第19話 ささやかなパーティー
その日から、エルネストはいつもヴィオレッタの傍にいた。
食事はもちろん、屋敷の中でも、ヴィオレッタが外に行く時も、常に寄り添うように傍にいた。
行動制限はされなかったが、ひとつ困ったことがあった。
「エルネスト様、クロに乗って視察に行ってもいいでしょうか?」
「クロ……君の黒鋼鴉か……」
クロのこともセバスチャンから報告を受けているらしい。
「それは私にも乗れるのだろうか?」
「いえ、無理です。よほど大きな黒鋼鴉でないと、体格のいい男性は乗れません。同乗もできません。重量制限がとても厳しいのです」
だからヴィオレッタも体重管理にはかなり気を遣っている。
「……すまないが、しばらくの間は移動は馬車を使ってほしい」
「わかりました」
収穫直前の視察はエルネストと一緒に馬車で行くことになった。
クロに乗れないのは残念だが、話し合っての結果なので不満はない。
「あの、エルネスト様。王都に帰らなくても大丈夫なのですか?」
前回は結婚式の翌日には王都に戻っていっていた。
「長期の休暇をもぎ取ってきた。少なくとも春までは、ここで過ごすつもりだ」
「よかった。嬉しいです」
エルネストが一緒だと領民が喜ぶ。嬉しそうだし、仕事に対する情熱が一層増すのだ。
そしてヴィオレッタも、エルネストと共にいると少し緊張しながらも、大きな安心感を覚える。
素直に喜ぶと、エルネストは何故か小さく視線を逸らした。
「ああ、そうだ。エルネスト様、遅くなりましたが、白キツネの毛皮をありがとうございました。とてもあたたかかくて、助かりました」
「……気に入ってもらえたならよかった」
「はい、とても気に入りました。寒いときは毎日使っていました。今年も、もうすぐ役に立ちそうです。わたくし、かなりの寒がりなので」
視察を終え、屋敷に戻ったときには、夕暮れ時になっていた。
エルネストの手を借りて馬車から降りたヴィオレッタは、執事セバスチャンに出迎えられる。
「おかえりなさいませ、旦那様、奥様」
セバスチャンはそう言って、ヴィオレッタたちを中庭の方へと案内し始める。
中庭に広がっていたのは、まるで夢の中のような光景だった。降り注ぐ星のような光りの装飾、微かに揺れるランタンの灯。それらが織り成す光のカーペットの上を、使用人たちがやや緊張した面持ちで立っていた。
中庭の中央に置かれた長いテーブルは、キラキラと星空の下で輝くランタンの光に照らされ、色とりどりの料理が並んでいた。
「少々過ぎてしまいましたが、旦那様たちの結婚一年記念と、少し早いですが豊作の祝いを兼ねて、使用人一同よりささやかなパーティーを用意させていただきました」
あまりにも眩しく、煌びやかな光景に、ヴィオレッタは言葉も出てこない。
「奥様用の予算を御申しつけ通り使用人に分配しようとしたところ、皆が奥様のために何かしたいと言いまして。仕事の合間に準備をさせていただきました。御申しつけの通り、すべて領内のもので揃えています」
ヴィオレッタは胸がいっぱいになりながら、使用人たちの顔を見る。
「ありがとう。とても嬉しいわ。わたくし、この地に来ることができて、本当に幸せだわ」
ヴィオレッタは涙ぐみながらエルネストを見上げると、エルネストは小さく頷き、使用人たちに視線を向けた。
「皆、私が不在の間この地を守ってくれたこと、感謝している。皆の力があってこそ、当家とこの地は成り立っている。君たちの努力に敬意を表すると共に、心からの感謝を伝えたい」
その言葉に、使用人たちは一斉に頭を下げ、当主への深い感謝の意を示す。涙ぐんでいる者もいた。
「さあ、今夜は楽しみましょう!」
ヴィオレッタの声を合図に、パーティーが始まった。
夜の中で華やかな光が舞い、陽気な音楽が流れ始める。
