第13話 陰キャと美少女と迷宮の異変

 暗闇の中、紅い炎がゆらめく。


『烏丸くん、登録者100万人、おめでとー!』


 俺はその炎を、一息に吹き消した。

 港区のビルに居を構える、ダンジョン配信者事務所、FOOLSの本社。その会議室のデスクには、大きな円形のケーキが載っていた。


「......あ、ありがとうございます、こんなことまで」


 俺はさっきから恐縮しきりである。事務所に足を踏み入れたのが初めてだし、ハルカや上谷だけでなく、初めて顔を見るような大人たちまでもが、俺のことを祝っている。その様子を見ていると、どうも落ち着かないというか、申し訳ない気持ちになってくる。


 一か月前の4x2との対決以来、四季本ヌシの知名度はさらに上昇し、その後数回の配信を経て、ついに100万人の大台に到達した。といっても、まだどこか他人事のような気持ちでいるのだが。


「こんな短期間で100万人達成できるなんて、すごいよ! 配信もめちゃくちゃ上手くなってるし」

「まぁ......色々、勉強してるから」


 すっかり脚も治ったハルカが、ケーキを咀嚼しながら言うから、俺はこそばゆい気持ちになる。

 でも彼女の言う通り、他の人のダンジョン配信を観るようになってから、配信のコツがだんだんわかってきた気がする。どんなコメントを拾うべきか、どのタイミングで話題を変えるべきか......。まぁ、アニメの話題なんかだと、ついつい一人で語りすぎてしまうこともあるけど。


 だからこの数字は、4x2の件の結果だけではなく、配信者として一人前に近づいてきた証でもある。そう考えると、素直に喜べるような気もした。


 ケーキを食べ終えて、皆がそれぞれの仕事場に戻る。

 俺とハルカは、上谷に自宅まで車で送ってもらうことになっていた。三人で駐車場に向かい、上谷の赤いSUVを探す。



「......お邪魔しますよ」



 突然、背後からねちっこい声が聞こえる。ひゃあ、とハルカが飛び上がった。


「そんなに、驚かなくても」

「浦橋! あんた、何しに......どうしたの、それ!?」


 声の主は、いつか恵比寿のダンジョンで会った、蛇のような顔をした迷宮庁職員だった。けれど、あの時とは様子が違う。全身に包帯が巻かれ、松葉杖をつき、もともと青白い顔色がいっそう青くなっている。スキルの力によって医療が発展した現代で、これほどの怪我が残るのは珍しい。


「お見苦しい姿で申し訳ありません。今日は、そこの......烏丸真一くん。今は、四季本ヌシと名乗っているんでしたっけ。あなたに、探索庁からお願いがあって参りました」

「お願いって......あんたねぇ、どの面下げて」


 怒り心頭の上谷を、俺は無言で制する。向こうも、こちらがいい顔をしないことは分かって来ているはずだ。それくらい、尋常でない事態なのだろう。


「ご理解いただけて助かります。無論、お怒りはごもっとも。それでも、私の話を聞いていただきたい」


 上谷はよろよろと花壇のへりに座り込むと、どこか遠い目で語り始めた。


「覚えていらっしゃるでしょうか。我々が初めて出会った、恵比寿のダンジョンで起きた出来事を。本来、あのような浅い階層に出現するはずのないマンドラゴンが、我々の前に姿を現しました。我々探索庁は即刻あのダンジョンを封鎖し、調査チームを発足しました。私も、その一人でした」


 探索者たちは迷宮庁の情報を信頼して、自分が安全にモンスターを狩れるダンジョン、階層を見極めて仕事をしている。ミノタウロスほどではないにしろ、浅い階層に一匹場違いなモンスターが沸くだけで、その場の探索者が全滅することだってありうるのだ。探索庁にとって、あの事件は看過しがたい事態だった。


「ダンジョンに潜った我々が見たのは、驚くべきものでした。本来最深部付近でしか見られないような強力なモンスターが、浅い階層に大量に発生しているのです。そのようなモンスターとの戦闘経験に乏しく、力もない職員たちは一方的に蹂躙され、撤退を余儀なくされました。......私も、その一人です。生きていただけ、儲けものですね」


 浦橋は自分の身体を愛おしそうに眺める。これほどの怪我が残るということは、一時は生死もさまよったのだろう。現代の医療をもってしても、どこかに後遺症は残るかもしれない。


「......ですが、調査チームの中には、Aランクスキルを持った歴戦の職員が二名、編成されておりました。彼らは私たちとは違い、襲い来るモンスターを蹴散らして、奥へと歩みを進めていった」


 浦橋はそこで、一拍間を空けた。


。そこで烏丸くん。あなたには、行方不明となった職員の捜索、並びに、恵比寿のダンジョンで発生した異常事態の調査をお願いしたい」


 浦橋が口にした瞬間、上谷が彼に殴りかかった。俺とハルカの二人がかりで、何とか止める。


「迷宮庁ってのは、どこまで腐った機関なの! 危険だってわかってて、民間の、まだ高校生の子供を、そんな場所に行かせる気!?」


 暴れる上谷を何とかなだめる。

 浦橋ははぁ、とため息をつくと、おもむろに腰を上げ、地面に座りなおし、頭をコンクリートに叩きつけた。


「なっ......」

「迷宮庁は、確かに腐ってますよ。こんな状態の私に、わざわざ連絡役をさせるんですから。『因縁があるお前の土下座は、きっと効くだろう』ですって」


 浦橋は自嘲気味に呟くと、真剣な声色に戻って、声を張った。


「烏丸くん! 虫がいい話なのはわかっています。無茶を言っているのも分かっています。でも上は、これ以上のAランクスキル持ちの職員の派遣に及び腰です。あなたが行かなければ、きっとこのままダンジョンを封鎖して、この件はなかったことになる。でも、それじゃ駄目なんです! こんなこと、今まで一度だって起きたことがないんです。行方不明になった職員は、一人でダンジョンボスだって倒せる。それなのに......!」


