※番外編・おまけ 浦橋京の回想


 烏丸たちが、恵比寿のダンジョンに潜入している頃。

 浦橋京は、狭い車の運転席で、彼らの帰りをじっと待っていた。


「......痛っ」


 ちょっと尻を浮かしただけで、身体に軋むような痛みが走る。

 今年で三十二になり、探索経験もそれなりにある彼が、最奥までたどり着くこともできず、命からがら逃げ帰ってきたダンジョンに、子供二人と素人一人だけ送り込むことは、本当に正しいのだろうか。上からの指示を聞いた時、十年ぶりに、そんな罪悪感が体の中を駆け巡った。


 浦橋は回想する。

 彼が迷宮庁へと入庁して、初めての仕事のことを。





「よお、あんたが俺の相棒か?」


 初仕事に緊張する浦橋の前に、気さくな様子で話しかけてきた、がっしりした体型で天然パーマの大男。彼とは入庁式以来だったが、本能的にそりが合わないと思った。


 その日の仕事場は、練馬だった。

 開けた場所にあることが多い他のダンジョンと違い、練馬のダンジョンは住宅街にほど近い。割と後期に出現したダンジョンで、モンスターがダンジョンからは出てこない、という情報が周知された後だったため、ダンジョンの近くでも住み続けるという住人が多かったことに由来する。


 ただ、ときどき、住人が予想だにしない「事故」が起きる。

 今回もその一つ。父親が目を離した隙に、小さな子供がいなくなってしまった。辺りを探していると、子供がダンジョン内に入っていってしまったという目撃情報があったのだという。


 こういう場合、子供が生きている確率はほぼない。すぐに他の探索者に保護されていれば、とっくに外に出てきているはずだ。未だ姿を見せないということは、運の悪いことに子供がダンジョン内で最初に出会ったのは、人間ではなくモンスターだったということだろう。


「俺は五十嵐。お前さんは?」

「......浦橋と申します」


 なんだ、愛想ねぇなぁ、と、五十嵐は笑った。

 浦橋と同期である彼にとってもこれが初仕事だと思うのだが、緊張している様子は全くない。


「憂鬱じゃないんですか? 私たちの仕事って、要するに亡骸探しですよ」


 しかし、五十嵐はきょとんとした顔で、首をかしげる。


「なんだ、お前、やる前から諦めてるのか? まだ生きてるかもしれねぇだろうが」


 やはり私とは合わない、と浦橋は思った。

 彼が迷宮庁に入った理由は、ダンジョン出現という未曽有の出来事を前に、組織の一員として働くことが最も人類のためになると考えたからだ。世の中にはダンジョンの謎を解き明かす、とか言って、一人で未踏の高難度ダンジョンに繰り出すロマンチストもいるが、目の前の現実的な問題に対して組織的に対処した方が、確実に世の中のためになると常々考えていた。


 要は、彼は現実主義者だった。そして、個人の探索者ではなく、わざわざ迷宮庁に入り安月給で公務員として働こうなんて人間は、そんな奴ばかりだと思っていた。だが、どうやら例外もいるようだ。


