませんように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る