テーブルには豪勢な料理が並び、その中でも特に目を引いたのは、ヴィオレッタが大好きなライスバーガーだった。料理人テオが、米料理レシピの中から選んで作ってくれたのだろう。揚げたてのポテトフライもある。
「懐かしいな」
ライスバーガーを見つめながらエルネストが呟き、手に取る。
その言葉に、ヴィオレッタの胸がどきりとした。
(もしかして、エルネスト様も学園でのことを覚えていらっしゃるのかしら? いいえ、王都のお店でライスバーガーを出しているし、そちらで食べられたのかもしれないわ)
詳しくは聞かず、ヴィオレッタもライスバーガーを食べる。
間に挟まっているのはハンバーグに卵にマヨネーズにトマトケチャップにマスタード。
肉の旨味と米と野菜の甘みと香ばしさ、まろやかなマヨネーズと卵の中に、ピリッとくるマスタードの刺激。
とてもおいしい。
料理を味わっていると、誰かが陽気な音楽を奏で始める。
いつの間にか、使用人たちが手を取り合って、音楽に乗って楽しげに踊っていた。
キラキラと光るランタンと併せて、とても非日常的な風景だ。
混ざりたい――そんな気持ちが心によぎった刹那。
「ヴィオレッタ」
包み込まれるように名前を呼ばれ、大きな手を差し伸べられる。
ヴィオレッタはエルネストの手を取り、音楽に合わせて、ゆっくりと踊り始める。
初めて踊るダンスだったが、ステップ自体は単純だ。そして、間違っていても気にする人は誰もいない。
ヴィオレッタはエルネストに支えられながら、幸福感に満ちたあたたかい時間を過ごす。
「――火事だ!」
賑やかな空気を切り裂くように、緊迫した声が響く。
その後すぐに焦げ臭さが漂い、夜空に煙が浮き始める。
急いで煙の立つ方を確認する。火元は屋敷の近くの小麦畑だった。豊かな実りをつけた小麦が、赤く燃えていた。
燃える。
燃えてしまう。
「皆、桶やバケツを持って井戸と川の方へ! 燃えている方に向かって一列に並んで、水を入れたバケツを隣の人へ渡していって!」
一刻も早く火を消さないと。
ヴィオレッタは他の使用人たちと一緒に近くの川に駆けつけ、桶を使って水を汲み上げる。
近くの領民たちも集まってきて、皆で協力して一生懸命に水を運び、小麦畑の火事は大きな被害が出ないうちに鎮火した。
だが、火が収まってもまだ安心はできない。再燃するかもしれないし、また別の場所が燃えるかもわからない。
火の気のない場所だ。火の不始末か、悪意のある故意でなければ、滅多に燃えることなどない。
放火だとすれば、また別のところが燃やされるかもしれない。
気づかないうちに燃え広がれば、大惨事になる。
(空から見れば、燃えてもすぐにわかるかも――)
クロのいる屋敷の方を見上げる。黒鋼鴉は夜目も効く。
エルネストに一声かけてから行こうと振り返ったヴィオレッタは、自分が人だまりから離れてしまっていることに気づいた。
ひとりになるなと言われていたのに。
早く合流しないと。
少し離れたところにいる人々のところへ向かおうとしたとき、背後からに男性使用人が一人やってくる。
安堵しかけたヴィオレッタは、違和感に気づいて息を呑む。
「……誰ですか?」
警戒しながら声をかけると、その男は一瞬だけ動きを止めた。
服装はヴォルフズ家の使用人のものだが、使用人たちの中に、こんな人間は見たことがない。
黒髪の男は、ヴィオレッタを見つめながら、笑った。
本能が逃げろと叫ぶ。大声を上げろと。
だがヴィオレッタが動くよりも先に、あっという間に距離を詰められ、腕をつかまれる。
振り払おうとした寸前、身体に衝撃が走る。
殴られたのだと気づく前に、ヴィオレッタは意識を失った。
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