「......まぁ、無駄口叩いても仕方ないわな。さっさと行こうぜ」


 五十嵐はずんずんダンジョンに踏み込んでいく。慌てて後を追いながら、いや、もうちょっと情報共有とか、と声をかけるが、彼は聞いてくれない。


「そんなことしてる間に、子供が死んじまったらどうすんだ」


 の一点張りである。

 そもそも子供が生きている可能性なんて、限りなく低いのだ。しっかり連携を取らずに、こっちの身が危なくなったら本末転倒だろう。

「すいません、この子を見ませんでしたか?」

「おう、このガキ見なかったか?」


 ダンジョン内部での聞き込みの成果は芳しくなかった。そもそもこの日は探索者自体の数が少なく、あちこち探しても三組にしか話を聞けず、いずれも空振り。


「うーん......って、ちょっと!」


 五十嵐が奥の階層に潜っていこうとするのを見て、慌てて止める。


「そっちは危ないですよ!」

「でも、この辺にゃいないんだろ? だったら、もっと奥を探すしかねぇだろうが」

「いや、そんなに奥へは......」


 生きたまま行けるはずがない。そう言おうとしたが、五十嵐の背中は既に小さくなっている。


「ああ、もう!」


 渋々、彼の後を追う。練馬のダンジョンは、入り口付近には弱いモンスターが多いが、ちょっと深く潜ると途端に高難度ダンジョンへと変貌する。

 五十嵐のスキルは知らないが、浦橋のBランクスキル「プリースト」では、やや厳しいダンジョンだった。


「おーーーい! ガキ! いるなら返事しろ!」

「......悠馬くんです」

「そうか、悠馬! いるか!?」


 頼むから、あんまり叫ばないでくれ、と浦橋は頭を抱える。


 その直後、轟く咆哮。


「ほらあああっ!」


 現れたティラノリザードに、浦橋は悲鳴のような声をあげながら、両手を合わせる。

 左右の岩壁が狭まり、ティラノリザードを圧迫する。


「うおお、すげぇな!」

「いや、全然効いてないです!」


 ティラノリザードが吠えながら、ぐぐぐ、と岩壁を押し広げる。


「いや、動きを止めてくれりゃ、十分だ」


 五十嵐は右手の掌をティラノリザードに向け、数秒力を溜める。それから、はっ、と短く叫ぶ。

 次の瞬間、モンスターの身体が業火に包まれた。


「グギャアアアアッッ!」


 みるみるうちに、ティラノリザードが灰になっていく。炎を操るスキルは数あれど、ここまでの火力は見たことがない。


「......五十嵐さん、もしかして」

「おうよ。『フレアマスター』、Aランクスキルさ。俺だって、勝算なしでこんな所に乗り込んでる訳じゃねぇんだぜ?」


 そうは言っても、俺一人じゃきつかったけどな、と五十嵐はにやりと笑った。高火力の代償として、長い溜め時間が必要なのだろう。


 少しだけ場が和んだその時、ごごごご、とダンジョン全体が揺れる音がした。


「何だ!?」

「......まさか。崩落!?」


 数日前、このダンジョンの近くで地震が起きていた。その時も迷宮庁の職員が調査に入って、問題ないと確認されていたのだが。


「私のせいだ。私が、岩壁を動かしたから」


 危ういバランスで保たれていたダンジョンの地盤が崩壊し、崩落が発生した。


「まずいな。どこがどう崩れるかわからんぞ」

「脱出して、応援を呼びましょう! 中に閉じ込められたら、上にこの事態が伝わりません」


 通信技術が向上し、ダンジョンの中でも通信機器が自由に使えるようになるのは、この時から数年後のことだった。当時はダンジョンの奥に入ってしまったら、外部と連絡を取る手段などない。

 もしかしたら、まだ奥に探索者がいるかもしれない。崩落した壁を破壊できる職員を急いで連れてこなければ、強力なモンスター相手に消耗戦を強いられる。それ即ち、死と同義だった。


「いやしかし、ガキがまだ......!」

「まだそんなこと言ってるんですか!? どうせもう死んでます! それより、私たち自身と、奥にいるかもしれない探索者のことを考えるべきです!」

「......俺は、諦めねえぞ!」


 五十嵐は叫ぶと、ダンジョンのさらに奥へ駆け出して行った。そんなところまで、子供がたどり着けるとは到底思えない。

 浦橋はどうしようか迷って、迷って迷って、結局、彼を置いて出口まで走った。それが正しい選択だと、自分に言い聞かせながら。


 数時間後、浦橋は他の職員とともに、ダンジョンに戻ってきた。

 あちこちの道が、崩落によって塞がれている。そんな中、こん、こんと、かすかに何かを叩く音が聞こえた。


「......ここだ」


 音の発生源を探し回って、浦橋たちはある岩壁に行き当たる。

 周りを吹き飛ばさないように慎重に岩壁を破壊すると、そこには。


「......よう。待ってたぜ、相棒」


 五十嵐が、子供を抱えて、血まみれで立っていた。

 本人は傷だらけでぜえぜえと息をしていたけれど、抱えた子供には傷一つついていなかった。





「奇跡だな。モンスターに狙われないまま、あんなところをほっつき歩いていやがった」


 翌日には元気になっていた五十嵐は、がはは、と笑った。


「......五十嵐さんが正しかった。私は、まだ生きていた子供を、死んだと決めつけて」

「ん? でも、お前が助けを呼びに行ってくれなけりゃ、俺もガキも脱出できずにモンスターに食い殺されてたぞ」


 五十嵐の言葉に、浦橋ははっと顔をあげる。


「俺、駄目なんだ。どうしても目の前のことで頭がいっぱいになっちまって、先のことなんてぜーんぜん考えられないの。ここに就職したのだって、たまたま募集のポスターを見て、いいじゃん、って思ったからだし」


 後悔はしてねぇがな、と彼は笑う。


「だから、相棒。お前の、冷静に大局を見て動けるところは、いいところだと思うぜ。俺が危なっかしいことしようとしてたら、お前が止めてくれ。俺が馬鹿で止まらなかったら、今回みたいにお前は、戻って助けを呼んでくれ」

「......小さい頃から、人の心がないと、よく言われてきました」

「でも、違うだろ? お前はお前なりに、皆のことをちゃんと考えてる。だから、ガキを助けられたんだ。違うか?」


 猪突猛進は俺に任せろ。

 彼は力強く、そう宣言した。




 その後、規則違反で問題ばかり起こす五十嵐と、優等生だった浦橋は違う道を歩むことになり、次第に顔を合わせる頻度も減っていった。

 しかし、先日久しぶりに、一緒に仕事をする機会が巡ってきたのだ。


「......五十嵐」


 浦橋は、狭い車の運転席で、両手を合わせる。

 配信は観ない。観たら、自分の身体のことも役割のことも忘れて、彼らを助けに行きたくなってしまうから。



「私、自分のスキルがあまり好きじゃないんです」

「ん? 何でだ、かっこいいじゃんか」

「......両手を合わせると、『祈り』みたいじゃないですか。神様なんていないのに祈るって、馬鹿馬鹿しくないですか」



 お前さんらしいな、と五十嵐は笑ってくれた。そんな浦橋が、今は全身の痛みに耐えながら、一心不乱に祈っている。


 浦橋は約束通り、逃げ帰ってきて、助けを呼んだ。

 彼にできることは、もう、祈ることしかない。




 恵比寿のダンジョン調査チーム。帰らなかった、Aランクスキル持ちの職員。

 その一人は、五十嵐だった。




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