 額を地面につけているから表情は見えないが、浦橋の声が切実さを帯びているのはわかる。


「モンスターがダンジョン内から出てこない理由だって、まだ解明されていないんです。もし、ダンジョンからモンスターが溢れ出し、街中に放たれるようなことになれば、国民の皆様の安全と平和が、失われてしまう! 烏丸くん、お願いします。どうか、どうか力を貸してください」


 絞り出すような浦橋の言葉は、演技には見えなかった。上谷もハルカも、圧倒されていた。


「......わかりました」


 俺は言った。浦橋が、弾かれたように顔をあげる。


「......大変なことになるかもしれないんですよね。それなのに逃げるなんて、シロが許してくれない」

「ありがとう、ございます」


 浦橋は目を閉じ、深く頭を下げると、ふらつく足で立ち上がった。


「もう一つ、お願いがあります。あなたには、探索の様子を配信してほしいのです」

「はあ? 何言ってるの、あんた」


 上谷が再び激怒する。浦橋も心底申し訳なさそうに頭を掻いた。


「はぁ......。上は、あなたの力がどれほどか、この機会に測ろうという考えです。それに、もしあなたの力が想定より低く、道半ばで死ぬようなことがあっても、配信していれば情報くらいは手に入る、と」

「あのねぇ、あんた」

「言いたいことは、私だってよく分かりますよ。私だって、今回の件で上には幻滅しているんです」


 先ほどから、浦橋は何度も深いため息をついている。ひとつ息を吐くごとに、彼の信念が一緒に吐き出されているような気がする。

 それでも、一番根っこにある大事なもののために、彼はよろめく足で、何とかここに立っているのだとわかった。


「分かりました」

「助かります。カメラマンは、こちらで探索者としても優秀なのを手配しますので......」

「ちょっと待った!」


 浦橋の言葉を遮ったのは、上谷だった。先ほどから気を吐いている彼女だったが、今は何かを覚悟したような、より一層強いまなこで、浦橋を睨みつけていた。


「カメラは、私が持ちます」

「......は?」


 浦橋が呆然と口を開ける。


「あの、状況分かってますか!? 何が起きてもおかしくない、超危険地帯です。素人が入っていったら、本当に死にますよ!?」

「そんな覚悟は、とっくにできている!」


 上谷の眼には力があった。浦橋が一瞬怯む。


「遥を見つけて、彼女のマネージャーになった時から、危険や死なんて覚悟の上。私に何かあったら、気兼ねなく置いていけばよろしい! うちの事務所の、私の担当の一世一代の晴れ舞台なんだ。私以外の誰にも撮らせやしない。これが、事務所として今回の探索に許可を出す、最低条件です!」


 普段から熱くなりがちな上谷だが、こんなに気迫溢れる姿は見たことがなかった。

 完全に気圧された浦橋は、それでも口をぱくぱくして何か反論しようとしていたが、やがて根負けしたように項垂れた。


「......わかりました。では、烏丸くんと上谷さんのお二人を」

「待ってください」


 再び、浦橋の言葉が遮られる。


「烏丸くん。私も、行かせて」


 ハルカだった。今度は俺と上谷が、それは駄目だ、と彼女を止める。


「ハルカさんは関係ない。これは俺の問題だ」

「そうよ、遥まで命を懸けることはないわ」


 しかし、ハルカは俺たちの眼に自分の眼をしかと合わせた。


「でも、烏丸くんは私の問題に、命を懸けてくれた」

「4x2のこと? あれは、俺の問題でもあったから」

「これも、私の問題でもある。烏丸くんと上谷さんが、皆のために頑張ってるのを、私はスマホからどういう気持ちで見てればいいの? 二人が死んじゃったら、私はどうすればいいの?」

「ハルカさん......」

「私たち、仲間でしょ? 足手まといにはならない。私にも、手伝わせて」


 俺たちは、何も言えなかった。

 長い沈黙の後、俺とハルカは、諦めたように頷いた。


「......それでは、烏丸くんと上谷さん、それに遠野遥さん。三名を、明日の朝に恵比寿までお送りします。身体がこんなでなかったら、私もご協力できたのですが」

「ありがとう、浦橋さん。あとは、任せて」

「......烏丸くん。以前会った時から、随分と頼もしくなりましたね」


 浦橋はくすりと笑って、ふらふらとその場を後にした。


「ごめんなさい。わがまま言っちゃって」

「......まぁ、わがままを言ったのは私も同じ。ごめんなさい、烏丸くん」


 二人は俺に頭を下げる。

 できることなら、二人に危険な目には遭ってほしくなかった。でも、一緒に来てくれるなら、これ以上に頼れる人がいないのも、また事実だった。


「大丈夫です。三人で、絶対に生きて帰りましょう」


 俺は力強く宣言した。

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